Q. 星田直彦からの疑問
「何コレ展示館」のNo.042で、「日本国道路原標」を扱いました。東京の日本橋にあるものです。
喜んで、写真を撮ったのですが、後から不思議になってきました。この「日本国道路原標」は、何のためにあるのでしょうか? 単なるモニュメントでしょうか? モニュメントなら、どうしてここにあるのでしょうか?
う〜ん、謎は深まるばかり。 誰か、答えを教えてください。
A. 麻生有美さんから
あれは、記念碑なんでしょう? 客寄せの一種ですねぇ〜。
他には、日本の真中の標もありますし……。何かのスイッチと言うわけでもないですね。
下記のページは、面白いですよ。旧東海道の現在の様子が分かります。
http://kyoto.cool.ne.jp/nununi/kanie/pages_t/tokaido_main.html
A. zeoさんから
日本橋川に架かる日本橋は、慶長8年(1603)年に架けられ、その翌年にはここを起点に里程が定められました(現在でも、「日本国道路原標」の円形レリーフがはめ込まれ、0キロスポットとなっています)。日本国道の起点です。
説明書きはモニュメントのすぐ横にあったはずですが……。
A. らぶりおんさんから
日本橋の「日本国道路原標」ですが、よく道路の交通標識で「東京まで○○km」という標識がありますね。その「東京」というのは、「道路原標」までの距離だそうです。
★GTOさんからも、同様の回答をいただきました。
A. ルネぞうさんから
道路の起点、終点の基準となる標識を「道路元標」といい、1919年(大正8)、道路法によって各市町村に置くことが決められています。それ以前にも「里程元標」という同じ目的のものもありました。
道路元標は、道路に面し最近距離で路端に標石を設置することになっていますが、現在は、デザインに工夫が凝らされ記念碑としての役割が多いと思われます。
ただ、(旧)道路法では
第八条
一 東京市ニ於ケル道路元標ノ位置ハ日本橋ノ中央トス
二 市町村ニ於ケル道路元標ノ位置ハ前項ニ規定スルモノヲ除クノ外府県知事之ヲ定ム
第九条
一 道路元標ハ各市町村ニ一箇ヲ置ク
となってまして、日本国としての道路の起点としての道路元標はなかった(規定されていなかった)ということです。東京市の道路元標だったということ。
ただ、開発などによって市街地が、道路元標から大きくはずれてしまったりして、だんだんその意味は失われてしまい、ほぼモニュメントと化してしまいました。
多分戦後、元あった東京市道路元標(市電の電柱の形をしています。日本橋の北詰め西側にあります)を撤去する際モニュメントとしてあのプレートを作るとき、頭のいい人が、
「日本国とした方がかっこいいぞ」
と思ったんでしょう。
★AssassiNさん、達也さん、トマトカレーさん、サラーサさん、IFGのXさん、
からも、回答をいただきました。ありがとうございます。
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