Q. しんからの疑問
飲み屋で女の子と名刺を見ていたときに、女の子が、
「この町には何丁目は無いの?」
と聞いてきました。そういえば、丁目がある町と無い町があるなと思いました。
町が大きくなったら区切るのか、それとも、何番何号がある以上になったら丁目で区切るのか……、考えてみたのですが、どれも当てはまらないように思います。35番1053番地なんてところもありますからね。
新しくできた町には、「○丁目」があるようにも思いますが、定かではありません。
インターネットの検索サイトでいろいろ探したのですが、疑問を解決することができませんでした。みなさんのお力で、ぜひこの疑問の解決をお願いいたします。
A. masaruchanから
「○丁目」がつくところは、人口増加率などが一定程度あるところが対象となるようです。したがって、大字がついているところより都市化されたところという見方ができます。
A. 洞窟ピングーさんから
住居表示のことですね。
私の住んでいるところは、3年ほど前に「○○番地」から「○丁目△番□号」になりました。
古い町のように家ができた順に番地を振っていくと、郵便や宅配便などを配る人が分かりにくいからかなと思っていましたが、その通りのようです。
http://www.hou-nattoku.com/mame/yougo/yougo57.php
このホームページの最後のところにもありますが、登記上は「○○番地」のままです。区役所に変更の届出も必要ありません。しかし、郵便貯金通帳等については住所変更届けが必要になります。
また、新住居表示を施行の際には郵便局から連絡用に無料で送付できる葉書が100枚程届けられます。
★ほ〜、納得!どっとこむ トップページは下記のURL
http://www.hou-nattoku.com/
A. chomicatさんから
多分、この方式は、昭和40年代の住所表示に関する法律施行で古い地名を消してできたのでしょう。東京はもっと古いかもしれません。明治初年に同じような土地表示の法律が作られたんじゃないかと思います。多分、そこから始まっていると思います。
でも住所表記(たとえば住民票に記載のある)と法務局の登記簿表記は同じ場所でも違っていますね。京都など旧市街は住所表示が3つもあって、法務局のを入れると4つの表記になります。
たとえば私のところなどは、
京都市○京区○○通り○○東入ル
京都市○京区△△町**番地
京都市元□□学区△△町**番地
京都市×京区○○通り○○上ル△△町・・・−・番地
です。郵便局が郵便番号はいらないと今でも言ってます。
なお、昭和40年頃、福井市で実際の表示変更の初日に出くわしたことがあります。住んでる人も自分の住所がわからないと嘆いてましたが、そのとき聞いたことは、
「○○丁目の○○の数字が小さいほど、城下町ではお城に近い」
すなわち、お城にいちばん近いところが1丁目で、離れていくにしたがって数字が大きくなるとのことです。でも、当てはまらない所も多くあるとは思います。
A. 雑学幼稚園生さんから
今回の疑問から派生する疑問です。
「丁目」のつかない町で昔から有名なのは、大阪府の堺市です。こちらでは、「○○丁目」ではなく、「○○丁」です。
自分なりの推測は持っているのですが、なぜ、「○○丁」なのか? このあたりのこと、だれか堺市の人、答えて!
