今、ちょうど、私のギャラリーで作陶展をしています。職人さんなので甕の件を聞きました。
茶色の甕に割合分厚く水滴が垂れたような黒い模様の付いた甕は登り窯時代の物で、上薬は二重がけだそうです。
この垂れたようなかけ薬はもう現在はわからないそうですが、模様をつけるために下の上薬が乾いてから濃い薬を掛け、それを登り窯に入れると松の薪の灰などの作用でできるそうです(今は電気窯なので不可能)。
今となってはその技術も判らないけれど、昔の火鉢なども内側や外側に色は違うが垂れたような模様が入っているとのことです。
今売っているような新しい甕は、単に二重に上薬がかかっているだけで色は自由に出せるそうです。でも、しずくのような黒い色合いで厚みのある模様はできないそうです。
今日この事を聞きました。陶芸家ではなく、いろいろ注文で作っている陶磁器の職人さんですが、これ以上のことは判りませんでした。
★登り窯時代のできあがりを単に再現しているだけなのかな?(星田)
確かに、甕というものの模様というか造りは全国共通のようなところがありますよね。
必ず茶色で口が厚くなっていて、底に近いところは素焼きのようになっている……。水がめは昔、必需品でしたから私もよく見て知っています。どぶろくを仕込むのにも利用されていましたね。
その分、甕は大量生産品ですから、半分だけドボンと釉薬に漬け、それが垂れたような仕上がりになったのかもしれません。
鹿児島あたりの黒酢つくりの甕はすこし違いますね、焼き方も素焼きに近いものですからすこ違うのでしょう。多分、気化熱の関係でこのような造りになっているのかもしれません。
現在の梅干用の甕を見ても、全体が茶色でつるっとして雨だれのような模様になっているのは見かけません。
余談ですが、昔の甕は、ほとんど下半分が素焼きのようになってました。味噌をつくるにしても、梅干を漬けるにしてもその方が黴ず具合がいいように思います(家内が失敗した経験上)。
もう相当以前亡くなられた山窩小説作家、梅干研究家の三角寛氏の家には、100年以上前の梅干が多くの甕の中に残っていて、今でも食べられると言う談話が新聞に出たのを覚えています。これも甕での保存だからよかったのかなと思います。