Q. kztさんからの疑問
古代日本、邪馬台国女王の卑弥呼についての疑問です。
権力者である王様や女王様ならば、自分の呼称など自由に(かっこよく、偉そうに、権威ありげに、うやうやしく、神々しく)命名できると思うのですが、なぜヒミコの「ヒ」の字はよりによって「卑」なのでしょうか。奴卑の「卑」です。卑しいの「卑」です。女王の名として、どう見ても相応しくない。
小学生の高学年のとき、手塚治虫『火の鳥 黎明編』を読んだころから、小生はこの疑問をずっと抱き続けてきました。「ヒ」と読ませるのならば、他にも漢字はあります。
日、妃、飛、火、檜
など、どれも「卑」よりはるかにマシです。
暴走族がチーム名を「乱忍愚」「夜露死苦」などと珍妙な漢字の当て字です
る例はありますが、卑弥呼は仮にも一国の女王様ですよ。「卑しい」という意味を、卑弥呼や側近は本当に知らなかったのでしょうか。知っていたとして、なぜあえて軽蔑すべき字に設定したのでしょうか。
★音だけを借りるにしても、もっと別の字があるだろう……ということですね。でも、そうしなかったということは……、できない事情があった?(星田)
A. りょうけんさんから
「卑弥呼」が使われたのは、西晋の時代に陳寿という人が書いた三国志の魏書のなかで、烏丸鮮卑東夷伝の倭人条でのことです。
とにかく、自分たちが最高で(中華思想)、周りの者は劣っていると考えていたので、「倭」「邪」「馬」「卑」など、聞いた音に当てるのに、良くない漢字を使いました。
その後、「倭」国の人たちは、漢字を理解するようになって、「倭」よりも良い意味の「和」を用いて、「大いなる和」として、自国の「やまと」に「大和」を使うようになったのではないでしょうか。
A. 異邦人さんから
中国の公式な歴史書である『魏志』ですから、いわゆる「中華思想」を背景にしていまして、周辺諸国の事情を説明する段にあっては日本などは言うに及ばず、その他の国の名前や登場人物の中国名などは佳字を使わず、一段低い文字を与えております。
まぁ、漢字を使わぬ国の王など良い文字を使わなくても判るはずもないという意識もあったのでしょうね。
A. ojisan1156さんから
「ひみこ」という名前の日本の女王に対し中国人が漢字をあてた当て字です。中国人は漢字で表記します。
そのとき、中国人は周囲の国を見下していました(自らは世界の中心の華のある国=中華と自称)。だから、わざと忌み嫌うような字をあてたのです。たとえば、元(モンゴル)ことを蒙古と表記したのと同じです。
これは想像ですが「ひみこ」に漢字をあてるとすれば、当時の日本人は「日巫女」とか「陽見子」とかいったような字をあてたと思います。
A. 江戸川三連豚さんから
卑弥呼が生きていた時代、日本にはまだ文字がありませんでした。史書に出てると言っても中国側の書物に出ているだけです。
今のように日本でも漢字が使われているのならば、中国でも同じ文字を使うのが簡単。ところが当時の日本には文字がありません。
「われわれのじょおうは、"ひみこ”といいます」
と当時の中国語で答えたのでしょう。
でも文字が無いので、中国側(魏国)の記録にはいい加減に書かれます。どうせ属国の女王です。音さえ合えばいいんです。
A. 賢さんから
文字のなかった古代日本の女王の名前を、現代日本人がどうやって知ったのか思い出してください。魏志倭人伝など中国の歴史書に記されていたのが始まりです。当然、歴史書を書いたのも、卑弥呼の文字を考えたのも古代中国の書記・文官です。
古代中国では漢民族を取り巻く四方の民族に「東夷」「西戎」「南蛮」「北狄」と蔑称をつけていますし、「東夷の小規模国で女王をやっているらしい下賎なヒミコとやら」にも蔑称をつけて当然ではないでしょうか。
A. Issieさんから
日本側ではなく中国側の記録にあるからです。
世界の中心である「中華」から見れば、まわりの国や住民は野蛮な存在です。「ヤマタイ国のヒミコ」などは、天に代って世界を支配している魏の皇帝の徳を慕って使者を送ってきた野蛮人の首長に過ぎませんから、ことさら「邪馬台国」や「卑弥呼」などと見た目の悪い字(邪、卑)を使ったのだというのが通説です。
そもそも、「邪馬台国」も「卑弥呼」も中国側の歴史書には登場しても、日本側の歴史書には登場しません。少なくとも「ヒミコ」という名前では。
もしかしたら「古事記」や「日本書紀」などにそれに相当する人物が登場しているのかもしれませんが、それが誰かはわかっていません。
いずれにせよ、「ヒミコ」に「卑弥呼」という漢字を当てたのは中国側です。そして中国から見れば、このような漢字を使う方が、かえって「適切」なのです。
A. 子沢山さんから
これは、誰がこの女王のことを呼んだかが重要です。というのは、この女王に関しては、肝心なわが国の記録が全くないからです。
もし、わが国の記録があれば、この偉大なる女王の名前に「卑」の字は使わなかったでしょう。しかし、この女王やこの女王が治めている国(邪馬台国)に関する記録は、当時の中国やその流れを汲んだ朝鮮のものばかりです。
