「ドッコイショ」を外国では何というのか?
実は私も81歳を越え、数年前から椅子から立ったり座ったりするたびに「ヨイショ」とか「ドッコイショ」と言うようになってしまいました。そして同じ
ような疑問を持ちました。
私は若い頃アメリカに3年ほど留学しておりましたが、そういう場面に出くわしたかどうかの記憶も定かではありません。周りにいた人たちはみんな若かったからかもしれません。フィリピンにも1年半ほど滞在しましたが、やはり聞いたことがありません。
幸い3、4年前に、台湾の語言学研究所に2ヶ月ほど滞在する機会がありました。「語言学」というのは日本語の「言語学」に対応する単語です。ですからいろんな国から研究者が来ております。そこで、そのときたまたま訪問學人(a
visiting scholar)として研究所に来ていた何人かの外国人研究者に「ドッコイショ」に当たるような単語があるかないか尋ねてみたところ、英語、フランス語、中国語には「ない」。ただ一つ、ロシア語では「Ux」と言う、という返事を得ました。ここに
x で書いた字の発音は、ドイツ語のBach「バッハ」と言うときの「ハ」の音です。h
ではありません。k を発音しながら舌を少しだけ上顎から離してやるとそこから息が漏れて、するどい摩擦音が聞こえますが、その摩擦音です。
それで思い出したのですが、若い頃、ロシア語を少し習ったことがあります。教材の一つとして有名なロシアの「ボルガの舟歌」を習いました。今でも覚えているのは出だしの文句だけですが、「エイ、ウッフ、ニェム、エイ、ウッフ、ニェム」と言うんです。たとえば次のサイトでお聞きください:
https://www.youtube.com/watch?v=KfsWoNpHg2s
この「ウッフ」がそれだったんですねえ。「エイ」もやっぱりかけ声でしょう。「ニェム」というのもそうかもしれないけれど、日本人的にはなんだか力が抜けてしまいそうな気がします。
先ほど英語には「ヨイショ」にあたる単語はないと書きましたが、念のため研究社の『新和英大辞典』で「ヨイショ」を引くと、「yo-ho!;
yo-heave-ho!」とあります。「heave」は「重いものを持ち上げる」という意味ですから、重い石やら荷物を持ち上げるときには
yo-heave-ho! と言えるのかもしれませんが、自分が立ち上がったり腰かけたりするときには言わないのではないかと思います。yo-ho!
もちょっとおかしいような気がする。ほんとは英語ネイティブに確かめなければなりませんが、今は省略します。
気になって「ボルガの舟歌」をネットを調べてみました。出だしですが、
英語:Pull away lads, Pullaway lads, ...
Yo, heave ho! Yo, heave ho! ...
ロシア語:エーィ ウーフニィム エーィ ウーフニィム
Эй ухнем, эй ухнем
英語の pull away は「引張れ!」。ladsは「若者たち」ですから、これはかけ声ではなくて、「若者たちよ、引張れ、引張れ!」と言っているだけです。もう一つ
heaveho! が現れてますね。持ち上げるのではなく引っ張るときにも使えるのかな?
ロシア語では「ウーフニィム」とカナが振ってありますが、「ニェム」が正しいで
しょう。弱まれば「ニム」に聞こえるかもしれません。ドイツ語、フランス語、スペイン語などの言語ではどうなっているのか興味ありますが、そこまでは手が届きませんでした。
ついでながら、「よいしょ!
どっこいしょ! は、ヘブライ語の祈りである」という説も見つけました。
http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=103
この語源説は言語学的には素直にウンというわけにはいきません。ただの思いつきと言うべきでしょう。
でも自分がこんなに老いぼれてくると、もう「ヨイショ、ドッコイショ」の言えない国には住めそうもないなあと、しみじみ思っております。
しかし、もうひとつついでに、日本語では相づちの「いやはや」とか、やや驚いたりしたときの「へー」とか、かけ声の「エイッ!」「それ!」のような、それ自体ほとんど意味がないけれど、日本語社会ではどこでも共通して決まり切った言い方をするという例がかなり多いですよね(これにも多少は方言差があるのかもしれませんが)。外国語ではそういう例があまり多くないような印象があります。こういう単語(と言えるか?)は文字に残りにくいので、いったいいつ頃から「へー」なんて言い出したものか。
そもそも現代日本語の h 音は、昔に遡れば
p 音であることはすでに証明されています。すると平安以前には「へー」はなかったのだろうか? まさか、「ペー」と言っていたとも考えにくい。すると普通の単語には使われることのなかった
h 音も、感嘆詞のような場合には使われていたのだろうか? つまり古代日本語には
p の他に h もすでにあったと言うべきなのだろうか?
しかしまたそれとは逆に、たとえば足の臑をどこかに思いっきりぶつけたりしたときには、日本語では「イテッ!」などと言いますね。英語では「Ouch!(アウチ)」、フィリピンのタガログ語では「Aray!(アライ)」などと言って、それぞれ「痛い」を表す単語とは無関係な独立した単語です。ところが「イテッ」は明らかに「イタイ」に由来する二次的な単語です。
おもしろいことに、こういうとっさに口をついて出る単語は、私のフィリピンやアメリカでの経験からいうと、習得して身につくのにかなり時間を要する。少なくとも1年以上。それまではついつい「イテッ!」などと言ってしまう。
ところが2,3年してやっと日本に帰ってくると、いったん身についたこのテの単語はなかなか振り切れなくて、日本語を話している最中でもつい「アライ!」とか「アウチ!」などと言ってしまうんです。
「ドッコイショ!」もまったく同じ。幸い、というべきか、アメリカでもフィリピンでも台湾でも「ドッコイショ」に相当する単語がないわけだから、必死になって習得する必要もない。安心して「ドッコイショ!」と言っていればいい。まわりの人は不思議そうな顔をするかもしれないけれど。まあ、そう考えれば気楽なもんで助かりますね。