Q. ごまさばさんからの疑問
総理大臣や政治家などが、主に海外視察等の目的で外国に行くことを「外遊」と言いますが、どうもこの言葉(漢字)がなじめません。
外国に行くので「外」の字を使うのは、なんとなくわかりますが、「遊」の字を使うことは、本来のこの言葉の意味・目的と合っていないように思います。「外遊」とは、公務で外国に行っていることで、民間企業でいう「海外出張」のことだと思います。
決して遊びに行っているわけではないのでしょうが、「遊」という字を使うことでそのイメージが悪くなるのではないかと思います。
中には、お役人さんの昇進時などに視察と称した「ご褒美」的な「外遊」もあるでしょう(単なる私のイメージです)けど、なぜ首相をはじめ政治家や公人には「外遊」という言葉が使われるのでしょうか?
★私も調べてみましたが、わかりませんでした。こういうのはきっと私たちの知らない「遊」の別の顔があるのだと思うのです。(星田)
A. ごんたさんから
以前に野球のポジション「ショート」の意味についての疑問がありました(No.696です)。
ショート=ショートストッパー=遊撃手
という意味なのですが、ここで使われている「遊撃」という言葉に注目してください。決して遊びながら攻撃している訳ではありません、ここでの「遊」とは、攻撃や防御といった役割にとらわれずに行動することを意味しています。
つまり、「外遊」とは(主に)海外で比較的自由な日程で現地の視察などを行うことを意味するのではないかと思います。
そうは言ってもちゃんとスケジュールに従って行動しているじゃないかと思われますが、「外遊」を行う職種の方々が行っている「本来の業務」から外れている、という意味を加味すれば違和感はなくなるのではないでしょうか?
A. Rinさんから
「外遊」の「遊」の字には、左から下にかけて「しんにょう」があります。これは「辻」「巡る」「追う」「迷う」「通る」「途」という字のように「道、または道を歩く」という意味があります。
「遊」の字も「普段いる場所とちがう場所に(道を歩いて)行く」という意味があり「外遊」も外国に行くことです。外国の学校に行くのを「遊学」、楽しい場所に行くと「遊ぶ」です。しんにょう以外の部分は「ユウと読んでね」というのを表しMす。
野球のショートは「遊撃手」。塁に固定されずにボールの飛ぶ方向へと自在に「行く」人。
「遊牧民」は家畜が食べる草のある場所へ「行く」人ですが、住まいや職場が固定されてる生活の人には、あちこち行ったり来たりしてる人を「遊んでる」という偏見で見てしまい、流浪民族への迫害もありました。遊んでいるように見えても一生懸命に生きてる人がいることを忘れてはなりませんね。
A. 岐泊さんから
「遊」の意味を漢和辞典などで見ますと、この漢字は、しんにょうが道を意味し、ツクリ(ユウと読むそうです)は「揺れ動く」という意味があり、そこから、ゆっくり道を行く、また「遊ぶ」の意味が派生したそうです。つまり、急がずに道を行くのが元々の意味らしい。
そこから、
(1) 野山に遊ぶ
(2) 旅に出る
(3)(仕官や勉学のため)他国へ行く
といった用い方が「遊興」の意味より先に掲載されています。要するに「遊」一字で「遊学」の意味もあるらしい。
「外遊」はこのつもり、つまり「(勉強のための)国外旅行」という意味で採用した語であろうかと推測します。
A. 子沢山さんから
自分は、この「外遊」という語に違和感がないため、ごまさばさんの質問を読んで、「なるほど〜、そういう風に感じてしまうのか〜?」と思いました。
それは、この「遊」という字に対して持っているイメージの差なのだろうと思います。
おそらく違和感を感じる方は、この「遊」の字に、「遊興」などの「遊び」のイメージが強いのでしょう。そして、「遊び」→「仕事ではない」、「真面目ではない」と連想するのではないでしょうか? だとすると、「外遊」にへんなイメージがつきまとうのも理解できます。
一方、自分は、この「遊」の字から、空間的移動をイメージします。
自分がこの「遊」の字を知ったのは、幼少時にTV番組のウルトラセブンの第12話の「遊星より愛をこめて」からです。また、自分は少年時代の野球チームでポジションはショート(遊撃手)でしたし、高校時代の先生がヨーロッパに遊学に行くのを見送り、大学時代に鉄道の周遊券で旅をするなどから、「遊」の字のイメージを作ってきました。
その他、遊覧船、遊牧、回遊など、皆似た意味だと思いますが、「遊」は異字の「游」とともに、陸(遊=あそぶ)であろうと、海(游=およぐ)であろうと、人(子)が移動(方)することが字の形をなしているので、「元の位置から、本来の場から離れて、移動する、動き回る」が主意なようです。
ここから派生して、「仕事という本来のものから離れて遊ぶ」という意味が生まれたのだと思います。
