--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.141 (2001.10.06)

Q. りおんさんからの疑問

 手紙を書くときに「○○ちゃんへ」なんて書いたりしますが、この「へ」を「え」とよみますよね。「○○へ行く」の「へ」も同様ですが、なぜ「え」ではだめなのでしょうか?
 小学生のときにそう習ってあたりまえだと思っていましたが、子どもから質問されてしまい、思わず「何でかなぁ???」と疑問を抱いてしまいました。


A. 麻生有美さんから

「え」と「へ」の使い分けは、口語文と文語体の違いで、それだけです。
 一般には、どちらを使っても構わないですが、文章などでは、「〜へ」とした方がよいでしょう。基底みたいなものです。文法ですね。
「〜でしょう」も「〜でせう」と書くのが正しいのですが、「〜でしょう」に変わってますね。言葉は生き物でそのときどきによって変わっていくものです。
 意味が伝わればどう表記してもかまわないといえますが? いかがなものでしょうか?

A. アオヤマさんから

 すこし専門的な話になってしまいますが、これには文法学上・音声学上の根拠があります。
「〜へ」というのは、手紙の場合でも行き先の場合でも、ある特定の物がある特定の方向に向かって移動することを示す表現です。このことから、「へ」の語源が「辺」であることはすぐに連想できると思います。
 次に、なぜ「へ」を[he]と読まずに[e]と読むのかということを考えてみます。
 この問題も実に簡単なことで、世界中の言語で広く共通の性質として認められる「ハ行子音の脱落」(無音のアッシュなどが有名ですね)によります。これは発音の便に従うにつれて自然に[he]が[e]になっていったものと思われます。
 特に「○○ちゃんへ」など、「『へ』の直前に有声(子)音がくる場合」は、[n]+[h]+[e]となり、これは[有声]+[無声]+[有声]の組み合わせになります。
「有声音と有声音の間に無声音を挟む」ことは、「せっかく振動させた声帯を一度止めてまた振動させる」ことです。これは発音上大きなストレスになります。そういう理由で子音[h]が脱落してしまいます(試しに「n-he」を発音してみると、とても発音しにくいことに気付くと思います)。
 その結果、[e]が残り、発音は[e]となります。ただしもともとの意味が「辺」であることに変わりはないので、文字は「へ」を充てているものと思われます。

A. Issieさんから

 これは「現代仮名遣い」(昭和61年内閣告示第1号)、あるいはその前身の「現代かなづかい」(昭和22年内閣告示第33号)でそのように決められているからです。
 この仮名遣いに従う限り、「へ」と書かなくては“なりません”。「〜でしょう」ではなく「〜でせう」と書いては“いけません”。そのように書いたら、それは「誤り」です――と言ったら、話は終わってしまいますね。
「助詞の e 」を「へ」と書くのには アオヤマ さんの説明のとおり、歴史的な根拠があります。恐らく、仮名が成立した平安初期には「へ」と発音したのでしょう(ただし、現代のような he ではなく、hwe(唇をかまない「フェ」)のように発音していたと考えられています。もっとさかのぼると pe だったらしい)。
 でも江戸時代までに、この「へ he < hwe」と「え e」と「ゑ we」とが混同されるようになりました(仮名が成立する前にすでに「いぇ ye」が混同されています)。
 実は江戸幕府の公式文書では「助詞の e 」は小さめに書いた「江」という字で表記するのが普通です。「江」という漢字はカタカナの「エ」の元になった文字ですから、これをひらがなに直せば「へ」でも「ゑ」でもなく「え」ということになります。たぶん幕府の書記官にこの質問をすれば「江」つまり「え」と書くべきだと答えるでしょう。
「へ」が“正しい”とされたのは、江戸時代半ば以降に国学者たちが古典の研究を通じて「復元」した平安時代の発音体系にもとづく仮名遣いにおいてです。代表的な国学者の名前により「契沖仮名遣い」と呼ばれます。ただ、後世から演繹的に復元されたものですから、紫式部や清少納言がこの通りに表記していたかどうか(つまり、古典の教科書の通りに表記していたかどうか)は、実は保証の限りではありません。まして、「古事記」や「万葉集」の時代には仮名そのものがありませんでしたから、それが「正しい」もヘッタクレもありません。
 明治維新当時の段階では仮名遣いどころか、仮名の字体そのものにも統一はありませんでした。学校教育の現場や政府の公文書発行の必要性、そして恐らく西ヨーロッパ諸語がそうであるように「近代言語」としての必要性から、明治半ばになって仮名の字体と仮名遣いの統一がなされます(このときに排除された字体が変体仮名です)。その際、採用されたのが「契沖仮名遣い」でした(明治政府の文教行政には進歩派と復古派の競合・対立がありました。これは復古派の立場が優先されたのでしょう)。これが旧仮名遣い、いわゆる「歴史的仮名遣い」です。ただし、漢字の「音」の表記についてはこの後も一貫せず、結局、国全体が極端に「神がかり」状態になる1930年代後半までかなりの揺れ
がありました(「正」をシヤウと書くか、シヨウと書くか、シヨーと書くか、セウと書くか、などなど)。
 実は現代仮名遣いで助詞を「へ」「は」「を」と書くことについては制定当時からかなりの批判があるようです。現代仮名遣いの元になった表音的仮名遣いは明治・大正期から一部で行われているのですが、そこでは当然に「え」「わ」「お」と表記しています。
 このことについては、分かち書きの習慣のない日本語において助詞を「へ」「は」「を」と表記することで「文節の末尾」であることを表示できる、という説明があります。けれども、確かに“助詞専用”となった「を」にはそのような機能を認めることができますが、「へ」や「は」についてはどうでしょう。
「助詞は特別。単なる「え」「わ」とは違う」という説明も可能ですが、若干根拠としては弱いものがあることも否めないと思います。
 結論をくりかえせば、「へ」と書くのは「そういう決まりだから」です。通常の社会生活では「現代仮名遣い」に従うことが当然のように期待されていますから「へ」と書くべきでしょう。
 でも、これは決して個々人のプライベートな言語生活まで縛るものではないはずです。実際、社会生活全般を通じて「旧かな」で通している人もすくなからずいるわけですから、逆に「○○さん“え”」という表記をしても個人的な場面ではかまわないでしょう。考えてみれば、色紙での習慣は「○○さん江」、つまり「え」という表記です。

