Q. hikkunからの疑問
今回は長年の疑問を解明したいと思いメールしました。
子どものころ、お寺さんが経営していた保育園に通い、日曜日にはカトリックの日曜学校に行っていたありがちな京都人なんですが、そのころ、「取り返しのつかないもの」の代表として3つ教えてもらいました。
一つは「過ぎ去った時間」。次に「放たれた言葉」。そして、もう一つがどうしてのも思い出せないのです。
修学前に教えていただいたという記憶は確かなのですが、その話をお寺で聞いたのか、日曜学校で聞いたのか、覚えていません。そもそも、講話で聞いたのかどうかさえ、思い出せません。
また、2つは強烈に覚えているのに、どうしてもう一つを忘れてしまったのか、それも疑問です。
みなさん、よろしくお願いします。
A. くるま仙人さんから
講話の話は知りませんが、個人的な意見で、それは「失くした、愛」じゃないですか? 戻ってきませんよね。
「よりが戻る」っていうのもありますが、その場合「愛」を「失くした」んじゃないんですよ。「見失っただけ」なんですよ。
押せば逃げる、引けば寄る。男女の仲はむずかし〜い。
A. ふくろうさんから
取り返しのつかないものの最後の一つについて、自分で考えてみました。
「失った命」
というのはいかがでしょうか。「命を大切に」というお坊さんの話しとも合致します。
A. jh9ifgさんから
「過ぎ去った時間」。次に「放たれた言葉」。そして、もうひとつは「いのち」ではないでしょうか?
法事や、お寺での「説教」(講話とも言うらしいが)で、よく聞く話ですね。
「人は、取り返しのつかない(いのち)を、食べていかなければ生きていくことができない。万事、命に感謝し、慈悲を持った人になりなさい。」
お寺の住職のありがたいお言葉を引用させていただききました。
A. むぅさんから
現在韓国に住んでいますが、韓国では
1. 過ぎた時間
2. 言ってしまった言葉
そして 最後は,
3. 放たれた矢
です。
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