--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.654 (2008.02.01)

Q. アンギラスさんからの疑問

 地図を見ていると、ポコンと「○○町(村)飛地」という別の市町村の中に、囲まれた○○町(村)の地域を見つけます。
 それぞれの「飛地」によって経緯は違うかもしれませんが、どういった経緯で「飛地」ができたのでしょう?
 また、飛地にお住まいの方で、何か生活上の不便な点は無いんでしょうか? 行政の立場でも、何らかの不便があると思うのですが。

飛び地にお住まいの方、ぜひ、メールをください。(星田)


A. キヨシさんから

 私は関東の千葉県在住で、飛び地に住んでいるわけではないのですが、すぐ近くに確実なのがありますので、紹介します。
 一つは、「千葉県八街市(やちまたし)八街い」の中に、「千葉県佐倉市岩富」が飛び地で入っています。ごく狭い地域です。経緯は調べていません。
 いっそ囲まれている市町村に編入したほうが、何かと都合がよいのではと門外漢は考えますが、当事者の皆さんにとってはことはそう簡単ではないのでしょうね。

A. Yoshihiroさんから

 和歌山県の地図を見て頂くとよくわかりりますが、三重県内に熊野川町の飛び地が3つもありますね。
 なぜかというと、交通手段が陸路でなく、川を利用した水路だからなのです。熊野川の両岸は山地で道路が作ることが出来ず、舟だけが交通手段だったのです。

A. 異邦人さんから

 飛地が出来た背景には、いろいろあると思います。
 日本国内の場合、いちばん多いのは、幕藩体制での支配地に起因するもの。次は、新田開発など。
 その他の要因としては、河川の氾濫や流路の付け替えなどで分断されたなどがあります。
 近代以降では市町村の合併などで徐々に減少していますが、時として皮肉なことに合併協議から一部の自治体が離脱するなどして、新たな飛地ができることもあります。

A. 4児の父さんから

 私は千葉県北西部に住んでおりますが、すぐそばに丸山という飛び地があります。丸山は船橋市ですが、周囲を鎌ヶ谷市に取り囲まれております。
 丸山はその名の通り小高い山になっており、そのため水の便が悪く、鎌倉時代には稲作が始まっていた周囲に対し、丸山は放置されていたようです。
 17世紀に入り、丸山に入植する人が現れ開墾が始まりますが、先に発展した周囲の村々が次々と合併していく中、丸山のみ取り残される形となりました。
 20世紀に入り、丸山は鎌ヶ谷市には編入されず、船橋市に編入されました。
 それから70年以上の時がたった今、船橋市は道路網、鉄道網が整備され、産業誘致も進み、人口も50万人を超え中核市になりました。
 現在では、丸山は、鎌ヶ谷市に属する丸山周辺のエリアより、不動産価格なども高いようです。

A. 江戸川三連豚さんから

 実は、この質問が掲載される直前に「県境がどうやって決められたのか?」という本を読んでました。
 普通は、「山」や「川」が境界になりますし、村と村の間にできる「耕作不適地」が境界になるのはごく普通です。
 ただ、その「耕作不適地」を取り込むか、押し付けるかは、市町村間の場合には、「力関係」で決まります。
 ただし、「不適地内に弱い側の村人が開墾した土地」があったりすると「飛び地」となるようです。境界なんてものは、すべて「人の都合」で決まるようです。

1)Yoshihiroさんの例
「日本最大の飛び地」ができた理由は、廃藩置県です。
 明治初期の官僚とは、すなわち薩長の役人です。 地図も十分なものはなく、現地を訪問することも難しい中で、「明確な県境」を線引きしていけばミスもあるわな、というところです。
 一般に「境」となるのは、「山」か「川」「海」です。
 三重−奈良県境は「山」なので、そのまま「山」で境を決めてしまったのですが、紀州の新宮のところだけは、「川」が境になっていたのです。
 新宮市も北山村も、一旦三重県となり、住民からの訴えによって和歌山県に戻っています。

2)4児の父さんの例
 境が決められた当時の両市町村の力関係で決まった例です(ここは調べました)。明治22年当時、鎌ヶ谷村と(現船橋市)法典村とでは、鎌ヶ谷村の方が強かったのでしょう。 稲作ができる馬込沢までを鎌ヶ谷村が主張しましたが、丸山地区は、行徳と深い関係があったらしく、推測ですが南側に残りたかったようで、こうなったようです。 

3)キヨシさんの例
 キヨシさんの例は、飛び地ではなく、佐倉市が八街市に半島状に食い込んでいるだけです。
 飛び地リストを見つけたのですが、そこにも記載がありません。
 
http://www.geocities.jp/godwin_austin_karakorum/tobichilist.html

 ここも、稲作できる低地を佐倉市側が主張したため、耕作しづらい丘の上が境界になっています。 

4)河川改修の例
 河川改修により分断された例は、私の住む市にもあります。
 うちの市に隣の市の一部が食い込んでいるのですが、ここは飛び地ではなく、前記リストにも記載がありません。
 川の上にでも境界は引けるので、境界は変わることなく、分断されたのは道路だけということのようです。
 この場合、水道やガスなどはうちの市から供給していますが、両市にとって対応に悩まされる土地であり、昔は市営の渡し舟で連絡していましたが、学校に通う子どももいなくなったのでなくなりました。

A. indyさんから

 皆さんが県や市の飛地についての解答をされているので、私はもっと小さいところで、地区の飛地について解答したいと思います。○○市△△ の△△に当たる部分ですね
 近所の神主さんに聞いたのですが、
「昔線引きされたときに、その当時の地主さんが所有していた土地はすべて同じ地区になるように線引きされたので、飛地が出来た」
とのことでした。
 土地の所有者Aさんがいくつか土地を離れて所有していたとしましょう。線引きされたときに、「Aさんの土地は△△地区です」と決定すると、離れていても△△地区(つまり飛地ですね)の完成!! といった感じですかね。

引き続き、「飛地」の情報をお待ちしています。(星田)

A.現在、調査中です。情報ください。 [メール]