--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.965 (2012.04.03)

Q. かっちゃんからの疑問

 小学生が遠足で新聞社に見学に行ったときにするような質問で申し訳ないのですが、以前からず〜っと気になっていたことなのです。
 新聞(朝刊)の記事の最終締切って何時ですか?
 そのあと印刷して、集配所まで届けなくてはならないのですから、締切は必ずあると思うのです。
 最近は、もちろんパソコンで処理をされているのでしょうから、パソコンがなかった時代よりは締切が遅く設定されていると思います。
 また、よくある話でしょうが、「一応の締切時刻」と「本当にギリギリの締切時刻」っていうのもあるでしょうね。
 そんな話をお聞かせください。よろしくおねがいします。

「スペースを空けて待ってるぞ!」って本当にあるのかな?(星田)


A. アンギラスさんから

「だいたい午前0時ころかな」と思って調べてみてら、そのことについて詳しく書かれてあるサイトを見つけました。

 それによれば……、各版の締め切り時刻は概ね以下の通りだそうです。

 朝刊
 12版: 22:00 頃  13版: 24:00 頃  14版: 1:00 頃

 夕刊
  2版: 11:00 頃   3版: 12:00 頃   4版: 13:00 頃

 わが家では14版でしたが、地下鉄で6〜7駅くらいしか離れてない友人宅は配送ルートが違うのか、12版で一面が違いました。
 以前、全国紙・スポーツ紙を印刷してる工場へ見学に行きましたが、工場の上に製版作業室があり、コンピュータによる組版から画像処理、フィルムを介さない印刷用版の作成が一箇所で行われてました。
 今では、スポーツ紙に掲載する写真も無線のインターネット回線で送れるのでしょうが、見学した当時は野球場などからフィルムやデジカメのメモリーを持ったバイク便が行ったり来たりしてました。
 駐車場には、各所へ新聞を運ぶ2tくらいのトラックがズラッと並び、刷り上るそばから積み込んでバンバン出発してました。

A. 半可通さんから

 新聞(朝刊)記事の締め切りについては版毎に違いますが、大手新聞社間での協定があるらしく「午前1時15分以降に発生した事件・事故は掲載しない」と言う取り決めがあるそうです(この協定が守られてる事を確認する意味で、新聞各社は最終版のゲラを新聞協会に届けてるらしい)。
 速報で数行の文字を起こすにしても、取材に要した時間、編集に要した時間などを考えれば、最終の締め切りは午前2時頃がギリギリの所だろうと思われます。
 冒頭に述べた「版毎で違う」に関してですが、印刷所から配送センター、さらに各地域の新聞集配所で折込チラシを入れる(天気が悪い日にはビニールで覆う)など、朝刊が各家庭に届けられるまでに要する時間が必要なので、同じ新聞社の朝刊でも早い印刷の版と遅い印刷の版とでは記事内容が若干違うのだそうです。
 新聞社のロゴに続いて地域名、そして「12版」「13版」「14版」と入ってるのに気付いたことがありませんか?
 12版はいちばん早い印刷の朝刊記事で、締め切りは大体22時〜23時となってる新聞社が多いみたい。
 12版が刷り上った後に編集会議が行われ、その結果で13版を編集、その約1時間後に最終版である14版の編集が完了するまでが、各新聞社の記事の締め切りとなるわけですが、通常は夜中の1時過ぎには14版(最終版)の編集が終わるようです。
 もし夜中の1時頃に重大事件が発生したとしたら14版の印刷を少し待たせて、「紙面空けて待ってるぞ!」ってな状態になるのでしょう。

A. うにうにさんから

 朝刊の最終締切ですが、新聞によって異なりますし、また同じ新聞でも住んでいる地域によって異なりますが、今日では概ね午後11時〜午前2時ごろと考えてよいでしょう。
(ネット上で、「朝刊の締切は午前1時15分」と断言している記事をあちこちで見かけますが、話はそう単純ではないと思われます。)
 おっしゃるとおり、物理的に紙の束を印刷所から販売店へ、そして家庭へと輸送しなくてはなりませんので、どうしても締切時間が生じます。逆にいうと、印刷拠点に近い地域では、もっと遅らせることも可能です。
 実際、昔は朝刊・夕刊とも、かなりぎりぎりまで新聞を製作していました。一例を挙げると、アメリカのケネディ大統領が狙撃されたのは日本時間で1963年11月23日の午前3時半、死亡を伝える外電が入ってきたのが午前4時41分ですが、なんと当日の朝日新聞の朝刊最終版には、「ケネディ米大統領暗殺さる」の大見出しが載っています。このような大事件がなくても、1960年代の最終版は午前3時ごろが締切だったようです。
 しかし、そこまでして最新情報を紙面に突っ込んでも、実際にそれを目にすることができるのはごく一部の読者にすぎませんし、特に朝刊の場合は、深夜から明け方まで働いてもらうためにコストもかさみます。そこで、各社間で協定を結んで、ほどほどの時間で切り上げるようにしました。1970年代末にはもうそのような協定があったかと思います。
 具体的には、全国紙の東京本社の場合、午前1時半頃(1985年に聞いた話では1時35分でした)。
 また同じ全国紙でも、中部(名古屋)・大阪・西部(福岡)の各本社では午前2時頃です。
 夕刊は、それぞれ半日ずらして、午後1時半と午後2時頃です。
 ただし、選挙の開票速報、オリンピック、ワールドカップ、また突発的な大事件のときなどは、各社で話し合って、最終締切を伸ばすことがあります。
 地方紙は、全国紙より若干遅めかなという感じですが、それでもそう大きくは違わないと思います。
 ところで、先ほど「最終版」と書きました。ということは、最終でない版があるということで、実際ほとんどの新聞社では、朝刊も夕刊も複数の締切時刻を設定しています。

