Q. あみさんからの疑問
小説はよく読む方です、
そうだ、次は、古典に挑戦しよう! ――と思ったのですが、読めません。『枕草子』も『源氏物語』も、読みにくいのです。注釈があれば、何とか読めますが、そんなのは「解読」しているだけで、「読んでいる」という感じではありません。
あんな文章、当時の人はすらすらと読めたのでしょうか?
★いいですね、素直な疑問です。
まず、現代語訳を読んでみたらどうでしょうか? って、間違ったアドバイスですかね。(星田)
Q. 新山英輔さんからの疑問
すらすら読めたか、もさることながら、どうして大勢の人に読めたか、それを知りたいです。
紫式部の原稿をみんなで回し読みしたとは思えない。でも、印刷技術はなかったはず。たぶん筆写したのでしょうが、あ、だれがどうやって写したか? できた写本は有料だったのか? 何冊くらいできたか? 回し読みか? 原作者に原稿料は入ったか?
……等々。とても知りたいことです。
A. ごんたさんから
おそらく、いわゆる庶民と呼ばれる人達はほとんど読めなかったと思われます。
その要因としては、まず、書物そのものを一般の人が手に入れることができたのか?(関心が有ったのか)という点と、書かれた当時、一般人がどれ位の識字率であったか? という点があげられます。
後に、寺子屋のように読み書きを教える場ができますが、おそらくは日常で使う実用的なものしか教えなかったでしょう。
やはり、貴族のような特権階級や裕福な人しか、そういうものを理解できるような教育を受けられなかったんじゃないでしょうか?
作者自体、一般庶民でないこともありますし……。
A. YOSHYさんから
相当「古典」で苦労されておられるようですね。
結論を申し上げますと、識字率とか口語体・文語体とかの話はありますが、今の「古典」も当時では「現代語」でかかれたものですので、基本的には読めたはずです。もちろん、漢文等は教養の程度により、読める人はかなり少なかったと思いますが……。
変な話ですが、最近の直木賞・芥川賞の受賞作品のいくつかは、数百年後には立派な「古典」になっていると思います。また、クラシック音楽も当時はポップソングだったはず。著名な作曲家も冗談音楽を書いています。
35年前は、小生も苦労しましたが「日本語」でなく日本語の字を使った「外国語」であると割り切るとそこそこの点数が取れるようになりました。
A. アンギラスさんから
そもそも、『枕草子』や『源氏物語』といったものは、一般庶民向けに書かれたものではなく、特権階級である宮中や貴族の子女などの、きわめて限定された人達に向けたものです。皇族、貴族、豪族、僧侶、神官などは、詩文や和歌、漢詩が必須で、子どものころからそれらを中心に英才教育を受けていたので読めたと思います
当時の庶民(平安時代の農民)は、せいぜいイロハくらいが関の山で、それすら読めなかった人が大部分だと思いますので、読む以前になんと書いてあるか判らない。現代の大多数の日本人がアラビア語で書かれた文章を見るがごときだったことでしょう。
現代でも、長期間、和歌、古典の専門教育を受ければスラスラ読めると思いますが、他に学ばねばならない重要なことが多いので、そんなわけにはいきません。
また当時は一般的であった言い回しや、名詞・動詞・形容詞なども死語になったものも多く、現代人がスラスラ読めないのは当然といえば当然です。
A. くろちゃんから
昔聞いた話ですが、大昔は「本」は非常に高価なものでした。
したがって、学術書(になるのかな?)は、欲しい人が見せてもらって書き写したらしい。江戸後期に蘭学などのの洋書は、弟子が先生のを書き写したようです。で、中にはちゃっかりしたものが現れ、2部写し1部を売ったとか。
仏教典などは、修行の一環として書写したようです。中世のキリスト教でもあったようです。
なお、後者の場合は、使っていて紙自体がぼろぼろになってきたりすると、書き写さざるを得なかったのではないかと思います。
しかし、『源氏物語』などの場合、紫式部がきっちり清書して現在の状態のものを書いたとは思えないので、何らかの専門家がいたような気がします。
A. とおりすがりの読書人さんから
》あんな文章、当時の人はすらすらと読めたのでしょうか?
「源氏物語」や「枕草紙」は口語なので、当時の人はすらすら読めたと思います。あれから千年近く時が流れてしまったので、日本語のほうが変化してしてしまって意味が、ぱっとは、わからなくなってしまった。
たとえば、同様に時間的ではなく地理的に遠い「方言」は、同じ現代の日本語のはずなのに、さっと読んだだけでは意味がとれなくなります。
たとえばこれ、
ハイサイおじさん ハイサイおじさん
夕べの三合瓶小残とんな
残とら我んにん分きらんな
ありあり童えー童三合瓶小あたいし我んにんかい残とんでいゆんなえー童
あんせおじさん三合瓶し不足やみせら一升瓶我んに呉みせみ
沖縄人でない、大和人の私には、読んでもさっぱり意味がわかりません(^^)。でも沖縄の人なら、すらすら意味が理解できるわけですね。
ちなみに、「源氏物語」も、「枕草紙」も、「大阪のおばちゃん」風イントネーションで朗読すると、意味がとれたり、とれなくてもいいカンジで朗読できたりします。試しにやってみてください。面白いですよ。紫式部も清少納言も、大昔の関西人だから……(^^)
》紫式部の原稿をみんなで回し読みしたとは思えない
たぶん、最初は紫式部の原稿をみんなで回し読みしたんだと思います。
平安時代だと、字が読める人は、天皇と皇族と貴族さまと坊さんぐらいだったはずで、平民はそもそも字が読めません(^^)。
紫式部は一条天皇中宮彰子(藤原道長息女)の女房で、道長の愛人だったという説もあります。清少納言は、一条天皇中宮定子の女房です。二人とも皇后さまのご家来で超セレブな方たちですから、最初はセレブな方たちの回し読みだったはずです。
》原作者に原稿料は入ったか?
原稿料というより、皇后さまとその周辺の方たちのおなぐさみに、家来の私めが著述したしましたという形ですね。
原稿料で生活した最初の著述家は、江戸時代の「南総里見八犬伝」の曲亭馬琴だと言われていて、原稿料は産業革命とまではいかなくても、家内制手工業くらいない社会でないと無理でしょう。
それ以前は、超セレブな方が才能のある人を召し抱えるか、あるいは『平家物語』の琵琶法師や、『太平記』の講釈師(講談の源流)のように、字の読めない庶民に講釈して、お布施やご祝儀をいただくか……。
》だれがどうやって写したか?
『源氏物語』や『枕草紙』などがセレブな方たちの間で「面白い」と噂になれば、そういう超セレブな方たちから写本をお借りして、自分で書写するか、家来に書写させるか……。紙だって貴重品の時代ですからね。たぶん、紙は、和紙材料の原産地から年貢(租庸調の調だ)として召し上げていたはず。だから、きたない字で書くわけにはいかない。筆写のための専門家や、絵物語にするなら絵師まで家来に召しかかえていなくてはいけません。
》できた写本は有料だったのか?
「有料」というより「家宝」ですよ「お宝」。
『更級日記』の著者、菅原孝標女は、伯母さんで『蜻蛉日記』の作者でもある藤原道綱母から『源氏物語』をプレゼントされて、うれしくて昼夜を問わず読み耽ったそうですけど、これはおそらく伯母さんの直筆でしょう。売り買いするようなものではなかったみたいですね。ある意味、工業製品である今の「ベンツ」より高級品(^^)。
★picorinoさん、麻生有美さん、鬱兵さんからも、回答をいただきました。ありがとうございました。
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