そう考えると、外遊も、本来いるべき本国から離れて行くということで理解できるのではないでしょうか。
A. 無聊亭さんから
「遊」の「しんにゅう」そのものが、「道を行く」「すすむ」という意味がありますから、「しんにゅう」の付く文字はその意味を基本としています。「進む」自身がそうでしょう。「遊」も同じで、
出かける 歩き回る 旅にでる 本来のところから離れて自由に動き回る
などの意味が先で、
(野山などに出かけて)楽しむ 遊ぶ
などという意味も出てきます。
したがって、「あそぶ」の意味を持たない単語も多くあり、「外遊」またしかりです。
「遊説」「遊学=留学」「遊子=旅人」「遊星」「遊牧民」「回遊」「周遊券」「遊離」「遊撃手」
また「あそぶ」という言葉自体にも「玩具で遊ぶ」のような意味だけでなく「自由に動く、ゆとり」という「ハンドルのあそび」とか、野球で「一球あそぶ」というような使い方もあります。
A. Issieさんから
「遊」という字の本来の意味は「旅をする」というものです。
この漢字は、「辵」(しんにょう)と「斿」とから成ります。
このうち、「斿」という字の左から右上にかけての部分(子を取り払った残り=“方人”←これで1字)は、さお(方)の先端に取り付けた布が風になびいている様(人)、つまり「旗」を意味します。これをパーツに持つ文字の多く、たとえば「旗」「旋」「施」「族」などはいずれも旗に関連する意味を持ちます。「旅」という字もそうですね。「斿」にも「旗が風になびいている」という意味があるそうです。
これに「行く」という意味の「辵」がついて、「旗を立てて旅をする」という意味になるようです。何か、パックツアーのような光景を思い出しますね。
この用例で最もわかりやすいのが『西遊記』。別に三蔵法師は西(天竺)へ「あそび」に行ったわけではありません。
「旅をする」ということから「日常から遊離する」という意味が派生して「あそぶ」という意味になったのかもしれません。
実は、これは日本語の「あそぶ」の意味で、岩波の「古語辞典」には「日常的な生活から別の世界に心身を解放し、その中で熱中もしくは陶酔すること」とあります。つまり日本語では音楽や行事、宴会などで「あそぶ」ことが元々の意味なのですが、こちらでは逆に「日常から遊離する」ということから「旅をする」という意味が派生しています(本来は「旅をする」という「遊」という漢字の意味が反映しているのかもしれません)。
だから、「外遊」というのは「旅をする」という「遊」の字の本来の意味に基づく古くからの用法なのだろうと思います。
A. 船橋んから
「遊」という字は、次から構成されます:
1.しんにょう = どんどん遠くまで歩いていく様子を示します
2.「旗」を示す部分 = 自分の本来のいるべき位置を示します
3.「子」を示す = そのまま、子供を示します
以上より、「遊」という字には、「3.子供」が、「1.歩き回っている」状況から転じた、いわゆる「遊ぶ」という意味があり、これは一般的によく知られています。
もうひとつ、「2. 自分の本来の陣地」から「1.離れた場所に行ってしまう」という意味もあります。「外遊」という言葉では、「遊」のこちらの意味が使われています。
「外」国へ、「遊」本来の持ち場である内閣や国会を離れて、訪問する、というわけです。
たとえば、「総理の外遊」といえば、「本来自分がいるべき内閣を離れ、「外」国を訪問し、そこで仕事をする」ことをさすわけです。
国会議員が「外遊」する場合も同じです。こちらは、本来の持ち場である「国会」を離れることになります。このため、通常は国会の開催期間中には外遊はおこなわれません。
その他、この意味で「遊」が使われる言葉としては、「遊説」、「遊撃手」などがあります。
「遊説」とは、「本来の持ち場である国会」を「離れ」て、地方で演「説」することです。「遊撃手」でも同様です。本来、内野手とは、自チームの「塁=敵の攻撃を防ぐための砦)」を守り、相手チームに得点を入れさせないのが仕事です。が、「遊撃手」は、その塁という内野手の「本来の持ち場」を離れて仕事をします。
これを理解すれば、「総理が外遊」と聞いても、遊んでいるというイメージは浮かばなくなるかと思います。
むしろ、国内のいくつもの砦を国務大臣たちと官房長官にまかせ、海外で遊撃手としてポイントを稼ぐために戦っているイメージになるのではないでしょうか? 実際、「外遊」という言葉を口にする人は、そのイメージで喋っているのです。
実際に、ちゃんと塁が守られているか? 海外でポイントを稼いでいるか? は、さておくとして……。
★おせっかいさんからも、回答をいただきました。ありがとうございました。
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