 1つの標準的なパターンを示すと、

  朝刊12版(早版=はやばん) 午後11時頃
  朝刊13版(中版=なかばん) 午前0時半頃
  朝刊14版(最終版)       午前1時半頃

 夕刊は順に2版、3版、4版と呼び、それぞれ締切は半日ずれます。また、朝刊が12版の地域には夕刊は2版が届きます。
 なお、1版は一部の新聞(少なくとも日経)には、昔はありましたが、今はないようです。また、5版〜11版もなくなりました(後述)。
 ただし、この数字の付け方や締切時刻もまた、新聞社によって異なり、また同じ新聞でも時代によって変わります。
 たとえば、東京エリアの場合、朝日・読売・毎日・日経の朝刊最終版は14版ですが、東京新聞は12版、産経は15版が最終です。
 しかし、数字は異なれど、協定がありますので最終版の締切時刻だけは一緒です。
 また、朝日新聞の東京本社の場合、かつては11版〜13版(夕刊は1版〜3版)としていましたが、1982年の2月ごろだったか、ある日突然、版の数字をプラス1して他紙と揃えました。他と比べて記事が古く見えると思ったのかもしれません。
 さらに、2007年の春からは夕刊の2版がなくなり、3版、3版△、4版の3通りになりました。(もしかしたら本当に締切が遅くなったのかもしれません) また、読売新聞の大阪本社版には夕刊の2版がなく3版と4版だけ(東京本社版にはある)など、とにかく版建ては複雑怪奇な様相を呈しています。
 何版と何版が作られていて、それぞれの締切はいつで、配布エリアはどこか、といった情報は、各社とも秘密にしているのが普通ですので、なかなか実態がつかめません。実際にあちらこちらで新聞を買ってみて、断片的に見えてくる程度です。

 ところで、パソコン導入で締切時刻が遅くなったのでは? というご質問がありました。
 たしかに人間が1文字1文字活字を拾って本文を組んでいた時代に比べると、記者が原稿を書き終えてから紙面が出来上がるまでの時間は短くなったでしょうが、活字時代でもベテランの植字工が手分けして作業していましたので、1時間も2時間もかかっていたわけではありません。せいぜい、20分とか30分でしょう。
 その段階がなくなった分、記者にとってはぎりぎりまで記事を書くことができるようになったかもしれませんが、最終締切は昔と余り変わっていないはずです。

 以下、昔話です。
 全国紙の場合、文字通り全国全てのエリアが配布地域ですので、輸送時間もかかります。
 かつて(1960年代まで)全国紙の印刷拠点は、ほとんど上記の本社に限られていました。そのため、たとえば東京本社であれば東京で印刷した紙面を、管轄エリア(北は青森県、西は長野県)の全地域に運ばなくてはなりません。
 しかも、高速道路網もあまり発達していませんので、主として各駅停車の夜行列車を使っていました。客車の端に連結した荷物車に新聞の束を積み込み、駅に着くたびに下ろしていくのです。
 このため、本社から遠く離れたエリアの朝刊の締切時刻は非常に早く設定されていました。たとえば四国は大阪本社の管轄ですが、1985年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故が、愛媛県に配られた読売新聞には載っていなかったことがありました(墜落は午後6時56分、時事通信が第1報を伝えたのは午後7時12分だったかと記憶します)。また、野球のナイターも1回か2回程度で終わっていましたので、おそらく午後7時頃が締切だったのでしょう。
 この朝刊には6版と書かれていました。つまり、先ほどなくなったと書いた5版〜11版は、もともと本社から遠い地域に運ぶための版だったのです。
 締切時刻は、夕方〜午後9時頃でした。また、これらの版に対応する夕刊を作ろうとすると、締切が明け方〜午前9時頃となってしまい、国内の政治・経済はまだあまり動いていません。そこで、これらのエリアには夕刊を作らず、代わりに前日の夕刊の内容をダイジェストして朝刊に盛り込んだ「統合版」を作ります。
 その後、1970年代にはまず青森に全国紙の印刷拠点ができ、さらに1980年代に入ると、各地に続々と印刷拠点を作るようになりました。
 また高速道路網も整備され、印刷してから販売店に運ぶまでの時間が大きく短縮されました。このため、5〜11版は徐々になくなっていきました。
 ただし、それまで夕刊を配布する体制がなかったエリアですので、締切時間だけ考えると新たに夕刊を配ることも可能に見えますが、実際には現在でも統合版が配られています。