Q. 章介さんからの疑問
英語の動詞に関する質問です。素朴ではないかもしれません。
「勉強する」「勉強した」「食べる」「食べた」などのように、現在のことを話すときと、過去のことを話すとき、日本語では区別することができます。
これは、英語でも同じで、study,studied,eat,ate
などと動詞の形を見れば、現在か過去かは判断できます。区別できるというのは重要だと思います。
私がわからないのは、主語によって、動詞の形を区別するという考え方です。
主語が三人称、単数で、時制が現在の場合、それに続く一般動詞には最後にsが付きます。時制が過去の場合は同じ動詞の形なのに、現在の場合は使い分けています。これは、何のメリットがあるのでしょう? 大昔は、過去形でも主語によって区別していたのでしょうか?
be動詞にいたっては、かなり細かく使い分けがされています。どうしてこんなに細かいのでしょうか?
そのあたりの経緯をご存じの方がおられましたら、ぜひ、教えてください。
★他の言語では、男性名詞、女性名詞なんてのがあって、性別ごとに動詞の形が変わるなんて場合も……。こんなに細かくする必要がどこに?(星田)
A. etoukさんから
スペイン語の場合は、動詞の活用を見るだけで、主語が何なのかわかります。つまり、主語を省略しても、本来の主語は何なのかわかるのです。
たとえば、"Voy."と言えば、"私が"行くという意味であり、"Vamos."と言えば、"私たちが"行くという意味です。
わざわざ主語をつけて"Yo voy."、"Nostoros
vamos."という必要がないので便利です。
英語の場合も、かつてはスペイン語のように人称活用が明快であったとされています。動詞を見るだけで、その主語が"私"なのか"彼"なのか"あなた"なのか、はっきり分かったのです。
しかし、大昔に、バイキングの襲来とかいろいろあって、言語が異民族間でグチャグチャに混成し、シンプルな言語に変化してしまったのです。
現代の英語の人称変化は、語末の s
のあるなしに残っているのみなのです。
A. トンビーさんから
「言語はどのようにしてできるのだろうか?」という根本的なところから想像してみました。
どのような言語にも種々の不思議な使われ方があります。身近な日本語にもいっぱいありますね。日本語のややこしさは英語の比ではなく、たとえば英語の「I」に対するものだけでも、
「わたし」「わたくし」「あたい」「おれ」「ぼく」「じぶん」「われ」「てまえ」「よ」「ちん」
などなどメチャクチャにいっぱいあります。ものの数え方も日本語はかなり難しいと思います。動物の数え方など全て「匹」でいいように思うのですが、他に「頭」「羽」「はい」「枚」「個」などと言い分けています。
どうしてそんな面倒なことをし始めたのでしょうか。私は、それはたぶん、「遊び心」から始まったのだと思います。
新しい言葉が生まれたり新しい使われ方が始まったりするのは洒落っ気を持ったある一人の人からであり、最初はその人の属する数人のグループ内だけで使われていたものと思います。そして、それが徐々に外に広まっていき、ついにはそれが普通に使われるほどになったのだと思います。
現代でもごく一部の女子高生が使い出して世に広まった言葉が沢山ありますが、それと同じような感じだと思います。
では「英語では3単現のとき動詞にsをつける」というのがどのようにして始まり定着していったか再現してみましょう。
あるグループで、
「おい、これからは3単現のときだけは動詞にsとつけて話そうか」
「うん、面白そうじゃん。結構難しそうだけど、それを使ってれば俺たちのグループの者だという証明にもなるしな」
「じゃ、とりあえずはグループの外のやつらには、何にsをつけてるかという法則は秘密にしておくということでヨロシク」
別のグループで、
「おい、あいつら、どうやら3単現のときだけ動詞にsをつけて話してるみたいだぜ」
「へえっ、ちょっとかっこいいじゃん。俺たちもやろうぜ」
一般の人たちの間でも、
「なんか最近、時々動詞にsをつける人って多くない?」
「あっ、それねえ。なんでも3単現のときだけsをつけるらしいわよ。わたしもときどき使ってるけど、ナウい感じがして面白いわ」
「じゃ、わたしも使ってみようかな」
A. Issieさんから
「英語で主語によって動詞の形を区別するのはなぜか?」
と問われたら、たぶん
「日本語話者にはわからないだろうけれども、そうなっていて、それが当たり前だから」
としか答えられないと思います。
英語や日本語では現在と過去とで動詞の形を変えていますが、たとえばマレー語の動詞には現在形と過去形の違いがありません。現在か過去かは、「今」とか「すでに」という言葉を副えて区別します。話し言葉ではなく、昔の書き言葉ですが、漢文(古代の中国文語)もそうですね。
