最近、子どもが勉強をしているのを横で見ていて驚いたことがあります。
社会の歴史の教科書なのですが、どう見ても「仁徳天皇陵」としか思えない前方後円墳の写真に「大仙古墳」と書いてありました。
「これって仁徳天皇陵じゃないの?」
と思って、子どもに聞いてみたら、
「何それ? これは大仙古墳だよ」
と平然と答えます。
仁徳天皇陵を差し置いて大仙古墳の方が歴史的に重要なのかと思って自分で調べてみたら、やはりそれは僕たちが昔習った仁徳天皇陵でした。
つまり今は歴史的な解釈上、「仁徳天皇陵」とは言わず「大仙古墳」と呼ぶのが一般的になっているようです。恥ずかしながら大阪に住んでいて、そんなことになっているとは知りませんでした。
同じく、昔は「安藤広重」と習った浮世絵師を、今は「歌川広重」と教えていたり、僕たちが子どもの頃学校で習ったのとは違う名前で今の学校の授業で教えていることが多々あるようです。
きっと歴史の研究が進んできた中、今では、子どもの頃習ったのとは違う歴史的事実や解釈で教えていることが他にもたくさんあると思います。それを教えてください。
ただし、南京事件や従軍慰安婦問題は、議論が白熱しそうなので、除かせていただきます。
★議論をするのではなく、こんなことがあるらしいよという例をくださいね。(星田)
幼いころよりわりと歴史は好きで、歴史読み物を読みあさっていました。最近になって、その頃の知識と大きく違って驚いたことは多々ありますが、個人的に2点あげます。
1)足利尊氏の肖像
教科書や、歴史漫画などで著名な元結を切って騎馬に乗った尊氏の肖像画がありますが、これが尊氏ではないとのこと。騎馬の馬具の家紋が違うのだそうです。武士にとって家紋は命ですので、間違えるはずがないとのことで、高師直かその子孫ではないかということでした。
頭の中の尊氏のイメージがあの肖像画でしたので、イメージのすり替えが大変でした。最近の教科書からは削除されていると聞いています。
2)真田幸村の本名
戦国武将として大変人気のある真田幸村ですが、該当人物の本名は真田信繁だそうです。
幸村という名前は同時代の資料にはなく、江戸時代になってからの軍記物が初登場と聞いて、かなり衝撃を受けました。
しかしあまりに幸村の知名度が高いので、いまさら変更は大変らしくテレビでの幸村特集でも「本名は信繁です」とさらっと流されていました。
他にもいろいろな歴史の常識が覆っている点が皆様から出てくるのが楽しみですが、一度普及した常識を変更するのはなかなか大変なことかと思います。
疑問の仁徳天皇陵も、観光案内などではまだ変更されていないものを多々見ます。仁徳天皇陵で覚えた世代が、いきなり「大仙陵古墳」と案内されても、「はぁ?」ですよね。
★歴史というのは、昔のことですから、よほどの証拠がないかぎり、「〜というのが定説だ」です。その「定説」が変わってきているのですね。
雑学を扱っているこのようなメルマガ上で「定説論争」をやっても仕方がありませんから、「こんなことを聞いたことがあるよ」程度でかまいません。さらなる情報をお待ちしています。
議論をするのではなく、こんなことがあるらしいよという例をくださいね。(星田)