Q. kztさんからの疑問
スポーツ競技や知能競技など、代表に選ばれた、強い人やうまい人のことを「選手」といいますが、なぜ「手」なのかが昔から不思議です。手を使わない競技であっても、つねに「選手」だからです。
短距離や長距離など、かけっこで走るのが速い人や、スピードスケート、サッカーなど、手を使わないスポーツでは、「選手」ではなく「選足」が適しています。
大食いや早食い競争なら「選腹」、知的競技なら「選脳」ではないかと思うのですが、なぜどんな競技でもつねに手なのでしょうか。なり手、やり手、などの手も同じですね。
★「歌手」というのもありますね。
さて、なぜ、人を「手」で表すのか? この疑問、むずかしいかな?(星田)
A. YOSHYさんからの回答
答えでなく、現況説明にとどまりますが……。
国語辞典を見ますと、「手」には、仕事の原動力としての「人間」と言う意味もあります。現代語でも「手」でなく「人」をさすことは認められているようです。
時代をさかのぼり、古典の世界に入りますと(要するに古語辞典で見ると)、「手」とは接尾語で「人間」を表すことになっています。
で、何故昔から「人間」を表すかがわかればこの設問の答えになるのですが、残念ながら私の知識・調査力の限界です。
A. ライナスの毛布さんからの回答
根拠のない私見ですが「手」という文字に「卓越した技術を持った」というような意味が含まれているのではないでしょうか。
「名手」などともいいますね。列車やタクシーなどの乗務員も、子どもの頃憧れた運転手さんといった呼び方には、運転技術を中心とした総合的な能力への敬いの気持ちが含まれていたように思います。
米国にも熟練したエキスパートを「dab
hands」と呼ぶ例があります。船の乗組員も「hands」と呼びます。字幕で映画を観られると
「All Hands, Battle Stations 総員戦闘配置に付け」
といった号令を耳にした方もいらっしゃるのではないでしょうか。他にもhandを雇用者に使う例などあります。「手」は単なる人間の構成部位ではなくて、技術を連想させる象徴なのかもしれないと感じました。
A. くろちゃんからの回答
「手」の字には、元々「Hand」を表す意味以外に、特定の技能や能力を表す意味が付加されています。そこから転じて、特殊な技能を持っている人、または特定の仕事をする人も「手」で表します。
出典を調べると、宋書列伝第四十三宗越呉喜黄回に「得快射手八百」とあるそうです。逆引き辞書で調べると、運転手とか水手(かこ)、騎手、旗手、…枚挙に暇がありませんね。
★なるほど……、「手」は「技術」を表すのか……。(星田)
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