--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.902 (2011.05.14)

Q. アンギラスさんからの疑問

 昔は、長さの単位に「曲尺」と「鯨尺」の2種類があり、長さが違いましたよね。何で2本立ての長さの形態になったのでしょうか?
 現在でもジーンズのサイズなどでインチを用いたりしますけど、センチメートルとは明らかに長さが違うし、極めて限定された物の長さや業界内でしか使わないので問題は少ないですが……。
 曲尺の1尺と鯨尺の1尺では長さも似通っているし、同じ「尺」と呼ぶし、不便とか混乱とかは起きなかったのでしょうか?

(以下は、星田)
 基礎知識
 鯨尺……もっぱら民間で布を計るのに用いられ、その1尺は曲尺の1尺2寸5分(約37.9cm)に当る。(広辞苑)

 多分ですが、曲尺と鯨尺も使う場面が異なるので、混乱は起きにくいのだと思います。「尺」は曲尺と鯨尺が代表的ですが、ほかにも歴史上様々な尺が登場しています。乱立から統一の流れがありますが、この2系統は現代でも残っていますね。
 案外、ジーンズのサイズを世界共通のcmではなく、インチで示すことと同様の理由なのかもしれません。
 あ、もしかしたら、もっと多くの「尺」があったのかもしれません。


A. h!dey.さんから

 身近に服飾業界の人がいるので、その人から……。
 鯨尺は、元々着物屋さんの業界が着物の丈などを図るために生まれてきたものだそうです。同様に、曲尺は建築業界(大工さん)で生まれたもので、それぞれの起源が違うことから、長さが違っているのではないかということです。
 うちにも使っていない鯨尺がありますが、これは「鯨の髭(歯)」でできています。
 他にも、畳などは京間と江戸間など数種類があります。おそらくはその地方・業界ごとにいろいろな単位が生まれてきたものをおぼろげに集約したのだと考えられます。
 スポーツなども、トラック競技などはメートル法ですが、それ以外の規格(野球、サッカー、アメフトなどなど)は、ほとんどがヤードではないでしょうか。

なるほど〜。
 きっと、「尺」にはたくさんの種類があって、現在、曲尺と鯨尺の2つが細々と生き残っている──と考えるべきなのかな?
 長さの単位を統一するという考え方の以前に発生した単位なのでしょうね。
 ここで、不思議なのは、曲尺と鯨尺の長さの関係です。鯨尺は曲尺のきっちり4分の5倍なのです。別々の業種・目的で使われていたのは分かるのですが、この関係の鮮やかさは、何か意図が感じられます。
 なんでかなぁ? 余裕を持って布を裁っていたのかな?

A. Haruさんから

 長さの単位としての尺だけに留まらず容積・重量に至るまで、中国伝来の度量衡には王朝が変わる度に中国側で新しい基準が設けられてるために(中国歴代王朝の多くが漢民族ではない異民族支配が多いため)、遣唐使時代以降に朱印船貿易時代・日明貿易などその時代毎に日本に持ち込まれた度量衡に多くのバリエーションが生まれてます。
 そしてそれらの新しい度量衡は時の朝廷や幕府の都合で日本でも用いられる訳ですが、その新しい制度が日本隅々にまで徹底されたわけではなく、中央から離れた土地、あるいは、辺鄙な山奥や海岸の津々浦々などでは古い度量衡が残り、また、それぞれの土地の領主の都合の良い方の度量衡が用いられることになります。
 たとえば、一升枡などがよい例で、大きな枡で量って買い入れた方が安く買えるから大枡、別の領主では小さな枡で量って課税した方が利が大きいから小枡を採用など、その領地で生産される物産品・特産品の特徴次第で、領主が枡の大きさを変えてます。
 現代でも家の間取りで使われる一畳という区画単位が日本全国で様々あります。おそらく人口密度との関連と思われるが江戸間はいちばん小さく、五八間、三六間、京間、本間など、私が知ってるだけでも五種もメジャーな単位があります。おそらくマイナーな間取りまで入れれば、日本中には10種以上の間取りの種類がありそうです。
 各地に領主がいた江戸時代までは日本全土で統一された度量衡は存在せず、それぞれの土地の事情に合わせた藩内独自の基準で度量衡が用いられてたはずで、尺寸等の度量衡を本格的に統一できたのはおそらく明治時代なのでしょう。
 そのときに、なぜ鯨尺だけが淘汰されずに残ったのか?
 おそらくは京都辺りの反物を扱う人々の間に便宜上残されたものだと思われますが、裄丈との関係ではないでしょうか?
 反物を和服にしつらえるときにいちばん基準となるのは身丈と裄丈であり、裄丈の半分+縫い代が反物の幅として最適になります。成人男子の平均身長が5尺2寸足らずで、5尺5寸ともなると大きいと呼ばれた時代、普通の人の裄丈は70cmで収まったと思われます。
 もし反物の幅が1尺(30.3cm)だと子ども用の着物しか仕立てられません。そこで大人用の反物の標準幅として1尺2寸5分の鯨尺が生き残ったのでしょう。
 ちなみに鯨の髭は湿度での変化が少ないので物差の素材として重宝されました(しなやかで、竹より丈夫で長持ちする点も)。おそらく京の何処かには、鯨尺の基準尺が今でも残ってるのではないでしょうか?
 ただ、和服関係には疎い私なので、上記も推察の真偽を確かめられません。呉服屋さんとか京都にお住まいの方とかが聞いたら、「そりゃ全然違いますわ」って一笑に付されてしまうかもしれません。