A. うにうにさんから

 口語文と文語体の違いで、「え」と「へ」の使い分けているのではありません。新聞記事も雑誌の文章も、電子掲示板の書き込みも、今日かかれている文章は圧倒的多数が口語文です。そしてそのほとんどは、助詞の「へ」を「へ」と書いています。
『広辞苑』によれば、文語体とは、

「文語2で綴った文章の様式。文章体」

とあり、「文語2」の説明を見ると、

「日本語では、現代の口語に対して、特に平安時代語を基礎として発達・固定した言語の体系、または、それに基づく文体の称」

となっています。わかりやすく言えば、「〜なり」「〜べし」「〜せん」「〜とす」といった文末がたくさん出てくるのが文語です。
 現在でも法律などでは文語で書かれているものがあり、もちろん助詞の「へ」は「へ」と書かれていますが、口語体であってもたいていの場合は「へ」です。たいてい、と書いたのは、わざとルールを破って「〜え」と書くこともあるからです。
 ここで、ルールというのは、Issieさんの回答にあった「現代仮名遣い」のことです。
 さて、当初の質問に対する回答を箇条書きで書いてみますと、こんなふうになるでしょうか。

(1) もともと助詞の「〜へ」は「〜へ」と発音していたのでそのとおりに書いていた。
(2) その後、発音が時代とともに変化し、「え」と読まれるようになり、またそのような書き表し方も出てきた。
(3) 明治時代になり、学校教育などで仮名遣いを統一する必要が生じた。最終的には、平安時代の発音・文法体系に準拠した「歴史的仮名遣い」となった。
(4) 戦後、「現代かなづかい」(のちに改訂され「現代仮名遣い」)を定める際、かなの書き方は、基本的には「現代語音にもとづく」とされた。
(5) ただし、助詞の「は」「へ」「を」は従来の歴史的仮名遣いと同じ書き方をすることになった。

 現代仮名づかいは、いってみれば「歴史的仮名遣い派の主張も一部取り入れた妥協の産物」といえましょう。
 (5)の理由についてきちんと書かれた公式の文書などはまだ見たことがないのですが、『大野晋の日本語相談』(週刊朝日に連載、のちに朝日文庫に収録)によると、
「助詞の「を」「は」「へ」は使用頻度が非常に高いので、これを「お」「わ」「え」と書くことにすると、心理的な馴れに対して、非常に大きな抵抗感があるため、その3字については発音にもとづいた表記はしないことにしたのです」
とあります。
 実際、歴史的仮名遣いで育った人々にとって、「がくかう」を「がっこう」と書き直すときの抵抗感に比べると、「わたしは」「がくかうへ」を「わたしわ」「がっこうえ」と直すときの抵抗感はかなり大きいと思われます。また、「思ふ」などのハ行四段動詞もかなり抵抗が大きかったようで、他の言葉は現代仮名遣いで書いている人でも、手紙などではハ行四段に限り歴史的仮名遣いで書いている人がよくいました。
 また、これは私の推測ですが、読みやすさの問題もあろうかと思います。「を」は現代仮名遣いでは基本的に使わないので、助詞だけ「を」で表わすと、この文字が出てきたら文節の終わりだな、ということがわかりやすくなります。
 また、「わ」の字は(きちんと調べたわけではなく、私の感覚ですが)単語の頭には比較的多く、語尾にはすくない気がします。なので、この文字が出てくると、なんとなく単語(文節)の始めの方っぽい感じがあります。ところが、助詞の「は」まで「わ」にしてしまうと、文節の終わりに「わ」が頻出することになり、なんだか混乱してしまいます。
 以上、長くなってしまいましたが、本件に対する回答といたします。