--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.866 (2010.11.06)

Q. ひろさんからの疑問

「一体全体」という言葉を不思議に思ったので、教えてください。
 調べてみると、「疑問の意を強く表す語」とありました。「一体」と使うこともあります。
「一体全体」とは、part と all ということですよね。この言葉が、どうして「疑問の意を強く表す語」になるのかがよくわかりません。
 むずかしい疑問だとは思いますが、よろしくおねがいします。

英語でも「on earth」で疑問や否定の気持ちを強めることがあります。これもよくわかりません。「地上で」?(星田)


A. ごんたさんから

「一体」を「part」と解釈した場合、「一体(物事の部分)から全体に至る全て」という言葉を略したと考えれば、意味が通じると思います。
 また、「一体」を「part」と解釈せず、「body(体)」と考えると、「一体が全体(つまり丸ごと)」という意味となり、この場合でも意味は通じますね。
「一体全体、何が何だかわからない」と使えば、「何の手掛かりもないぐらい物事が分からない」という意味になり、疑問の度合いを強調する言葉として成り立つと考えます。韻を踏んでいることも重要なポイントです。

A. 子沢山さんから

 まず、「一体全体」は、「part と all」すなわち「一部と全部」ではありません。
 一体の「一」は、「一通り(=全部)」とか「一生(=全生涯)」の「一」と同じで、「一」が「全」を表しています。「一体」も「全体」も同義です。よって、「一体全体」という語は、同義語を2回繰り返してその意味を強めている形になっています。
 今では、「一体」や「一体全体」は、疑問や非難の意を強調するときのみに用いますが、本来は、「もともとの意味において」とか「根源的に、根本的に」というような意味合いの語で、通常の文にも使う副詞です。
 夏目漱石、「坊ちゃん」の、先生たる坊ちゃんが宿直中に生徒たちにイナゴでいたずらされた事件の是非を話しあう職員会議の場で、他の先生方が坊ちゃんの素行を問題視する一方、同僚の山嵐が、
「一体生徒が全然悪いです」
という発言をしています。この「一体」が、先の肯定文の副詞としての使い方です。そもそも第一に悪いのは生徒であって、坊ちゃんではないという意味です。
 ちなみに、「全然悪い」と「全然」を肯定の文に使用していますが、これも正しい使い方で、以前は「全然」を肯定文の強調として普通に使っていたのです。
 最後に、この「一体」がどうして強調の語になったかですが、英語の「in the world (世界中で)、on earth(この地球上で)と同様に、絶対性、全体性、根源性などの極端な意味を持つ語を、強調に使用することがあるからだろうと思います。