--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.890 (2011.03.07)

Q. Naoさんからの疑問

歴史の教科書に出てくる銅鏡の裏側(模様があるほうの反対側)は、鏡のようになっていて顔が映るのですか?

私も知りたい!
 正倉院展でも展示されていたと思うのですが、どうだったっけなぁ……。(星田)


A. ぺろさんから

 裏面が紹介されていることが多いですが鏡です。金属を太陽に当てると光が反射しますよね。
 更に目の細かいやすりのようなもので磨くと反射が均一になります。

A. YOSHYさんから

 確かに「鏡」です。
 ただ、博物館や教科書に出てくる写真を見ると何処に鏡面があるのかと思いますが、海獣、葡萄といろいろと彫られている(若しくは成形されている)面の反対側に「鏡」の面があります。
 しかし、今の鏡ほど映す能力はなかったと思います。
 一寸はずれますが、初期の反射望遠鏡も金属の鏡を使っていたようです(これには通常の鏡では代用できない理由があるのですが)。

A. ごんたさんから

 綺麗に磨きあげれば、現代の鏡のような鮮明さはないものの、割とまともな鏡になりますよ。
 また、このような金属の塊を鏡にした場合、裏側に立体的な模様を付けると、反対側に微妙な歪が現れて、近くで見るとただの鏡なのに、光を反射させると模様が現れる不思議な「魔鏡」ができます。
 神具などに使われたのはこのせいではないかと思うのです。

A. 少伯さんから

 私も、現物を見たわけではありませんが、複製品を写真で見た限りは銅鏡のオモテ面(博物館などで見る飾りのある面は裏面です)はたしかに今私達が使用している鏡のようでした。
 現在、一般的に用いられている鏡も透明なガラスの一面にアルミニウムを蒸着した物だということを考えると、金属の表面を平滑にし、しっかり磨けば同じように物を映し出すことは容易に想像できるように思います。
 ただ、そこまでしっかりと磨くのは容易ではないでしょうけど。
 そして磨きが充分でないと、ぼやけたようになり細かいところまできちんと映りません。
 だから、実際使用せれていた銅鏡がどの程度ハッキリ映し出させたかはよく分かりません。ひょっとすると、一枚ごとに精度が異なり、よく映る鏡と、ぼんやりしか映らないものが存在したのかもしれません。
 でも、鏡としてある程度の用をなしたことは間違いのないことだと思います。 蛇足になりますが、あのニュートンや天文学に貢献したウイリアム ハーシェルは自分で凹面鏡を金属板から根気よく磨き、鏡のようにして望遠鏡を自作したそうですから金属板であれば、普通の鏡のように物が映るようにすることは基本的に可能であると思います。

A. Haruさんから

 山内一豊の妻が小判を隠していたのは、実家から嫁入り道具として持参した鏡の裏だということです。彼はその小判で馬を買い求め、山内家が大名に出世する糸口をつかみました。良妻の代名詞ともいえる山内一豊の妻が使ってた鏡も金属(おそらく銅)製だったはず。だからこそ、裏に小判を隠していても判らなかったのでしょう。
 明治時代まではガラスの鏡はむしろ珍しい方で、田舎の古い民家の納屋などには今でも金属製の鏡が眠ってることがよくあります。
 私の祖母(明治産まれ)の若い頃には未だ金属製の鏡を使ってたそうで、「いちじく」だったか「ざくろ」だったか失念してしまいましたが、その実の汁で磨くと映りがよくなるものだよと聞いた覚えがあります(小学校低学年だったので記憶が曖昧なのですが……)。
 また近所に在った神社の御神体は銅鏡でした。悪ガキどもで集まって、罰あたりにもその御神体を覗きに行ったことがありますが、御神事の度に神主さんが手入れなさってるご様子で、錆もなくピカピカで境内方向の斜め上に向けて安置されてました。太陽(天照大神)の遷し身としての銅鏡というのが、今は何となく理解できます。当時小学生だった私にはとうてい理解不能でしたが……。
 あの御神体の鏡に太陽の光を当てて神社の何処かに照らしてみたら、ひょっとしたら何か特殊な模様でも現れたのかなァ。