Q. 蟻ん子さんからの疑問
ふと、疑問に思ったことが出てきましたので質問させていただきます。
現代人は「江戸時代」「室町時代」「奈良時代」「戦国時代」などと、行政府のあった場所などで時代を呼称していますが、たとえば江戸時代の人は、平安時代や室町時代などのことをどのように区分し、どんな名前で呼んでいたのでしょうか?
戦国時代は室町時代とかぶっているので、室町時代を区別していたのかどうかも気になるところです。
くだらない疑問ですが、よろしくお願いいたします。
A. やまおさんから
グッド・クエスチョンですねぇ。
答えは「江戸時代」を「現代」、「奈良時代」を「近代」と呼んでいました。
★それは、江戸時代の人が、そのように呼んでいたということですね。(星田)
A. みずすましさんから
昔の人は、特に奈良時代に人は、時の天下を治めてた天皇が決めた年号(今
でいう平成、昭和)で覚えてたとおもいます。
古文書に記載してる時代の感覚(ものさし)が今と違って、自分たちが生き
ている期間に重点をおいてたとおもいます
決して馬鹿にするわけじゃなく、今を生きることを大切にしていた先祖を見
習うべきと思います。
A. キノタクさんから
「戦国時代」「江戸時代」などの区分は現代から振り返った区分です。今は主に戦後を現代としているけれど、今から数百年後には、いくらなんでも数世紀も前のことを「現代」なんていうのもおかしいから、また違った呼び名で呼ばれることでしょう。
当時の文献などを見ると、江戸時代くらいにはいまでいう昭和、平成などの元号の考え方が普及してきたので、たとえば元禄何年、万永何年というような年毎の区分に頼っていたようです。
元号はもともと、何々天皇の治世であるとか、徳川何代将軍誰それの頃であるとか、当時の為政者の世代で分ける区分です。
過去の歴史を何時代であったかというような考えそのものがなかったのです。当時の市民にそれだけの歴史観そのものがなかったと考えるほうが自然です。文字も書けないし、紙は手に入らない農民達などは、きっと今日を生きることで精一杯だったんじゃないでしょうか。
A. 暮雪さんから
日本の時代区分を江戸時代以前にどう呼んでいたのか、興味深い疑問です。
答えは知らないのですが、その糸口としては、国家と歴史の意識がいつごろどのような形で生まれたかです。代々の天皇と年号の意識は古くからあったかもしれません。
手がかりは新井白石、水戸光圀、頼山陽、本居宣長らがそれをどう認識し呼んだかです。逆に言えば、現行の時代名を明治時代以降だれが命名したかです。おそらく明治時代の大学国史学者だろうと思います。誰か教えてください。
A. ルチアーノ・パパクニさんから
詳しくないのですが古典などを見ると、基本的には天皇(帝)、将軍(征夷大将軍)などの名前を用い、「○○天皇の御代」とか、「義満公の頃」などと言っていたようです。
また、大きな歴史的な事件(戦争、内乱)などを指して、「○○の頃」などと言っていたようです。
|