当然、わが国に対して優越性を誇ってますから、「魏志倭人伝」では「卑彌呼」と記載され、他の書物でも同じく「卑彌呼」や場合によっては「俾彌呼」などと記載されました。
しかし、この女王の名前、現在は「ヒミコ」と発音していますが、それすら正しいかも疑問なのです。
一説には、日巫女(ヒミコ)の他、日女子(ヒメコ)、日向(ヒミカ)など別の名前だったとも言われているようです。
邪馬台国のことは、まだまだなぞが多いようです。
A. WAXENさんから
まず前提として、卑弥呼が生きていた2〜3世紀の日本には文字がありませんでした。もしかしたらあったかもしれませんが少なくとも漢字は使われていないはずです(漢字の伝来は5〜6世紀)。卑弥呼という表記は、当時の中国の文献に出てくるものです。
さて、なぜヒミコの表記に「卑」という字をあてたかということですが、私は2つの説を聞いたことがあります。
その1
中国には中華思想という、自分達が世界でもっとも優れていて、周辺の国々は野蛮で未開であるとして見下す思想があります。その思想に則って、野蛮な人々の国である邪馬台国の女王のヒミコにわざと「卑」という卑しい字をあてたのだという説。
その2
「ヒミコ」の名前そのものは日本で名づけられたものであり、中国にとっては外来語になります。ですからそれを中国の文献に記すときに「これは外来語である」という目印として、「卑」という人名にはまず使わないであろう字をあてているという説。
要は現代日本語で外来語を書き表すときに、カタカナを使用するのと同じ感覚ですね。
他にもいくつか説があるようですが、詳しくは残念ながら知りません。
A. とんとんさんから
「卑弥呼」というのは、三国志の東夷伝倭人の条(通称「魏志倭人伝」)に出てくる表記ですが、当時の中国人は、まわりの民族を「東夷、南蛮、西戒、北狄」と呼んでおり、自分の国より一段も二段も下に見ていました。それらの国に関する名前に当てる漢字も、卑しい漢字をあえて使っていたようです。
卑弥呼に限らず、倭国の「倭」の字は「背中の曲がった小人」の意味であり、当時の日本人が実際に小柄だったかも知れないにしても、さげすみをこめた名づけ方でしょう(後の日本人は「和」という字を使ってますね)。
また、倭国にくるまでの地名やそこで出会う人名も、狗邪韓国、卑狗、卑奴母離
など、怪しげな文字で表記しています。
女王本人は「日の御子」のような意味で名乗っていたのかも知れませんが、その「ヒミコ」の音に「卑弥呼」の文字を当てたのは中国の人間であり、卑弥呼本人がこの文字を使っていたというわけではないのではないでしょうか。
※逆の意味で、「臺」(だい)という文字は、高貴な意味を持つので、まわりの卑しい民族の国を表すのに「邪馬臺国」などとするのはおかしい、「臺」は「壹」(いち)の誤りではないか、と考えた人もあるようです。
『「邪馬台国」はなかった』古田
武彦
A. 少伯さんから
中国では、古来、王朝の正当性を証明するため、王室お抱えの歴史家がおりました。つまり、古代から国家の出来事を記録する正式なお役人がいたのです。最古の正史とされる史記にも記載がありますが、少なくとも周代にはその記録があります。
そして、自分たち漢民族の住む地(中原)が世界の中心であり、その文化、思想が最も価値のあるもので世界で唯一の文明人だと自負しておりました(中華思想)。そのため周囲の異民族を、北は北狄(ほくてき)、西は西戎(せいじゅう)、南は南蛮(なんばん)、東は東夷(とうい)と呼び野蛮人とみなしていたのです。中国の記録官はこの思想に基づき、「正史」を記録しました。
そののことから、当然日本は東の野蛮人である東夷だから、そこの首長も野蛮人であることを示すように卑しい文字を当てたのです。
われわれからすれば、卑弥呼は太陽の大神様に仕える巫女「日巫女」であったのですが(研究者により諸説あり)、当時の中国人にしてみればそんなもったいない字は使えないということで卑しい字を当てたと考えられます。
同様に、日本を示す「倭」も卑しい文字です。
われわれにすれば、「環(吉野ヶ里遺跡に見える環濠」あるいは「和(聖徳太子があえて憲法に示すまでもなく日本人の規範ともいえるもの)」が適当であると思えます。
A. はるまさんから
皆さんの仰っている通りだと思います。そこで一つ付け加えておきます。
日本でも漢字が使えるようになったとき、大和朝廷の配下にないものに対して「南蛮」「北夷」などなど意識的に低い名前を付けました。 昭和になってからも「米鬼(ヤンキー)」なんて言ってました。
中華思想ではなくても人の考えることは同じですね。
★たくさんのご回答をありがとうございました。本当に勉強になりました。(星田)
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