--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.321 (2003.12.19)

Q. あっちょんぶりけさんからの疑問

 今年(2003年)は、鉄腕アトムが誕生したと設定されている年です。
 私は、手塚治虫の作品が大好きです。『火の鳥』『ブラック・ジャック』『アドルフに告ぐ』『陽だまりの樹』……、言い出したらきりがありません。『陽だまりの樹』なんかは、大河ドラマでやってほしいくらいです。
 これだけの作品を送り出した人ですし、なんと言っても『鉄腕アトム』は、日本初のテレビアニメです。
国民栄誉賞の資格は十分すぎるほどあると思うのです。
 どうして、手塚治虫は、国民栄誉賞をもらえなかったのでしょうか? 今からでもダメ?
 今年(2003年)なんて、アトム誕生にひっかけて、授与することもできたと思うのですが……。


A. ともやさんから

 国民栄誉賞とか勲章とかは、誰が与えるのかを考えればわかると思います。国家権力ですよね。それを頭に置いて手塚治虫の漫画を読めばわかるとおもいますが、結構、権力批判をしているのですよ。『鉄腕アトム』なんかはそうではないですが、『ブラックジャック』とか『火の鳥』はそうですよね。だからあげないのです。日本ももっと器量が大きければいいのにね。

A. フクスケさんから

 手塚漫画は確かに素晴らしいし、内容はヘタな小説よりも、はるかにテーマ性に富んでいて、しかも高度です。私も為政者側ならば国民栄誉章を差し上げたいところですが、次の2点からむずかしいと思われます。

 1、ご本人が故人となって相当年数が経っていること。
 2、彼の作品はどちらかというと反権力者・反政府的な色があります。

「2」がいちばんの理由と思うのですが……。彼の作品が、現在の政権にそったものならばともかく、ことに小泉さんの考え方とは乖離した方向にあり、これで国民栄誉賞というのはほとんど無理に近いのではないでしょうか。
 現政権が何らかの形で倒れて、手塚さんの思想に近い政権が確立したならば1の理由も大した否定要因にはならないはずです。
 まあ、我が国において「賞」というものは、主義や思想をともなわないスポーツ・芸能にしか与えられない、そういう無意味ものなのですよ。
 第一、ノーベル賞受賞が決まって、慌てて文化勲章を授与されている例が多いでしょう。そんなものを手塚さんが喜ぶかどうかわかりませんし、ましてや、彼の作品や真価が世界中に認められ、見直されていき、ひとりでも多くの読者の感動を呼ぶことこそ、彼の望むことなのではないのでしょうか。
 彼の漫画をもっと読んでください。そして彼の「思想」に触れてください。『きりひと賛歌』などはおススメですよ。

A. フランダースのジョンさんから

 国民栄誉賞選考委員ではありませんので、噂話として聞きかじったものですが……。
 国民栄誉賞に『サザエさん』を描いた長谷川町子さんが選ばれたときがありました。初の漫画家受賞と言うことで、当時、けっこう騒がれました。
 そのとき、当然といえばあまりに当然のごとく、なぜ手塚治虫じゃないのか?とも言われました。その答えの中で、私がああこれかと、印象に残っているのが、「手塚治虫は、政権を支持していないからではないか」というものでした。世の中がかなり変わらないかぎり、手塚氏の受賞はないかもしれません。
 とにかく、手塚治虫を熱愛する一読者として、選考委員の皆さんに対し、国民栄誉賞の選考基準に強く抗議するとともに、今は国民栄誉賞に全く興味すらなくなってしまった責任をとってもらいたいものです。

