--- 素朴な疑問集 ---
トップページへ    [素朴な疑問集 TOP]


疑問No.820 (2010.03.24)

Q. kztさんからの疑問

 時代劇や時代小説によくこのような場面があります。

「して、佐平次の働きぶりはどうじゃ」
「どうもこうもない。佐平次め、播州屋の売上金二十両をかすめて逐電いたした」
「何と、それはまことか。播州屋も災難よのう」
「正直者と信じて帳場を任せたのが災いしたようじゃ」
「されば佐平次め、もう江戸にはおるまいのう」
「げに難儀なことでござるよ」

 トンズラすることを「逐電」といいますが、「逐電」の「電」はいったいどういうことでしょう?
 江戸時代には電気も電話もありません。なぜ電気なき時代にも「逐電」と言って、お互いに話が通じていたのでしょうか。
 そこで、調べてみましたら、この場合の「電」とは、「稲妻」のことだとわかりました。「逐電」とは「稲妻を追いかけること」。転じて、きわめて早く行動するさま、迅速なさま、ゆくえをくらまして逃げること。を言うのだそうです。

 長くなりますが、そこで、新たな疑問です。
 稲妻が電気であることを確認したのは、ベンジャミン・フランクリンが雷の日に凧をあげるという危険な実験をして(よくまあ感電死しなかったものだ)、のことです。これが1752年。
 平賀源内のエレキテル修復は1770年と言われていますが、彼は一種の天才で、電気の理論はわからないけれども壊れた機械をなおす能力があったということですし、天才源内以外の一般江戸時代人は、電気に関して知識があったとは思えないのです。
 つまり、「電」という漢字が先にあって、「電気」の知識は後です。
 
日本人は「電気」という新しいものを知って、どういう経緯でそれに「電」という漢字を用いることになったのか? 稲妻の正体が電気であるとわかっていてこの漢字を使ったのか? それとも別の理由か? いずれにしても、すばらしいセンスだと思うのです。

「雷」という字もありますから、その字を使う方法もあったずですよね……(星田)


A. 賢さんから

 「電」という字を電気、つまりelectricityの略語に用いた経緯を想像してみました。

・そもそも、「電」は稲妻を意味する(西暦1700年以前から)。
・西洋なり外国から、electricityの概念(つまり稲妻の本質がelectricityであること)が伝わる。(少なくとも西暦1752年以降)
・稲妻を構成する本質、つまり「電」の「気」とみなして、「電気」をelectricityの訳語とする(江戸時代以降、おそらく1770年よりも後)。

 時間的な矛盾も特にありませんし、この流れで問題はないでしょう。
 実際は中国に情報が伝わって、中国で電気という訳語を決めて、それが日本に輸入されたのかもしれません。
 また、「雷気」としなかったのは、「雷」が意味するのは「稲妻に伴う音」ですから、必ずしも音を伴うわけではない electricity の訳語にはできないからです。
 ちなみに、フランクリンの真似をして凧を上げた人たちのほとんどは感電したそうです。フランクリンは電気学者として電気の流れ方を熟知し、万全の対策を施した上で実験に臨んでいました。

A. 江戸川三連豚さんから

 1770年までの経緯(平賀源内エレキテル独力修理)まではその通りですが、その後、幕府から「贅沢に過ぎる」と研究禁止令が出ます。 だからその時点では「エレキテル」の呼称のままだったはずです。
 1870年には電信や電灯が輸入されてますので、「電」の字を当てたのは「明治期になってから」。当然、フランクリンの実験も知った上でのことですから、まぁ、普通は「電」にするよな……、というおもしろくない経緯があります。