--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1172 (2016.01.22)

Q. 帽子猫さんからの疑問

絵画のタイトルによく

   『○△ あるいは ※□☆▽』

のようなものがありますが、あれがとても不思議です。「あるいは」とは、どういうことなのでしょう?
 どうしてあのようなタイトルになってしまったのでしょう?

程不条理なことが多すぎます。
 2つのタイトルの候補があって、最終的にどちらにもできなかったということなのでしょうか? それとも、何か別の狙いがあるのでしょうか?

おお〜、それは私も知りたかったのです。


A. 宇美浜りんさんから

 代表的な作品に『ポセイドンあるいはゼウス』があります。
 これは古代ギリシャ時代に作られたブロンズ像で、20世紀になって海中から発見されました。作者名や作品名を明確にするもの(プレートなど)は残って
いません。男性が細長い物を握って投げようとしているポーズから『ポセイドンが三叉の矛(英語ではトライデント)を投げる』と『ゼウスが稲妻を投げる』が推測され、どちらも決定的な証拠に欠けるため併記したようです。ひょっとしたら、古代オリンピックの無名のやり投げ選手だったかもしれないです(笑)。
 ずっと保存されていたものは記録も残っていますが、芸術が盛んだったギリシャ・エジプト・イタリアは幾度も戦乱があり(芸術を楽しむ余裕がある→豊かな地域→略奪しようとする者が現れる)、全ての芸術品を守り抜くことはできません。略奪を防ぐために地中や水中に隠したり、美術館が攻撃され瓦礫に埋まったものもあるでしょう。
 そうなると発見されたときにタイトル不明の作品も出てきます。あいまいなタイトル(『青年の像』など)でもいいのですが、推測されたタイトルによい候補が2つ出て一つに決められないなら、こういう表記もありでしょう。
 そこまで古くない数百年前の絵画などでも、モデルが誰かという記録が残ってなく複数の候補がある場合はこうなるでしょう。今でこそ記録をきちんと残しますが、昔の人たちは細かいことにこだわらなかったのかもしれません。
 なお古代ギリシャの彫刻で現存するものは石像が多くブロンズ像は少数派です。古代にはブロンズ像がたくさんつくられましたが、青銅は溶かして再利用できるので征服者たちが溶かしてしまったものも多いそうです。芸術的価値が認められる時代になってから海中から発見された像は本当に幸運なものです。

A. kztさんから

「あるいは」と題がつくのは、思うに、作者が自分で付ける場合と、後生の誰かが付ける場合と両方があるのではないでしょうか。
「あるいは」と題がつくのは絵画だけではなく文学にもあります。文学の話になりますが、マルキ・ド・サドの作品にはこういう題が多くあり、みな自分で付けています。

  ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え
  (仏) l'Histoire de Juliette ou les Prosperites du vice

  ジュスティーヌあるいは美徳の不幸
  (仏) Justine ou les Malheurs de la Vertu

  ソドム百二十日あるいは淫蕩学校
  (仏) Les Cent Vingt Journees de Sodome ou l'Ecole du libertinage

といった具合です。
 サドを日本に紹介したのは澁澤龍彦ですが、澁澤のエッセイ集も「あるいは」を用いて雰囲気を同じようにしたかったのでしょう、『サド侯爵 あるいは城と牢獄』としています。

A. Issieさんから

 洋書のタイトルでもよくありますよね。英語の本だったら『タイトル1 or タイトル2』というフォーマット。
 たとえば、ニュートンの『光学』の原題は、

 Opticks: or a treatise of the reflections, refractions, inflections and colours of light

 ルソーの『社会契約論』の原題は、

  Du Contrat Social, ou Principes du droit politique

 日本語では通常、or(フランス語では ou )の前の部分(タイトル1)だけで呼ばれているけど、タイトル2の部分を翻訳すれば『光学』は『反射、屈折、屈曲および色についての論文』、『社会契約論』は『政治的権利の原理』となります。
 2つのタイトル候補があってどちらか決めかねている、というのではなくて、まずズバリとメインタイトル(タイトル1)を掲げ、さらに or (ou) 以下のサブタイトル(タイトル2)でより具体的な内容を掲げる、というフォーマットが慣習的にできあがったのではないかと思います。実際に刊行された本の表紙ではタイトル1は大きな活字で、or (ou) 以下は活字を小さくして字体を変
えたりしていることが多いですね。
 でも、必ずこのフォーマットに従わなければならない訳でもないようで、マルクスの『資本論』の原題は、

  Das Kapital: Kritik der politischen Oekonomie

で、サブタイトル(「経済学批判」)との間のつなぎ(ドイツ語だから oder かな)がありません。日本語でもここにつなぎを入れる習慣はありませんよね。たとえば今手元にある本のタイトルは『帝国議会 〈戦前民主主義〉の五七年』(村瀬信一,講談社選書メチエ)、「帝国議会」は大きな活字、それ以降は改行して小さな活字、となっています。
 問題は or の部分を律儀に「あるいは」と直訳してしまうことにあるのではないかと思います。サブタイトルがあることは日本語の作品でもよくあることなのですから、たとえばエクトル・マローの『家なき子』のちくま文庫版(佐藤房吉・訳)にあるように、

  『ジョリ・クール氏の下男』、
  またの名を『さて、ばかなのはどちらでしょう?』

(主人公のレミ少年を引き取ったヴィタリス老人一座の大道芸の演目のタイトル)なんて形で訳してくれれば、もう少しわかりやすいのではないと思います。