A. じゃんぷちゃんぷさんから

 国民栄誉賞は総理大臣の判断によるもので、閣議決定を経て授与されるものだとか。選考基準が曖昧なので、首相や内閣の人気取りとの批判もあるらしいです。
 手塚治虫の功績を考えれば、国民栄誉賞を受ける価値はあると思います。
 でも、彼自身は受賞することを喜ぶのでしょうか。彼の作品の中には、国家や政治家へ対する痛烈な批判があちこちに散りばめられています。そんな彼が国家から国民栄誉賞をもらうというのは、ちょっと皮肉な感じがします。
 ずっと昔から、
「手塚治虫が勲章をもらえないのは、叙勲者を決めているのが高級官僚で、反体制的な手塚治虫に勲章をあげるわけにはいかないと考えているからだ」
と言われていました。海外の叙勲制度では、体制批判をしたジャーナリストらも多数勲章を受けているようですが……。
、私は手塚ファンのひとりとして、「国家からの表彰は全く受けず、しかし、国民からは愛されつづける」というほうが、ずっと手塚治虫らしいと思っています。いかがでしょうか。

A. 岐泊さんから

 こういった「賞」を授賞するに当たっては、裏話になってしまいますが、たいていまず周囲の人々が受賞に向けて、いろいろと関係者方面に運動して受賞にこぎつける……ともよく聞く話です。そういう場合は、大概、ご本人もそれを奨励まではしなくても了承している場合が多いようです。
 例外は、他国や世界で先に受賞し、それを後追いする場合で、先のノーベル賞受賞者に文部科学省が慌てて出したなどは、その例になりそうです。
 また、授与を最終決定をする段階には、必ず、授賞者の発表前に、まず、受賞候補者本人に連絡を取り、
「受けて下さいますね?」
と尋ねて受賞意志があることを確認した上で、受賞を発表するのが通例のようです。これが、日本では「○○賞を辞退した」ことがニュースにならない理由なのでしょう。
 辞退した人が賞を授与されかけた根拠は、この一本の電話しかないわけで、本人が電話内容を喋ったところで、証拠は無いのです(内部告発文書でも出てこないかぎり)。
 そういう噂話から推測しますと、受賞されなかった理由は、

 1、何らかの理由で候補にあがらなかった。
 2、候補にあがったが、ご本人が辞退した。

の2点が考えられます。私としては、どちらもありそうに思われます。御作から御人柄を推定するかぎりでは、後者が大いにあり得そうです。もし後者なら、死後授与もないでしょう。

A. SHOWさんから

 国民栄誉賞については、規定で、
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった方に対して、その栄誉を讃えることを目的」
として創設されています。受賞者は「閣議」で決定され、これに合致された方が、内閣総理大臣より授与されるわけです。
 では、手塚治虫はこの条件を満たしているかですが……、私見ですが、彼の残した作品や、国内だけでなく海外での作品の評価等を勘案すると、広く国民に愛され評価されている僕は思っています。したがって、僕も以前から手塚治虫は国民栄誉賞を受けるべき人ではないかと思っていたクチの人間です。また、長島茂男や石原裕次郎なども受賞に値する国民ではないかと思っています。
 では、どうして授与していないのかですが、以前から国民栄誉賞には「政府が国民のご機嫌取りの材料として使っている」といった批判が以前からありました。有名なところでは、過去「石原裕次郎」が亡くなられたときに、国民栄誉賞が検討されました。が、当時の内閣が立て続けに国民栄誉賞を与え、国民の支持を得ようとしたという野党の反発があったため見送りになったというケースがあります。そういった確執が、かなり受賞に左右されるところがあると思います。政府の人間以外の誰かが、評議会のようなものを作って授与することを決めるような仕組みにすれば、もっと国民が納得できる賞になると思うのですが……。
 死没後何年か経ってからの受賞が可能かという点ですが、国民栄誉賞には、勲章のように叙勲基準がないため、死後数年経っても授与は可能と思います。ただ、死後すぐに授与された例は何人かおられますが、死後数年も経ってから授与された例はありません。したがって、○回忌の年であるとか、本年のように代表作であるアトム生誕記念年のようなイベントがないと、授与する名目がないし、国民に対する理解も得られがたいとも思います。

筧 通文さん、nWo検校、お茶の水博士さん、narさんからも、回答をいただきました。ありがとうございました。