--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.531 (2006.06.27)

Q. うりゃあさんからの疑問

 大阪に住んでいます。
 日本橋というところがあるのですが、そこは大小の電気屋さんがたくさん集まっています。「日本橋=電気の街」です。
 初めて秋葉原に行ったときは、驚きました。話には聞いていましたが、日本橋同様、「電気の街」でした。
 あれだけ電気屋さんが集まっていて、競合しないのかなといつも不思議なのですが、きっと「集まっている」ことが「売り」になっているのだと、自分では解決しています。
 それよりも、
どうして秋葉原や日本橋のような街が形成されたのか? そっちの方が気になります。どなたか、教えてください。

高校の頃、学校の帰りによく日本橋に行きました。別に何も買わなかったけど……。(星田)


A. 異邦人さんから

 電気街の成立ですが、東京の秋葉原と大阪の日本橋、名古屋の大須では異なる経過をたどった経緯があるようですね。
 秋葉原の場合は第2次世界大戦の後に「闇市」から発展したものだそうです。この闇市風の店舗は現在でもその姿を留めていますね。
 歴史的には神田佐久間町といって、江戸時代から明治時代の頃までは「材木問屋」の街でした。明治から昭和の頃は「繊維問屋」の街とも言われていましたが、戦後からは「電気街」で有名になりました。今は「オタクの街」とか言われているようですね。

A. 江戸川三連豚さんから

 東京生まれ育ちなので、秋葉原のことだけ書きます。
 東京の各繁華街の再開発の影響で、電気部品商、機械部品商のような中小企業が、第2次大戦前・後当時、山手線内でも開発が遅れていた秋葉原・御徒町に集まったというのが実態のようです。
 一般には、大戦後、電気部品商が秋葉原に集められた(ラジオ会館などのガード下店舗)と言われてますが、山際電気をはじめ、老舗の電気屋は戦前からあの界隈(駅前ではないが)にあることから、秋葉原に集められる下地はあったわけですね。また、北隣の御徒町は「機械部品の町」と知られていましたが、もはや見る影もありません。 
 昨日、御茶ノ水を歩いていた際、関西系の二人連れが、
「なんで東京って専門街にまとまってるんやろ?」
と話していたのですが、東京の場合、「その時代に発展している産業は、地代が安いところに集中する」というセオリーがあります。原宿が「ファッションの街」なのはこのためです。
 秋葉原・御徒町も戦前は、上野−浅草−神田に挟まれた後発地で地価が安かったので、当時新規産業だった電気部品商が秋葉原−御徒町間に集まってきたのです。神田は当時から商業地、特に衣類商の街として発展していたので、電気街は神田川を越えることなく、今も北へ、機械部品商が立ち去った御徒町方面へ発展しています。
 また、東の昭和通りも越えることがないのは、電気部品関連企業の事務所が多く、商業地としては地代が高過ぎるのでしょう。

SACHIEさん、麻生有美さんからも、回答をいただきました。ありがとうございました。