--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.740 (2009.03.29)

Q. 新山英輔さんからの疑問

 子どもはどうして鼻の穴に物を入れたがるのでしょうか?
 うちの孫、その他の事例ですが、ピーナッツ、大豆、ガラス球、粘土など、大きさがちょうど穴の直径に近い物を手当たりしだい入れてみるようです。

そ、それは危ないですね。解明しなくてはなりません。(星田)


A. アンギラスさんから

 私見ですが、幼児が鼻の穴へ異物を入れたがるのは、粘膜への刺激が快感だから。と思います。
 元々、乳児には口腔内の粘膜の刺激による快感(幼児性欲ともいいます)、肛門内の粘膜への刺激による快感などがあります。乳を吸うことにより口腔内の粘膜を刺激するのも、排便で肛門内の粘膜を刺激するのも、一種の快感(乳児性欲の充足)なのです。
 乳児が母親の乳首を咥えることや、排便することが苦痛を伴う不快な行為であるなら、乳児は乳も飲まないでしょうし排泄も行わず、成長に著しい悪影響を与えます。ですので、産まれながらにして粘膜を刺激することが快感であるという本能が備わっていると考えられます。
 鼻の穴に異物を入れたがるというのも、成長しても残っている幼児性欲の充足だと思います。幼児が指をしゃぶるのも、同じような例だと思います。

A. 子沢山さんから

 非常に難しい問題ですね。
 子どもとはそういうものだ、と割り切るしかないのでしょうが、それでは身も蓋もないので、少し勝手に考えてみました。
 まず、赤ちゃんは、物がつかめるようになると、何でもつかんで口に持って行きますよね。
 これは、この時期は、おっぱいを飲むことと関係して、口が最も敏感な所だからと考えられています。
 大人からすれば、どう見てもこれは食べ物ではないだろうというものでも、とにかくまず口に入れますね。
 その延長として、鼻の穴に物を入れる、小さな穴や隙間に指を突っ込む、狭い空間に入りたがるなど、大人の価値観でみれば、危険、無謀、無意味な行為にチャレンジしていきますよね。
 これらの行為を、アフォーダンスという概念と小児の脳の発達の関係で考えてみたいと思います。

(1) アフォーダンスという概念は、少々説明が難しいのですが、ここでは、主体となる人間と客体となる物の間に生まれる「行為の可能性」とします。
 たとえば、ここに、一人の人と椅子があるとします。
 この両者の間には普通、「人−椅子−座る」というアフォーダンスが成立する、という言い方をします。
 ところが、その人が体重200kgの力士で、椅子が華奢な作りであれば、両者の間に「座る」というアフォーダンスが成立しません。
「人−ソファ−座る」でもいいですし、「人−ソファ−寝る」とか、「人−ソファ−なめる」なんかも成立しますが、「人−ソファ−食べる」は、通常成立しないでしょう。

(2) 赤ん坊の未熟な脳は、何もできない反面、非常に多くのことができるようになる可能性を秘めています。
 生まれたばかりの赤ん坊は、日本語も英語も話せません。ところが、この赤ん坊が、日本にいれば普通に日本語を話すようになり、米国にいれば普通に英語を話すようになりますね。
 日本語と英語では、話す時に使う脳の部分が異なるのですが、日本にいる赤ん坊は、日本語を話すのに必要な脳の部分を発達させる一方、英語を話すのに必要な部分は発達させないどころか、むしろ積極的に壊していきます(ですから、日本人はなかなか英語がうまく話せないわけです)。
 このように、ある能力を発達させるためには、不必要な部分を捨てることが不可欠であり、小児の脳では、回路の取捨選択や整理が、試行錯誤を繰り返しながら、絶えず行われています。

(3) 以上のことを併せて考えてみると、小児は周囲の外界に対して、あらゆるアフォーダンスにチャレンジしているのではないかと考えるのです。
 つかむというアフォーダンスが成立するものはつかんでみる、口に入れるというアフォーダンスが成立するものは口に入れてみる、鼻の穴に入るというアフォーダンスが成立するものは(大きいものは鼻の穴に入らないので、アフォーダンスが成立しない)入れてみる……という具合です。
 そして、成長とともに、脳の回路の整理が行われると、無駄な行為のアフォーダンスに関係する部分は捨てられていくので、先のようなバカらしい行為がだんだんなくなっていくのではないでしょうか?