Q. かすみさんからの疑問
みなさん、サメを食べたことありますか? 私はありません。
でも、聞くところによると、山陰のある地方では、サメを食べるそうなのです。もっとも、そちらでは「フカ」と呼ばれているようですけど、これって「サメ」のことですよね。
そこで、★雑木話★の読者のみなさんにお願いです。サメを食べた経験のある方、どんな味なのでしょうか? また、それにまつわる話も教えてもらえるとうれしいです。
A. minさんから
泉州地方(大阪南部)では昔から食べています(最近は高いのであまり食べませんが……)。やはり「フカ」と呼んでいます。
だいたい湯ビキにして、酢ミソで食べます。味は鱧(ハモ)とかオバケ(皮クジラ)とかとあまり変わりません。特にヒレの部分がおいしい(フカヒレ)ですよ!
そういえばオバケもあんまり食べなくなりましたよネ
A. arikumaさんから
私が、実際にサメを食べたことがあるわけではありません。が、手持ちのコミックの中で、その件に関してとても詳しく記載されていたので、でしゃばって参りました。
サメを、一番盛んに食べるのは
奥備後
特に広島比婆郡。その理由は……。
交通機関の発達していなかった昔、山の中では生の魚を食べることができません。しかし、サメは身体の中に
アンモニア分を溜め込むため
腐りにくく、半月くらいは持つので、海から遠い山の中で食べられてきたそうです。 交通機関も発達し、冷蔵庫もある現代でも食べられているのは、伝統的な食文化として、根付いているからでしょうか。
ちにみに、その地方では
サメのことを「わに」と言います。
一度、何かのテレビ番組で、その町のわに料理を出す食堂を取材していたのを見たことがあります。コミックにも登場する、口和町の「まんさく茶屋」と同じところでしょうか。
オーストラリアでは、流通機構に関係なく
海辺の町でも食べるそうです。
A. えがわさんから
大阪南部出身、大阪南部在住のえがわです。
大阪でもさめ(ふか)を食べますよ。よく法事の膳料理に出てきますし、地元の魚屋さんでも湯引きにしたものを売ってます。
先日、泉佐野市の魚市場に行ったら、まるごとのサメが売ってました。まるごとのサメは、さすがに初めての経験でしたが……。
○食し方
湯引きにしたものにぬた(ミソと練りからしなどでつくった和風ソース)をつけて食べる。私はこの食べ方しか知りませんが、他にも調理方法があるのかも。
A. 若旦那さんから
小学生(昭和30年代)の頃、九州に住んでおり、ときどき食していました。味は非常に淡白です。白身魚より淡白で、食べ方は、皮のままぶつ切りにし、身が白くなるまでしっかり茹でます。茹であがると冷水にさらします。すると、付いている皮が縮み、身が広がり食べやすくなります(水を切って食膳へ)。そして、我が家では、ゆず味噌をつけて食べていました、父親などは辛し醤油を付けていた様です。何というサメの種類だか、記憶がありません。
いずれにしても、淡白この上ない物に、ユズだの辛しだのをつけるので、身本来の味も香りもほとんど判らなくなり、食感を楽しんでた様です。食感は、冷水にさらしているせいか、しっかりした固めの鳥のササミの様なものでした。
フカ(鱶)とサメ(鮫)は同じもので、フカが地方名です。関西以西では「フカ」がほとんどで、九州も「フカ」の方が一般的だったです。
かすみさんへ:サメを食べられたことが無いそうですが、蒲鉾は嫌いですか?かまぼこの原料の一つですから、多分、きっと知らないうちに……と、思います。それくらい淡白な食材です。
突然、昔の懐かしい想い出に浸る事が出来ました。かすみさん、ありがとう。
A. とっしーさんから
地元の伊勢には さめのたれという鮫の干物があります。多分、下記のURLのお店で扱っていると思いますよ。
http://www.wakamatsuya.co.jp/same.html
A. こみゃんさんから
軟骨魚類は、硬骨魚類と比べて腎臓の機能がよくなく(?)て、尿の濃縮力だったか、忘れたれたけど、アンモニアが肉に溜まっているとか――聞いたことがあります。
昔30年ぐらい(?)前、埼玉県にいたときに食べたことがあるけど、あれは昔だったからなのか、埼玉県だったからなのかは、不明。
A. 男爵さんから
サメは1度だけ食べたことがあります。
熊本県の有明海沖に湯島という小さな島があります。ここでは年に一度、漁の邪魔になるサメ(地元ではフカ)を漁協の方々や漁師さんたちが退治するべく「フカ狩り」を行います。
この様子を地元のテレビ局で取材させて頂いたときに、掛かったサメを食べさせてもらいました。
調理法は主に湯引きで、酢味噌をつけて食べました。ハモなどに似ていて淡白ですが、少々臭みが感じられました。慣れればどうということもないのかもしれません。
ちなみに、掛かったサメは帰港した際に解体して、島の方々に配られていました。
4年くらい前の話で現在のことはわかりませんが、どうしてもという方は訪ねてみてはどうでしょう。
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