--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.880 (2011.01.22)

Q. 隅の老人さんからの疑問

 変な話ですが、寒い今の時期、おしっこが湯気を出しているのを見ると、体内の熱エネルギーを無駄に捨てているような気にさせられます。
 でも、進化の過程で淘汰されなかったということは、無駄に見えてなにか合理的な意味があるのでしょうか。

熱は体に残して、オシッコだけを捨てている――そんな経済的な動物がいるのかな?
 しかし、むずかしい疑問ですね。(星田)


A. Luneさんから

 排泄物は我慢するとダメです! 排泄せずに、いっぱいいっぱいになると、次は血液中に流れ出し、アレルギー体質になるそうです。
 そして熱ですが、体温と同じく腸内も36°くらいを保っているらしいので、わざわざ熱を作っているのではなく、その温度に温まって出てくるのではないでしょうか。

A. ごんたさんから

 放尿による熱の放出は無駄ではないかとの疑問ですが、むしろ、熱を失ってでも排出しなければならない物質が体内に蓄積されていると考えれば、無駄ではないと思います。
 また、熱を残しながら排泄物だけを捨てることは不可能ですから、放尿程度で失う熱は生命維持に支障がない程度のものじゃないかと思うのです(ぶるっとするのは一時的なことですし……)。

A. ポポンさんから

「もったいない」というか、「避けようがない」ことなのではないでしょうか。
 別に、「それ専用のエネルギーが尿に加わって温かくなり、それを特に使用せずに排出している」のではなく、「臓器や体全体を動かすためのエネルギー、体温保持のためのエネルギーが、温度として隣接・体として繋がっている膀胱に移り、それが排出されている」だけだと思うのです。
 前者の理由でわざわざ温められているのなら、確かに理由を知りたくなるのですが……。

A. みし丸さんから

 排尿と体温コントロールの関係が生理的に連動しているかどうかは分かりませんが、この質問に対する1つの答えならできます。
 電気ポットがありますね。お湯の温度を保つために、電気による熱を加えています。つまり水(お湯)を外気温以上の温度に保つには、常に熱エネルギーを加えてやらなくてはならないのです。
 体の中の尿も同じです。尿を外気温以上に保つには熱エネルギーが必要です。冬場の場合は、この尿を体内にとどめておくよりも、むしろ排出した方が体にとっては省エネになります。

A. よしなさんから

 僕も同じこと考えたことあります。僕が考えた答えは2つ。あくまでも僕の考えなので正しいかはわかりません。
 1つ目は、寒い時期に活動している動物は少ないこと。爬虫類や両生類などの変温動物は体温を奪われると活動できなくなるため冬眠をします。ほ乳類でも熊のようにエサのない時期は冬眠をして過ごします。鳥類は暖かい地域に飛んで寒さをしのぎます。冬でも冬眠をしない犬などはかなりの時間、おしっこを我慢することが出来るので、昼間の暖かい時間帯におしっこをすることができるのではないでしょうか。
 人間は火を手に入れてからは暖まることが出来ます。つまりおしっこの熱を利用するのはそれほど必要なことではなかったのではないでしょうか。
 2つめは、熱を利用するのが本当に得なのかということです。
 熱は暖かいところから冷たいところに移動しますので、おしっこの熱を利用するには、その近くに冷たいものが必要です。それを体温以上に温め、さらに血液を温めて体中に熱を移動させるということになります。冷たいものはどうやって用意するかと言えば、外界との界面である表皮でしょうね。そうすると、膀胱近くに冷たいものを入れておき血液と熱交換する臓器、表皮とその臓器とをつなぐ循環系などが必要になります。
 別の方法は、熱エネルギーを使って、脂肪など高エネルギー物質を作って体内にため込む方法ですが、こちらも新しい臓器が必要になるでしょう。
 寒い時期は有効かも知れませんが、暑い時やおしっこがないときもこれらの臓器を維持しなければならず、エネルギー収支をトータルで考えると、ない方が有利ということになると思います。

