Q. ふくろうさんからの疑問
たとえば、居酒屋で料理を注文し、みんなですこしづつ分け合うと、お皿に一切れだけ残ったとします。お互いが「誰か食べぇなぁ」と言い合います。すると、誰かが「みんな、遠慮の固まりやなぁ」と言います。
ところが、インターネットで「遠慮の固まり」を検索してみると、「遠慮している人」「遠慮している状態」で使う例よりも、「遠慮の結果、最後に残ってしまっている物」に対して使われる場合が圧倒的でした。
さて、さて、「遠慮の固まり」は、「人」なのでしょうか? 「状態」なのでしょうか? それとも「物」なのでしょうか?
また、なぜ、「遠慮の固まり」なんでしょう? いつ、誰が言い出したのでしょう? もしかすると著名人?
先日、ドラマの中でもこのセリフを聞きました。ということは、この変な日本語、「全国区」なんでしょうか?
★かたくなに遠慮している人、あるいは、お互いが遠慮する「状況」を「遠慮の固まり」というのは、まだ分かるのですが、最後に残った物を指して「遠慮の固まり」というのは、なんだかとっても違和感があります。(星田)
A. なぞなぞすき^^;さんから
こちらは四国愛媛ですが、「遠慮の固まり」は聞いたことがあります。でも、わたし自身は使ってません。使いそうになったら
「遠慮して……」
に切替です^^。あまりこの言葉は好きになれません。
A. おとーさんさんから
群馬県在住の者です。
たとえば、残り一個が食べ物の場合、最後の一個を取ると、喰い意地が張っているようにみられるのが嫌で遠慮した状態を指すと考えます。
ちなみに、残ったものが自分の好きなものの場合、「関東の一個残り!」と言って最後の一個を勢いよく奪い取って食べた記憶があります。
A. おかかさんから
「遠慮のカタマリ」は「塊」ではないでしょうか? みんなの遠慮がかたまった物……って感じで。
大阪出身ですが、祖母の代から言ってました。ちなみに同じことを、関東に来たら「関東の一つ残し」と言うんだと教えられました。
A. 音橋彼哉さんから
語源というわけではないのですが、「遠慮のかたまり」というのは関西の言葉のようです。関東では、「関東平野の一つ残し」、あるいは、「関東の一つ残し」と言うようです。ちなみに私は中部地方の出身ですが、どちらも知りませんでした。
また、長野では「信州人の一つ残し」という言葉もあるようです。
「関東の一つ残し」は、「関東人は奥ゆかしくて、あるいは体面を気にして最後の一個をとらないので残ってしまう」という意味のようです。
奥ゆかしさというだけでなく、食べきれないという意味を含め、出してくれた人への感謝や礼儀という意味もあるようです。
さらに、中国では出された料理はすこし残すのが礼儀だという話もあります。私は残した方が失礼とも思いますが……。
★私は関西在住ですが、「遠慮の固まり」という言葉は昔からあった言葉だとは思えないのです。すくなくとも、私はこの言葉を使用しません。(星田)
A. いったんさんから
「誰が言い出したか」という答えではありませんが、参考になれば……。
私自身は中部生まれです。日々の生活でも、「遠慮の固まり」はよく言います。もともと親(両方とも中部生まれ)から教わった言葉ですが、
「みんなが遠慮して最後に1個だけ何かが残ってしまった」
→「残ったのはみんなの遠慮を象徴するモノ」
→「遠慮が凝り固まって残ってしまったような存在」
→「遠慮の固まり」
という図式で理解していました。
上京して関東圏に住んだときに、遠慮の固まりの別名として、「関東人の一つ残し」ということを知りました。この言葉には、
「関西人は遠慮しないから残っていたものは食べてしまうが、関東の人は奥ゆかしいから最後の一つに手をつけない」
という意味があるとのことです。
かくいう私は、今も昔も「遠慮の固まり、いただきー!」と言って最後の1個を平気で食べてしまうヤツでございます。
A. うさぎきょうさんから
答えではないですが情報を。群馬県在住です。
「遠慮の固まり」は、一つだけ残った「もの」に対してのみ使います。類似の言葉で「関東の一つ残り」という言葉を近所のじいさんが使います。「もの」「状況」両方に対して使うもよう。
<建前や見栄を気にする関東人は最後の一つに手を付けない>の意。
学生の頃大阪にいたのですが、関西の人(生粋の京都人は除く)は、我先にと手を伸ばし「ウチがもらうで♪」「早いもん勝ち!」などとはしゃいでいたなと思い出しました(^_^;)
A. たっちゅ♪さんから
他の方の回答をみて、思い当たる節がありましたので、メールさせていただきます。
私は熊本の出身ですが、熊本では「肥後のいっちょ残し」と言う言葉があります。
※いっちょ=一つですね
これは、他の方が先に言われている「信州人の一つ残し」や、「関東の一つ残し」
と、同類の言葉になると思います。
私が父親から聞いた内容としては、
「肥後の人間は、お互いに遠慮しあって、最後の一つに手を出さない」
と言った意味合いでした。
この言葉があるからかどうかは判りませんが、肥後(少なくとも、私が暮らした20数年間)では、「遠慮の固まり」と言う言葉は聞いた事がありません。まぁ、私は残り一つでも平気で食べますけどね……。
★奥田さん、ペネさんからも、回答をいただきました。ありがとうございました。
Comment ふくろうさんから
全国からの解答を見て笑ってしまいました。
「関東の一個残り!」
「関東の一つ残し」
「関東平野の一つ残し」
「信州人の一つ残し」
「関東人の一つ残し」
関西と関東で言い方が違うんですね。
「関西人は遠慮しないから残っていたものは食べてしまうが、関東の人は奥ゆかしいから最後の一つに手をつけない」
という解答には、関西在住として、「失敬な!」と突っ込んでしまいましたが、「建前や見栄を気にする関東人は最後の一つに手を付けない」
という解答には、「武士は食わねど高楊枝」という言葉を思い出し、なるほど、そうかもと納得してしまいました。
いろいろと楽しませて頂き、ありがとうございました。
A. よこげさんから
基本的には「遠慮の塊」という言葉を使用する場面は、往々にして、大皿に1つ残った物に対して使う場面が多いのは間違いないです。このいつまでも1つ残っている状況は、その場にいる人には、基本的には気分が良いものではありません。遠慮して手を出しにくいです。
また、お店、その他、提供している側も、残っている以上、なかなかにお皿を下げることができず合理的ではないです。
この膠着した状況を打破するため、
「遠慮の塊いただきます!」
「遠慮の塊やけど、どうぞ」
という使い方をします。
よって「遠慮の塊」とは、遠慮の膠着状態を続けるのはバカバカしいので、その原因になっている物を取り去るために使用する言葉と考えます。
私は、この言葉自体は言葉の中でも状況を一変に変えてしまう力を持った魔法の言葉と思います。
関東平野の何とか……、その他は単に状態を言っているのか、遠慮の塊のように、膠着状況打破するための魔法の言葉なのかが反対に気になります。
ひょっとすると、この「関東平野の何とか」等をひねっくった言葉なのかもしれないとも思いをめぐらせてしまいます。
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