--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1118 (2014.10.17)

Q. ぐつぐつさんからの疑問

 つい最近気が付いたのですが、日本の男性の名前に「〜左衛門」とか「〜右衛門」という名前がたくさんあります。この「左」とか「右」にはどんな意味、どんな違いがあるのでしょうか?

ほぉ、確かに!
 名前を聞いただけで、「何かがわかる」仕組みなのでしょうかね?


A. kztさんから

 武家の官位(左衛門・右衛門)を、だんだんと自分の名前にするようになったようです。
 左右の違いはいまの政治家でいう右派左派とは関係なく、職務の違いです。藤子F不二雄の『21エモン』の「エモン」は「右衛門」でしょうね。
 それにしても、小生がふしぎなのは左衛門の「左」は発音するのに、右衛門の「右」を発音しないことです。……答えになっていなくてすみません。

A. ざ〜さんから

「左衛門」、「右衛門」は、ご指摘の通り、官位の左右(日本では左が上位)を指すものだと思います。
 読みは、平仮名で書くと「さゑもん」と「うゑもん」なのでしょう。これ古語の発音の違いだと思います。即ち、「sawemonn」と「uwemonn」という発音です。これが連語になったとき、「うゑもん」の「う」が母音だから、前の発母音に埋もれてしまったのだと思います。
 現代語では、「は」と「を」だけが残っていますが、古語では

   は=wa  ゐ=wi  ゑ=we  を=wo

の発音を区別してました。「は」って、「私わ〜」と書かずに「私は〜」と書く「は」です。
 以前、昭和天皇が式文を読み上げるとき、区別して発音してましたね。憶えてますか?あれです。
 今でも、高知県民は区別して発音するそうです。
 ところで、パソコンで「さえもん」と入力すると「左右衛門」と初出てくるとこをみると、なんだか奥深そうですね。

A. hoshiyanさんから

 kztさんの回答で正しいと思いますが、もう少し詳しく私の理解している範囲で説明します。朝廷関係の制度は漢字が多くて、さらにその漢字も難しいので、読み辛いかもしれないが、お許し願いたい。
 朝廷の軍事部門を担当する官位があった。城の門の警備を担ってきた「衛門府」と、天皇やその家族を護衛した「兵衛府」、朝廷の直属の軍人である「近衛府」だった。
「衛門府」「兵衛府」「近衛府」はそれぞれ大将、中将・少将、将監、将曹、督、佐、尉、志のランクに別れていた。さらにそのランクは左右に区別されており、左が右に比べて高位。たとえば「左近衛中将」「右衛門督」「左衛門尉」「右近衛志」などだ。
「衛門府」「兵衛府」「近衛府」はいずれも武力をともなうので、「穢れ官位」として公家には嫌われた一方で、武家には好まれた。武家は朝廷に働きかけて、これらの官位を得るべく猟官活動を行なった。
 朝廷は武家に対して、これらの官位を与えることで、権威を保ち、庶民に与えることで、経済的なメリットを得ていた。つまりこれらの官位は金で買うことができたわけだ。
 さて、元々が官位という役職名であったものが、人の名前になった理由だが、日本では伝統的に自分の本名を明かさなかった。
 日本には言霊信仰があって名前を軽々しく他人に呼ばれるのを嫌ったためだ。相手に本名を呼ばれ、うっかり返事をすると相手の呪術にかかると信じられていた。
 紫式部や清少納言の「式部」や「小納言」は夫や父親の官職名であり、彼女らの本名は不明で、史書にすら残っていない。天皇家に至っては苗字すら無い。現在の天皇陛下は明仁であるが、そう呼ぶことはなく報道などでは「今上天皇」を使う。
 そうしたことから、日本では古来より官位や役職で相手を呼び合うのが習慣になった。そして、それがそのまま、通称になっていった。
 朝廷の権威が衰え武士の世になると、朝廷が任用するという制度は形骸化して、自分の通称として官位や役職を勝手に名乗るようになってしまった。こうして、官位が人の名前に変化した。
 最後に、「右衛門」の「右」を読まないわけは、「右衛門」を古い平仮名表記にすると「うゑもん」で、「ゑ」が「ぅえ」に近い発音だから現代の平仮名にすると「うぅえもん」になる。言いにくいので、「右」は発音しなくなったと思われる。

A. Issieさんから

 kztさんのお答えにあるように、元は律令制の官職名であったものが武士の通称として使われ、さらに民衆にまで広まったもので、「百官名」と呼ばれます。
 明治の初めに今の戸籍制度が整備されて「氏・名」という形式が固定・強制されるまで、貴族から下級武士まで身分のある人は日常は「正式な名前(諱)」は自他ともに用いず、官職名や通称が用いられていました。
 上級武士で朝廷の正式な官職に就いている人はもちろんその名前で呼ばれましたが、そのような地位にない中級以下の武士たちも、それを真似して官職名を(若干省略して)勝手に名乗り始めました。それが「百官名」の始まりです。
 その官職名で「左/右」の元の意味は“天皇から見て左/右”というもの。たとえば「左大臣/右大臣」は、それぞれの席が天皇から見た左右それぞれの最上位にある、というイメージです。「左」の方が上位とされていますが、朝廷の意思決定の場である「太政官」の長官(カミ)としては、二人とも同格です。
 律令制ではこのように「左右対称」に官職を置く例がよくあり、武官系の官職でも、「宮城の門番」である「衛門」、元は「天皇の護衛官」であった「兵衛」、後から新設された「天皇の親衛隊」の「近衛」にそれぞれ「左右」がありました(詳細には奈良時代から平安時代にかけて少し複雑な変遷があるのですが省略します)。
 つまり「左衛門/右衛門」だけでなく、「左兵衛/右兵衛」、「左近/右近」というのも同じタイプの名前です。いずれも武官の職ですから、武士に好まれたのでしょう。
 また、律令ではそれぞれの官職の定員がきちんと定められていましたが様々な理由で「定員外」の人が任命されることがあり、「権官」と呼ばれました。「権大納言」というように。これが百官名では「権兵衛」とか「権左衛門(権左)」となります。
 こうして、ドラえもん(右衛門?)とか「いなかっぺ大将」の風大左ェ門(左衛門?)のような名前が生まれるのです。
 なお「衛門」は旧仮名遣いでは「ゑもん」と書きました。左の「さゑもん」に対して、右では「うゑもん」。
 この「う」と「ゑ」が融合したというか、「う」が脱落したというべきか、ともかく「右衛門」の方は「ゑもん(えもん)」と読むようになってしまいました。でも正式にはやはり「うえもん」です。