A. kztさんから

 確かに、雲古も御叱呼も冬季には大変な熱量損失です。雲古の熱容量は、質量×比熱で、そうとうなものです。
 しかし夏期はどうでしょうか。夏期の排泄は、体内の熱を外部に捨て去る絶好の機会といえます。体温を下げるのに役立っているはずですから、一概に年間を通じて損とはいえません。
 雲古や御叱呼の熱をどうしても暖房に利用するならば、排泄後すぐに流さず、しばらくビニール袋などに保存しておいて、熱を家屋の暖房に利用し、しかるのちに捨てるとすると、熱の無駄がないのですが、作業は大変な手間ですし、万一袋が破れたときの汚損のリスクが避けられません。だいいち、見ていてあまり気持ちがよくないでしょうしね。
 排泄物に体温並みの熱があるのは、自然界にとってどういう意味があるのか考えてみました。自然において糞便を処理する役割を担う動物・昆虫・微生物らにとっては、ほかほかとあたたかく、臭いを発するほうが、自然界の貴重な雲古をより見つけやすいという素晴らしい意味があるのではないでしょうか。

A. 子沢山さんから

 隅の老人様の疑問である、熱を捨てている点に関しては、それまで体内にあり、体温と同じ温度であったものが体外に排出される以上、やむえないことだと思います。
 もし、わざわざ冷却して捨てるということになれば、より大がかりな仕組みが必要になることでしょう。
 ただ、この捨てる熱の量を、もっと少なくすることは可能です。排泄物の量を少なくすればよいのです。

 人間の身体は、地球上の生物の進化の究極ではありません。むしろ人体より優れた機能を持っている動物はたくさんおります。
 この尿という形で排泄する方法もその一つで、人体のとっている方法はそれほど優れた方法ではないのです。
 身体を構成するタンパク質が分解して生じる窒素化合物であるアンモニアの排泄方法という点から、脊椎動物の進化の過程を見ていくと、そのことが分かります。

 最初に出現した脊椎動物である魚類は、アンモニアをそのまま排泄します。アンモニアは、生体にとって有毒ですが、水溶性なので、周囲環境からいくらでも水を補給できる魚類は、アンモニアが生成されたそばから、そのままアンモニアを水に流して排泄することが可能だからです。
 ところが、魚類が水の補給に制限がある陸上に上がり、両生類に進化するとこの方法は採用できません。そこで、アンモニアを毒性の弱い尿素に変換する能力を獲得します。毒性の弱い尿素は、しばらく身体に留めておくことが可能ですが、尿素も水溶性なので、結局、水に溶かして排泄する形なります。これが尿です。この意味では、窒素の排泄に関しては、われわれ人類のとっている方法は、カエルなどの両生類から進化していないのです。
 やがて、両生類から初期の爬虫類が出現し、これが2系統に分かれます。
 一つは単弓類と呼ばれるグループで、こちらから後に哺乳類が出現します。この単弓類の窒素排泄法は、尿素のままです。
 もう一方の竜弓類は、後に現在の爬虫類や恐竜、さらには鳥類に発展していくグループです。こちらのグループは、尿素をもう一段階変換し、尿酸に変える能力を獲得します。尿酸は水に不溶性で、捨てるのに水分を必要としません。もはや多量に水分を失うことなく、窒素化合物を小さな塊にして排泄できるのです。我々が見る鳥の糞の白い部分がまさにそれで、ですからあれは糞というより、尿というべき部分なのです。このような方法であれば、排泄物の量の著しく少なくすることができるので、失う水分も熱も少なくなります。そのため、水分の補給も少なくて済みます。また、膀胱のような尿をためる泌尿器も不要です。このことは、身体を軽量化することにもつながり、鳥類が飛翔することに有利に働く結果となるのです。

よくわかりました。
 オシッコから、ここまで詳しくなるとは驚きでした。

A. トンビーさんから

 オシッコを体温と同じ温度のまま捨てることは確かにエネルギーの有効利用という点では損してますね。糞を食べる動物もいますし飲尿健康法などというのもありますので、本当にオシッコの熱をもムダにしたくないというような極限の状態になったときは自分や家族で飲めばいいのかも。飲み水が足りないときの対策にもなりますしね。案外原始人の頃はそうしてたのかも。
 しかし、そのまま捨ててもそれほど損をするとも思えません。体温より高いものを捨てるのなら体温の低下を招きそうですが、体温と同じものを捨てるのですから体温は変らないでしょう。ですから寒い冬にオシッコをしたからといって、その後でそれまでよりも寒く感じるということはないはずです。これは暑い夏にオシッコをしたからといって、それで涼しくはならないという意味でもあります。
 オシッコをしても体温は下がりません。汗として放出すると体温が下がりますけど、それはご存知のように汗が蒸発する時に体表から気化熱を奪っていくからであって、体温と同じ水を体外に放出したからではないんですね。