--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.797 (2009.12.08)

Q. 大根足ですよさんからの疑問

 先日会社の仲間と数の単位について話していると、ある一人から、
「不可思議(ふかしぎ)なんて変わったのがありますよ」
と教えられ、ちょっと興味が涌いたため、調べてみると……、聞いたこともない様な単位がわんさか出てきて驚きました。
「垓(がい)」まではよく知られていると思いますが、その次から、

  禾予(※のぎ偏に予、じょ)→穣(じょう)→溝(こう)→澗(かん)→
  正(せい)→載(さい)→極(ごく)→恒河沙(ごうがしゃ)→
  阿僧祇(あそうぎ)→那由他(なゆた)→不可思議(ふかしぎ)
  →無量大数(むりょうたいすう)=10の68乗

 ニュースなんかで耳にするのは、○○兆円などの「兆」ぐらいで、それ以上の単位を使うこともなければ、耳にすることもほとんどありません。
 しかし、単位が存在するということは、どこかの誰かがきっと使っているということですよね。
 一体どういう分野の方が、どういったときに使用されるのか? 実際使われている方がいらっしゃったら教えてください。

人を驚かすときにとか、ありがたがらせるときとか……かな?
 「漢数字が使われている都道府県の名前をあげよ」という問題で、「三重」はすぐに出てくるのですが……、「千葉」は出てきたら大した物です。
 「東京」「京都」の「京(けい)」が言えたら、スゴイ!
 ところで、「不可思議」などは厳密には「単位」とは言いません。位に付けられた名称です。(星田)


A. Rinさんから

 このようなものを「天文学的数字」と呼ぶことがありますが、初心者向けの天文学の本で、光年やパーセク、天文単位など専門の単位に慣れてない人のために、kmで表したあとに専門の単位で言いなおす場面を読んだことがあります。
 原子などのミクロの世界でも、モルに慣れるまで使うことがあります。でもそのような大きい単位を知らない人も多いので、たいていはゼロをかきつらねた表現や、10の何乗という表現を併用しますが、理解してもらえるのか不明です。かえって頭が混乱する人もいそう。
 日常では、地球の人口で億、国家予算で兆が出てくる程度、使い道は多くないですね。

A. ごんたさんから

 使われている文字を眺めていて気が付いたのですが、以前お経の本を見たとき、そのような文字が多く使われていた気がしました。
 お経の意味を余り考えずに眺めていただけなので想像ですが、おそらくはこれらの単位は、仏教の用語(インド発祥?)を元に作られたのではないでしょうか?
 仏教の教えを伝える逸話やそれを基にしたお経に、その単位が使われているのではないかと思うのです。
 具体的に大きな桁の数を用いる業界はと考えると……、原子や分子の数とか、星の数などといった数値を具体的に用いるような研究施設ならありそうですね。
 しかし、世界的に通用しない気がするので、その単位を使うことはないと思うのです。

A. YOSHYさんから

 これらの単位が何かと言われますと、単に仏典に書かれている「大きい」を表す言葉と解釈すればよいのではないでしょうか。
 数学的(若しくは算数的)な大きさに数字的な差があるわけでなく、比較してより大きいというだけだと思います。
 一般人として大きな数でよく聞かれるのは政府(国連等の機関を含む)の歳入歳出予算とか赤字額だと思いますが、たかだか千兆程度で、提示の単位は必要ありません。
 自然科学(宇宙物理)では、提示頂いた単位に匹敵するようなものがごろごろ出てきますが、10の何乗というかたち、もしくは、常用対数表示の表で出てきます。
 補助単位ということでは、キロ、メガ、……、とあり、最後はゼタ(10の21乗)とかヨタ(10の24乗)とかがありますが、一般的に使われるのはせいぜいテラ止まりです。
 ところで、華厳経では、無量大数など米粒ですらない大きな数があるようですがこれも同じでしょう。

 例:不可説不可説転
   10の何乗の「何」のところに3721……、と数字が38個並ぶようです。
   (高杉親知様のHPを参照)
   
http://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/largenumber.html

 ちなみに、逆に小さい方ですがこちらもすさまじく、知らない単位がずらっと並びます。大昔(中学生時代)に覚えましたが、「無」の下にも単位があるのに感動を覚えたことがあります。

HPのURLについては、ご了解を得ています。
 高杉親知様、ありがとうございました。(星田)

A. Issieさんから

 ものすごく大きな数を表すものではあっても、具体的な数として使われるわけではなかったのではないでしょうか。
「恒河沙」の「恒河」とはインドのガンジス河のことです。だから「恒河沙」とは「ガンジス河の砂」、だから「ガンジス河の砂のようにとても数え切れるものではない」という意味。「浜の真砂は尽きるとも……」と発想は同じかも(こちらは「数え切れる」という意味ですが)。
「阿僧祇」「那由他」は、元はインドの言葉の単語に漢字を当てはめたものです。「不可思議」自体は中国語の単語ですが、これはそもそも仏教でブッダの教えや力が測り知れないほど大きいことを表す単語です。
 極小の方にも、

   「阿頼耶」(あらや:10の−22乗)
   「阿摩羅」(あまら:10の−23乗)

のようにインド語にそのまま漢字を当てたようなものや、

   「逡巡」(10の−14乗)
   「刹那」(10の−18乗)
   「虚空」(10の−20乗)
   「清浄」(しょうじょう:10の−21乗)

など、そのまんま仏教用語が並んでいます。最も小さい単位は「涅槃寂静」。
 これらが数の位の名前として体系的にまとめられたのは中国の元代のことらしいのですが、書物によってそれぞれが表す数や名前には異同があるようです。
 いずれにせよ出所は仏典であるようで、「那由他」などは「法華経」や「阿弥陀経」といったお経の中に極大の数を表わすものとして登場しています。
 根っこにあるのはお釈迦様以前から既に高度に発達していたインド数学にあるのでしょう。やはり仏教も「数学の国」インドの産物なわけです。