同じ日本語の中でも、西日本の方言の中には「しよる」と「しとる」で「進行」と「結果」を区別するものがあるそうですが、関東方言の話者である私にはその区別がつきません。
でも、それを区別する方言の話者にとってはそれが当たり前で、区別する手段を持たない関東方言や、それをもとにした共通語(標準語)は不便と考えているかもしれません。
現在の英語は文法的にかなりシンプルなものになっていますが、英語をはじめとするインド・ヨーロッパ語族に属する言語は、もともと文の中での役割やほかの単語との関係に応じて単語自体が形を変えるように発達してきました(「屈折語」といいます)。
それに対して、日本語は単語自体の形は変えずに、文法上の役割や意味を表す言葉(助詞や助動詞など)をくっつけることで文を作るように発達しました(「膠着語」といいます)。
2000年以上前に文法が確立してインド・ヨーロッパ語族の古い姿を残している古代ギリシア語やラテン語では、動詞は現在も過去も主語(人称)によって形が違います。ラテン語の子孫であるフランス語やイタリア語、スペイン語などでは現代でも人称によって動詞の形が違いますね。
英語でも1000年前の「古英語」と呼ばれる時代のものは、現在も過去も人称によって形が違いました。また、名詞や形容詞も昔のラテン語や現在のドイツ語やロシア語のように幾つもの「格」があって、盛んに格変化をしていました。それがシェークスピアの時代に確立した「近代英語」になるまでの間に「退化」して、現在のシンプルな形になりました。
理由は2つのことがあるようです。
その1つは、英語ではかなりはっきりした強弱アクセントを伴って発音することです。動詞や名詞・形容詞の変化形の中には母音を変えて区別するものが多くありました。ところがそれらの多くにはアクセントが置かれず、だんだんと「おざなり」に発音されるようになり、どれも同じように曖昧母音(eをひっくりかえした発音記号で表される母音)で発音されるようになり区別がなく
なってしまい、やがて母音自体が発音されなくなってしまいました。結果として変化形の違いがなくなってしまい、区別自体がなくなった。
2つめに、動詞の人称変化の場合。実は英語では「古英語」の段階で既に複数形では人称による形の違いがなくなっていました。現代英語の代名詞で言うと、we
でも you でも they でも動詞の形は同じ。一方、単数形では人称によってそれぞれ形が違っていました。
で、これは近代英語の時代に入ってもほぼ同じで、ただし単数形の
I が主語である場合と複数形の区別はなくなっていました(現代と同じ)。
ところで、近代英語では比較的最近まで2人称単数用に
thou という代名詞があって、これが主語になる場合には動詞は
-st(または -est) という語尾を取ることになっていました。「3単現の
s」と同じように「2単現の st」というものがあったのです。
ところが多くのヨーロッパ語では近代に入って主語が2人称である場合、実際は1人でも複数形で言い表すことが好まれるようになりました。フランス語やロシア語では「敬語表現」として単数に対して複数形が用いられます。この場合、主語だけでなく、動詞もそれに合わせて複数形になります。
英語でも2人称では本来の単数形である
thou に対して複数形の you (本来は目的格の形だったが、主格の
ye に取って代わった)が用いられるようになって動詞も複数形となり、主語の
thou とともに「2単現の st」は廃れました。その結果、現在では「3単現の
s」だけが残っているのです。
be動詞の場合も、これだけが細かく区別されるようになったのではなくて、ほかの動詞も同じように区別していたのです。古英語の時代のbe動詞は、もちろんたくさんの変化形を持っていましたが、その変化のしかたはほかの動詞とそれほど違ってはいなかったようです。
ただし、現在のbe動詞に当たる動詞が3つほどあって、近代英語になるまでにそれが「1つの動詞」に統合されました。つまり、現在形(am,
are, is)と、過去形(was, were)とではそれぞれ違う動詞を「先祖」としています。その分、現代のbe動詞は複雑な変化をするのですね。その上で、とても頻繁に使われるものだから、複雑な変化のまま残ったのでしょう。日本語でも基本的な動詞で頻繁に使われる「来る」「する」は特別な変化をします。
あれこれ書いてきましたが、最初に書いた通り、「なぜそのような区別をするのか」という問いに対しては、「それがその言語では当たり前だから」と答えるしかありません。そのような区別のない言語ではそれを区別しなくても言語が成り立っているのから、その区別の必要性は結局のところ理解できないのです。たとえば、主語の人称による区別のない日本語に動詞の人称変化がないように。
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