★ふくろうさんからも、同様の情報が寄せられています。
A. りーさんから
この質問に直接関係はないんですが、私が住んでいる泉北ニュータウンは、普通、「○丁目」となるところが、「○丁」なんです。「目」がないんです。
どうしてかはよくわかりませんが、ほかの地域ではあまりないようなので報告しました。
★りゅうぞうさんからは、下記の2つのサイトをご紹介いただきました。
http://www.city.fujisawa.kanagawa.jp/~sidouka/zyukyo/zyukyo.htm
http://www.city.akita.akita.jp/city/ct/cm/jukyohyouji.htm
A. HIROTさんから
堺市の住所が「○○丁目」ではなく「○○丁」である理由は、証拠となる資料がどこにも残っていないため、ハッキリとはわからないのですが、通説があるようで以下のサイトで詳しく記述されています。
http://www.osk.3web.ne.jp/~kei/chou.htm
また、堺市のサイト内でも以下URLで同様の記述がありますので、ご参考として報告させていただきます。
http://www.city.sakai.osaka.jp/city/info/_kukaku/naze.htm
http://www.city.sakai.osaka.jp/city/info/_kukaku/rekisi.htm
A. 岐泊さんから
「○丁目」がある町とない町では、だいたいにおいて、ある町の方が無い町よりも町の規模が大きいようですね。逆に言えば規模が大きくて丁目で小割りする必要があるのでそうしている、と言えそうです。
ところで「丁目」という言い方ですが、これは江戸時代の町割りに由来します。
現代は「丁(丁目)」が「町」の小単位のように扱われていますが、江戸時代の地図を見ますと、細かい地域の町名表記に「町」の文字の代わりに「丁」を使っている例をよくあります。本来「丁」は「町」と同じ文字として使われていたのでしょう。
(同じ意味の文字を用いる時に、より重要性が高いと思われるものに楷書、比して軽微な下位のものには草書などの略体を用いる…という使い分けが当時一般に見られます。そこであるいは「町」に比し「丁」の方がより小さい地域に使う傾向があったのでは? という推測も…大変魅力的なのですが、残念ながら、この点についてはまだ調査中;)
「町」(まち、ちょう)の成立はもっと古くまで遡れまして、日本最古は京(みやこ、きょう)であろうと思われます。
京は中国の城里都市を手本として計画開発した所で、開都当初はあったものの後世付近が発展せずについに廃れてしまった道もけっこうあるのですが、逆にだんだんにぎやかになったところでは道を挟んだ両側に軒を並べて家屋が林立するようになり、その一帯が「○○町」と呼ばれるようになったようです。
中国の城里制都市ですと、四方を道で囲まれた一角が一単位になっているのですが、日本の「町」は長いあいだ基本的には上記のような「道を挟んだ両側」であり、「町(丁)」とは、街区とその中心をなす道の両方を指す語でした。「丁」の字を使う「横丁」という表現などはその名残りと言えるでしょう。
現在は戦後の都市開発によって成立した町が多く、道で区切られたブロックごとに町や丁目が分かれているのが大半ですが、京都市など、古い街区割りが残っている地域では今でも道路の両側が同じ町内で、ブロックの真ん中に町の境界線が通っています。(そうなるとブロックを占めるように建つ場合どちらの町に属するのかと思われるでしょうが、郵便用住居表示では正面玄関の位置が採られています。)
さて「丁目」という表現ですが、これは前述のように江戸時代、江戸や大阪など大きな町で用いられたのが起源になると思われます。国内戦の無かったこの時代、道に沿ってだんだん町が延びますと、新たに町名をつける場合もあれば、元の町の延長扱いで、交差する道で区切られた所までをひとくくりとしてそれぞれを「○丁目」と名づけたりもしたのでしょう。
それほどの繁栄は京以外では城下町が多く、城に近い方から一丁目、二丁目…とつけ
たのが多いようです。(城下町以外に宿場町や鉱山町も考えられるのですが、そちらではどうかを知らないままのザル論ですみません…;)
「丁目」の「目」、これはもともと「ひとつめ、ふたつめ」の「め」と同じで、ただそこに「目」の字を当てたものと推測できます。まず耳で聞いた時に「チョウ」だけでは○○町と同じ音なので、便宜として「チョウメ」と呼ぶようになって、後に表記されるようにもなったのでしょう。堺市のような「丁」が表記としては本来のような気がしています。
ところで「丁」は中国で距離単位としても用いられ、日本でも距離単位としての「丁」がありました。それぞれの地域で、また時代で、一丁の長さが違いますが、詳細は割愛します。(調べ直しできなくて…すみません。)
「丁目」ないし「丁」の長さが、その「一丁」だったのか?は興味深い所なのですが、今に残る在り方を見る限りでは、丁目ごとの長さはだいたい同じ程に揃えているものの、一丁よりはずっと短いような気がします。「丁目」の「丁」は距離単位の「丁」とはあまり関係が無いのかもしれません。
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