--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.366(2004.07.01)

Q. ちえさんからの疑問

 かなり季節はずれなのですが、ずっと疑問に思っていたことなので……。
 節分では、豆をまきますよね。「鬼は外!」って。
 幼稚園の豆まきの行事なんかでも、鬼に扮装したパパさんに向かって、子どもたちが豆をなげつけて、鬼が逃げていきます。

 そもそも、どうして、鬼は豆がきらいなんでしょう?
 豆ですよ! あんなもの当てられたって大したことないのにな〜。

う〜ん。たとえば、「豆まき」の行事に鬼を登場させたのが、実は、最近の話だとか……。(星田)


A. hikkunさんから

 別に痛いから逃げてる訳ではないんです。
 穀物や、果実には「邪気を払う霊力」があると考えられており、豆をまくことで豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込むと考えたのでしょう。
 人々は、鬼を退治するために鬼が嫌っている豆を投げ込んだところ、鬼は静かになり出てこなくなりました。これが節分に豆をまき、鬼を追い払うことの始まりとも言われています。

A. うききさんから

 豆(まめ)は、その語が「魔を滅亡させる」という意味、すなわち、「魔滅(まめ)」に通じるということから、鬼がきらいなものとされるようです。

A. ぽんぽこさんから

 ネットで検索してみたら、山のように情報が出てきました。それらを総合すると……。

・もともとは、「節分」と「鬼追い」と「豆まき」は別物だったらしい。
・もしも豆が「鬼に対する武器」だとしたら、「鬼は外」と外に向かって投げるのは解るが、「福は内」と中に撒くのは理に合わないような……。
・平安時代に、中国から伝わった「追儺(ついな)(鬼やらい)」という儀式が、宮中で行われるようになった。異様ないでたちで鋒と盾を持ち、目に見えない疫病神を追い払う儀式だった。ところが、平安末期には、「追い払い役」の異様な格好が「鬼」と間違えられるようになり、いつしか「鬼」を「武官」が弓で射掛けて追い払う儀式になった。
・一方、「散米」「うちまき」という神事があり、米や小豆、五穀などを撒いて精霊にお供えしたり、邪気を収める儀式があった。豆は蛋白質が豊富なので、食べると体が元気になる。だから豆は「霊力が宿る穀物」と考えられて、散米が豆まきに変化していった。
・「節分」は「季節の分かれめ」という意味だが、旧暦では「立春」と「正月」が近いため、「旧暦大晦日」に行われる「邪気を退散させて新しい年を迎える」儀式が、上記2つと混ざった。
・三つが融合して、今の「豆まき」の形で庶民に広まったのは、江戸時代ごろらしい。
・陰陽五行説によれば、「春」は「木気」。「木気」を強めるためには、「木気」に勝つ「金気」を弱めなければならない。「金気」に勝つのは「火気」。「悪病・邪気」は「金気」。「大豆」も堅いから「金気」。「大豆」を煎る(=火を加える=火気を強める)ことで「金気」を弱め、さらに叩き付けて「金気」を捨て、「木気」を助ける=春を迎える。大豆は「鬼」そのものであり、室内に撒いた大豆を食べることで「鬼を無くす」……というのが『陰陽道由来説』。
・「豆は金気」なので、豆をぶつけられた鬼は、金属で攻撃されたかのように痛がる…というのが『陰陽道由来説2』。
・豆は「魔目」「魔滅」に通じ、「新しい年もまめに暮らせるように」との思いから、豆が使用されるようになった……というのが『語呂合わせ説』。
・大豆は煎るときに大きな音がする。大豆を床や天井にぶつければ大きな音がする。邪気は音を嫌うから、豆をまいて邪気を追い出す……というのが『大きな音説』。
・京都には、「鞍馬山の鬼を豆で撃退した」という伝承があるらしい。節分の豆まきは、この伝承に由来する……という説もある。

 結局のところ、どうして「豆」なのか定かではない。が、それなりの意味付けはされているみたい。

A. おーるぶらんさんから

 何かで聞いた話ですが……。
 昔、鬼が里に降りてきては子どもを食べるので、困り果てた村人が神様に、鬼を何とかしてほしいとお願いしました。
 神様は、「炒った豆を家の外に撒いておきなさい」といいました。神様はまた、鬼たちを集めて言いました。
「家の外に撒かれた豆から、芽が出ていたら、その家の子どもを食べて良い。しかし、芽が出ていない家の子どもを食べたら、死ぬほど懲らしめるぞ」
でも、炒った豆からは決して芽は出ません。こうして子どもたちは鬼から救われたのでした。
――と、いうことで、鬼が豆を怖がるからではなく、鬼に食べられないように人々が炒った豆を撒くのが豆まきの意味なんですね。
――というようなことを聞いた覚えがあります。鬼でも神様は怖いのか〜、と思いました。

A. いんべひろしさんから

 確かにただの豆なら、大したことはないでしょう。でも、あれは、もともと炒り揚げた豆をぶつけたんだそうな。
 炒った豆ですから、当然熱いですよね。その熱い豆をぶつけられれば、さすがの鬼でも「こりゃたまらん」でしょう。
 ちなみに、これは「鬼打ち豆」と言う名前で売られている豆の袋には、たいていそのように書かれています。
――ということは、そのまま撒かずに、炒ってから撒くのが正しいということですよね。鬼より先に、人間の方が手が火脹れになって音を上げそうですけどね。
 しかし、昔は嘘をついているかいないかを見分けるのにのに、熱湯に手をつけるなんてこともあったそうです。嘘をついてなければ、ヤケドはしないというけど、どう考えてもでっち上げの手段だよね、あれは。

A. 音橋彼哉さんから

 節分は元々季節の分かれ目ということで、年に四回ありましたが、旧暦の2月4日は立春で新年にあたり、特に重視され残りました。
 そもそもこれは平安の宮中行事で「追難(ついな)」というものが元です。これが民間に伝わったものです。これは残酷な行事で、浮浪者を鬼に見立てて石を投げ当てて追い払ったものです。これが豆に変わったのではないでしょうか。
 なぜ豆をまくのかは諸説あるそうですが、豆が魔滅に通ずるというのが一般的です。おもしろいものでは毘沙門天が鞍馬山の鬼を退治するために3石3斗の豆をぶつけたそうです。鬼の目つまり魔目に豆をぶつけて魔滅するということらしいです。

麻生有美さんからも、回答をいただきました。ありがとうございました。