Q. だんごママさんからの疑問
文章を読んでるいるとき、ほとんどの人が頭の中で音声化していると思います。特に小説は、登場人物毎に声や言い回しまで違って聞こえてきます。
また、CMなどの曲が頭に残るということもあります。実際に声に出していなくても、頭の中で頭の中で自動再生のようになり響いています。
これらの正体は、一体何なのでしょう? 音声と言っていいのでしょうか? 実際に発声している声とは、全く別種のものなのでしょうか?
A. ぽぽろさんから
私もCDプレーヤーなんて必要ないほど曲が流れてきます。
これは推測ですが、耳からの情報を記憶する神経回路から耳からの情報を曲として認識する神経回路につながっているのでは?
空耳も同じような感じではないでしょうか?
A. 岐泊さんから
世に速読法というのがございます。
どれくらい速いかと言うと、文庫本程度なら、ものの数分で読破できるそうです。これは訓練によって、読書する時にたいていの人が自然に行っている「頭の中で音声化」という過程を省略してしまうことで、驚異的な速度を得ているらしいのです。
頭脳の活動を、血流量で捉えて画像化し観察してみると、読書時に、普通の人は音声を司る分野も活発に活動しているのですが、速読法を会得した人が読書すると、そこがまったくといっていいほど活動していないのだそうです。
頭脳の上で、音声を処理するのは聴覚分野ですが、これは言語や論理を扱っている部位とは別になります。
言葉を発するには、発したいという情動が起こり、表現しようとする言語を構成し、発声する為の運動を制御し、発せられた音声を耳で確認するという一連の働きが脳で行われます。
これらの働きは連携しながら、脳のそれぞれの部位で行われるので、脳梗塞などでどこか一部がうまく働かなくなると、言いたいことを自由に喋ることができないという現象などが起こります。
読書は、視覚で文字を捉え、文章を把握して、場面を想像(映像化や音声化)しながら内容を追うという過程になるかと思います。
このときに、普通の人が行っている音声化は、聴覚分野の脳の働きですが、脳内で情報再生のみを行う(音を想像する)ことになっていると思います。発声する時の働き(発声した音を聞く)とはすこし異なるのかもしれません。
想像された(頭脳内での情報として処理されるだけの)音を音声と呼ぶか否かは、浅学にして存じません。もし仮に「音声とは空間の波動の人間の聴覚で感知できる範囲のものを指す」とするならば、想像の音(声を含む)は音声ではない、ということになるでしょう。
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