時代劇や時代小説によくこのような場面があります。
「して、佐平次の働きぶりはどうじゃ」
「どうもこうもない。佐平次め、播州屋の売上金二十両をかすめて逐電いたした」
「何と、それはまことか。播州屋も災難よのう」
「正直者と信じて帳場を任せたのが災いしたようじゃ」
「されば佐平次め、もう江戸にはおるまいのう」
「げに難儀なことでござるよ」
トンズラすることを「逐電」といいますが、「逐電」の「電」はいったいどういうことでしょう?
江戸時代には電気も電話もありません。なぜ電気なき時代にも「逐電」と言って、お互いに話が通じていたのでしょうか。
そこで、調べてみましたら、この場合の「電」とは、「稲妻」のことだとわかりました。「逐電」とは「稲妻を追いかけること」。転じて、きわめて早く行動するさま、迅速なさま、ゆくえをくらまして逃げること。を言うのだそうです。
長くなりますが、そこで、新たな疑問です。
稲妻が電気であることを確認したのは、ベンジャミン・フランクリンが雷の日に凧をあげるという危険な実験をして(よくまあ感電死しなかったものだ)、のことです。これが1752年。
平賀源内のエレキテル修復は1770年と言われていますが、彼は一種の天才で、電気の理論はわからないけれども壊れた機械をなおす能力があったということですし、天才源内以外の一般江戸時代人は、電気に関して知識があったとは思えないのです。
つまり、「電」という漢字が先にあって、「電気」の知識は後です。
日本人は「電気」という新しいものを知って、どういう経緯でそれに「電」という漢字を用いることになったのか? 稲妻の正体が電気であるとわかっていてこの漢字を使ったのか? それとも別の理由か? いずれにしても、すばらしいセンスだと思うのです。
★「雷」という字もありますから、その字を使う方法もあったずですよね……(星田)