Q. やまたんさんからの疑問
「血のつながり」「血縁」「血筋」といいますが、どうして「血」なのでしょう?
実際はつながりがあるのは遺伝子なのですが、もちろん昔はそんなことはわからなかったでしよう。不思議と「血」という言葉はとてもよくわかる表現ですが、改めて考えると人間の身体を構成する特定のひとつの器官(?)の名称をとりあげて遺伝子のつながりを表現しているのが奇妙に思えてきます。母親と胎児とて、血液が直接流れ合っているわけではありません。
どうして、「血」という言葉が使われるようになったのでしょう? そしてほとんど違和感なく、現在でもこの言葉が使われているのはなぜなのでしょうか?
★「心」はどこにあるの?――というと、頭? 心臓?(星田)
A. kztさんから
母親の場合、へその緒ですね。具体的に、母親と胎児がつながっています。実際には、母親と胎児の間での血液の循環はありませんが、昔の人が「血」がつながっていると考えていたとしても不思議はありません。
父親は精子しか出していないから、直接的に「血」とは言えない。血じゃなくて、精子です。タネ(胤)とはいいますが、血じゃない。でもまあ、父親の「血のつながり」というのは暗に「遺伝子」という意味で用いられてきたのではないかという気がします。
A. 子沢山さんから
何のソースもない自分勝手な意見です。
確かに、洋の東西を問わず、古来より、「血」は生命の根源の象徴として扱われてますね。ネアンデルタール人などは、血を象徴する赤い花を用いて、死者の埋葬したようですし、マフィアなどでは、オルメタという「血の掟」もありますし……。
今、ここに瀕死の人がいると想像してください。まだ、生きてます。そして、この人が今、亡くなりました。
生前と死後で、何が変わったでしょうか?
姿、形は変わっていませんね。呼吸をしなくなったというのもありますが、やはり、心臓が止まった、すなわち血液が流れなくなった、というのが、大きな変化だと思います。
このようなことから、「生きている人間は、身体に血が流れている」というのが、自然な発想として生まれたのだと思います。
そして、この血にこそ、生命の根源があると認識したのではないでしょうか?
たとえるならば、パソコンで、「肉体=ハードウェア」、「血=ソフトウェア」のような関係で、親から子へ、ハードウェアは受け継がれませんが、生命の根幹を成すソフトウェアは受け継がれていく、このように考えたのでしょう。
このような、血を通しての生命観が、古今東西に広く普遍的にあり、やまたん様がご指摘の、血に関する多くの言葉が作られたのだと思います。
|