--- 素朴な疑問集 ---
トップページへ    [素朴な疑問集 TOP]


疑問No.848 (2010.08.16)

Q. よっちゃんからの疑問

 ラジオで一度聞いただけなので不正確かも知れませんが、関東と関西では、私鉄の電車の会社の呼び方が違う言っていました。

  関東……小田急線 京王線  のように ○○線
  関西……近鉄電車 阪神電車 のように △△電車

 まず、これは、本当のことでしょうか?
 それから、鉄道会社の呼び方にんな違いが出るのはなぜなのかなと不思議に思いました。よろしくおねがいします。

私は、奈良県在住です。近鉄電車の奈良線は「近鉄・奈良線」といいます。関東の方は小田急線の江ノ島線を……、多分「小田急・江ノ島線」ですよね? つまり、私鉄の鉄道会社をそれ単独で呼ぶとき、「――線」「――電車」の差があるのはなぜ? という疑問だと思います。(星田)


A. 隠れ鉄道ファンさんから

「何々線」と「何々電車」の違いですが、小生の意見を述べさせて頂きます。
 当時、近鉄・阪神電鉄の創世記(会社設立時)は、現在のような電車ではなく、路面電車での型ではないかと推測いたします。
 こじつけになりますが、関東方面では江の島電鉄(通称江ノ電)がよい例ではないかと思います。
 疑問にあります関西での「何々電車」は上記のような「昔の名残り」から来ているのではないかと想像いたします。

A. 子沢山さんから

 星田様のご指摘は鋭いです。
 本来、「○○電車」と呼び方は、関西圏限定というわけではありません。かつて「○○電車」という呼び方をされた鉄道は全国にあったのですが、多くの会社が廃業していった中、関西圏の有力な会社は根強く生き残り、その結果、関西圏にこのような呼び方が残ったというのが事実なようです。

 明治30年代から、大都市を中心に、多くの私設鉄道(私鉄)が開業され始めるのですが、官営鉄道との競合を危惧する国の鉄道作業局は、私設鉄道法上の許可をなかなか出しませんでした。
 そこで、多くの私鉄会社が、全走行区間のうちのほんの一部の軌道を道路上に造り、形だけ路面電車の体を装い、鉄道作業局と内務省の共同所轄である軌道法(軌道条例)に準拠する、電気軌道(路面電車)として開業を申請したのです。
 この頃についた名称が、機関車に対して、「電車」だったわけです。
 ですから、これらの電車は、都市内、または近郊都市間程度の短距離を、駅間隔を小さくして、営業を開始しました。

 このような電車は全国に存在したのですが、そのほとんどが現存しない中、関西圏では、

  京阪電気鉄道株式会社(京阪)
  阪神電気鉄道株式会社(阪神)
  箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄株式会社、阪急)
  大阪電機軌道(現:近畿日本鉄道株式会社、近鉄)

など、大きな会社がしっかりと生き残りました。

 一方、関東圏では、

  東京電車鉄道(都電という路面電車の形で現存)
  江之島電気鉄道(現:江ノ島電鉄株式会社、江ノ電、小田急鉄道傘下)

など細々としか残っておらず、現在の鉄道は、もっと歴史の浅いものになります。

 以上のような歴史の違いが、結果的に、鉄道会社の呼び名の違いとして残っているのです。
 こういう経緯がありましたので、阪神や京阪、阪急神戸線、近鉄奈良線などは「鉄道」とは名乗れず「電気鉄道」とか「電気軌道」と名乗っていたのです。
 この関係で「○○電車」という呼び方が定着したのだと思います。また、関西では固い呼び方は敬遠されますから、「電車」の方が柔らかく感じで好まれたのでしょう。その結果、関東と同様に蒸気鉄道を発祥とする南海などでも「電車」を使うのだと思います。
 一方関東では、東武、西武など蒸気鉄道が起源で、のちに電化した鉄道です。また小田急や東急は当初から電車でしたが、鉄道としての許可でした。こういう点で、路面電車のイメージが強い「電車」という言葉を忌避したのでないかと思います。
 つまり、関西では国の締め付けを逃れるために、あえて路面電車と同等ですよと実態から離れた「電車」を名乗り、関東ではその必要がなかったというのが元になっていたのだと思います。

丁寧なご説明、ありがとうございました!
  この疑問は、もう、解けない! と思っていたのに……。スゴイ!(星田)

A. ロドスさんから

 今回の疑問についてですが、東武や京成、新京成も、東武電車、京成電車、新京成電車と呼ばれることも結構多いです。
 たとえば、年配の方は「○○電車」とつける人がいますし、車掌さんやバスの案内、広報でも「電車」をつける人は多いです。
 東武電車は平成の一時期、「○○電車」と公式として自称することは少なくなりましたが、去年ごろからスカイツリーや旅行案内で、東武電車の自称が少しずつ復活しているように思えます。