Q. ゆきさんからの疑問
霊的なものや死後の世界を信じていない人についての疑問です。
私も信じているかというとそうも言いきれないのですが、頑なに「ない!」と否定する人にきいてみたいことがあります。
お盆やお葬式など、少なからず死後の世界や霊的なものと関わりのある行事なども一応参加しつつ、「霊もいないし死後の世界もないから意味ないのになあ」と内心思っていたりするのでしょうか?
★変な方向に盛り上がると困るので、あらかじめお願いしておきます。
霊的なものや死後の世界の有無を尋ねているのではありません。そういうことを信じていない人の内心を知りたいということです。
A. けろ坊さんから
死後の世界があってもなくても、行為そのものにはきちんと意味があると思います。
たとえば葬式でいえば、下記のように2つの意味を持つのではないでしょうか。
・故人に関わりのある人に亡くなったことを報告する
・関わりのある人同士が故人のことを想い、死をきっかけに気持ちを整理する
墓参りも同じように幾つかの意味があるような気がします。
・故人に対する敬いの気持ちを表す
・いろいろなことを墓前に報告するために、自分の中で一旦整理する。
A. ミオパパさんから
私は物理学の信望者です。宇宙を構成する4つの力以外信じておりません。
それ以外の力があるなら明日から……、それ以上は申し上げますまい。したがって、魂や霊などもあるとは思っていません。
しかし、盆の儀式や葬式などは残された人間が心の区切りをつけたり、悲しみに打ちひしがれた心の整理をつけたりするために必要な儀式なのだと思っています。
また死期が迫った人が家族に自分の死後、自らを偲んでお墓参りしてもらいたい、忘れられたくないと希望する気持ちはよく分かりますし、それに応えたい気持ちがあります。
魂や霊を信じていない私でもお墓に行くと、亡くなった人に会えた気がします。これは理屈ではなく素直な感情です。
さらに法事などは普段、交流が少ない家族や親戚と話をするなど血縁関係者のコミュニケーションの機会になっていると思います。
ですから、おそらく死後の世界を信じている人と変わらない気持ちで、行事に参加していると思っています。
A. ごんたさんから
最初に言っておきますが、私は霊的なものや死後の世界については完全にないと確信しています。なぜそう確信するのかということについては長くなりますし、質問への回答に関係しないので今回は省略させていただきます。
さて、なぜ、霊や死後の世界の存在を信じないのに墓参りやお葬式に行くのか? 答えは簡単です。
「故人や先祖に敬意・感謝を表すため」
です。
たとえばお盆などは先祖をお迎えするときと見送りのために二度の墓参りを行いますが、実際に先祖の霊がやって来たと思いながら行っているわけではありません。自分が今、存在しているのは先祖の存在のお蔭ですから、せめてお盆の期間だけでも先祖に感謝するのは礼儀であって、特段おかしくはないと思います。
先祖でなくても故人の事を思い偲んで手を合わせることは、霊の存在とは関係ありません。霊を信じないからこそ、死者や先祖に敬意を表す場としてお墓や仏壇、斎場というポイントが設定されていると考えるのです。
お葬式は「いつまでも故人に拘わらず別れを告げ、現実を生きるために気持ちを切り替えよう」と区切りをつける儀式で、お盆は「でも時には思い出して偲んだり感謝したりもしましょう」という儀式で、どちらも死者ではなく生者に着眼した儀式なのです。
逆に、霊や死後の世界があると信じる人は、
「それらのポイントや儀式って単なる宗教・思想上の設定なんだから、お盆やお葬式に参加することには意味がない。お墓なんて単なる石の塊じゃん!」
と考えないかと私は思うのですが……。
A. kztさんから
「霊もいないし、死後の世界もないから意味ないのになあ」と内心思っているのでは……ですって? 何と鋭い。はい、まったくその通りです。
……でもね、だからといって、そういうことを大事に思っている人たちの純粋な気持ちはもっともっと大事ですから、その気持ちをたいせつにするためにも、表立って霊を軽んじたりなんかは、決してしませんよ。親戚や友人・知人の墓参りに付き合うことも、もちろんあります。墓前では頭の中で、故人と対話もしますよ。
小生は無神論者ですが、うちは両親も祖父母も敬虔なクリスチャンです。実家に帰れば、素直に食前のお祈りにも参加します。「神なんか、いないに決まってるじゃないか」などということは、態度にすら出しません。それは敬虔な信者である両親の純粋な気持ちを何より大事にしたいからです。
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