実は、私も気になって、山梨県富士吉田市富士山課さんに伺ったことがあります。メールのやりとりが残っていましたので、ご紹介いたします。
(★星田注:掲載のご承諾をいただいています)
---- 綾小路さん→山梨県富士吉田市富士山課さん ----------------------
かねてよりの夢だった親子で富士登山を、いよいよ今年の夏に決行しようと、計画しているおっさんの疑問です。
「どや、知ってるか?」と、子ども達に登りながら話してやろうと、富士山のウンチクをネットで掻き集めているんですが、
「誰が、5合目とか決めたんだろう?」
この疑問が解消されず、夜も眠れません。
国語辞典によると
「登山路の概略を示す単位。頂上までを険阻の度を目安として一〇合に分ける」
とあります。しかし、実際の登山道等の距離なのか、当然標高差で変わってくる険しさつまりしんどさ度合いによって決まっているのか、単なる標高でないことは貴ページリンク先の山小屋のサイトにある表をまとめてみて解ったんですが……
富士山頂
3776m
九号五勺 3590m 差186m
九合目 3460m 差130m
八合目 3250m 差210m
七合目 3010m 差240m
新七合目 2780m 八との差470m
六合目 2600m 七との差410m
新六合目 2490m 新との差290m
新五合目 2400m 90m
(山小屋のサイトによっては標高と合目の表示が微妙に違います)
標高は国土地理院とかが計測し、地図を発行しているのだと思うんですが、どうやって、この「○合目」は、決まったのでしょうか? 誰(どこの部署?)が決めたんでしょう?
また、「新○合目」っていうのは、多分、登山道の整備か何かで変わったものと思われますが、いつからが「新」なのでしょう?
この疑問を解消できるのは富士山課さんしかない! と思いメールさせていただきました。
---- 山梨県富士吉田市富士山課さん→綾小路さん ----------------------
富士山の「○合目」という呼び方の由来についてですが結論から言いますとはっきりとはわかっておりません(謝)。
昔から、登るときに照明に使った行灯の油の消費量で決めたとか、お米の消費具合で決めたとか……というような俗説はあるのですが、どれが正しく、またいつから呼び始めたのかはわからないようです。
過去の文献を調べてみますと、江戸時代中期に賀茂季鷹という国学者が書いた『冨士日記』という書物に「○合目」という記述があるのが最初のようです。「富士吉田口登山道」にかぎって言いますと、「○合目」の区切り方は……、
「時代によって変化している」
だそうです。
頂上(10合目)と馬返し(0合目?)は変わりません、また、5合目も昔から森林限界の地点とされていたそうなのでさほど変化はないのですが、その他の「○合目」については、登山道途中にある様々な目印(史跡や自然物)に合わせて決められているために、その間の距離や区切りのバランスがマチマチになってしまったのではないでしょうか?
そうすると当然区間の長い「○合目」ができてしまうので、それを調節するために、「○合5勺」や「本○合目」「新○合目」という新しい区切りの地点を作ったと言われているようです。
たとえば、吉田口登山道(山梨)と須走口(静岡)が合流する地点を「本八合目」としていますが、吉田口登山道をすこし下ると普通に「八合目」があります(笑)
いつどのように「○合目」の地点が変化していったのかまでは残念ながらわかりませんでしたが、その時々の必要に応じてつくられていったことは間違いないようです、誰が決めたのかについてもはっきりしたことはわかりませんでした。
また、他の登山道ではちがった解釈があるかも知れませんので念のため申し添えておきます。
---- 綾小路さん→山梨県富士吉田市富士山課さん ----------------------
メールを送った後も、いろいろと検索語句を替えて検索してみたら、
■富士宮市
のページの豆知識19.2000年9月にも同様のお答えがありました。
なるほど要は古くからの地名だと考えてよさそうですね。
登るときに照明に使った行灯の油の消費量で決めたと、この俗説が結構すんなりと納得できるので、子ども達にはこの説を有力説のひとつとして教えてやろうと思います。
ありがとうございました。