Q. ★雑木話★#050の【メモ】からの疑問
◆第1回のオリンピックは、1896年にアテネで開催されているが、そのときの参加国は13ヶ国だった。
アメリカ、イギリス、オーストラリア、オーストリア、ギリシャ、スイス、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ハンガリー、フランス
11カ国しかないとお叱りがあるかもしれないが、文献を当たってみても、JOC(日本オリンピック委員会)に問い合わせても、ここまでしかわからなかったのだ。
そこで、どなたか、ご存じの方! あと2つの国を教えてください。
A. UFUFUさんから
ご参考になるかどうか。
第1回アテネ大会の2年前に、オリンピック復興問題を議題とした国際会議が、フランス、アメリカ、イギリス、ギリシャ、ロシア、ベルギー、イタリア、スペイン、ハンガリー、ドイツ、ボヘミア、オランダ、オーストリアの13ヶ国で開催されています。
会議参加の13ヶ国から参加が分かっている11の参加国を差し引くとイタリア、ロシア、ボヘミアの3国ですから(オーストラリアは会議に出席しないで大会に参加した)、このうちの2国ではないでしょうか。
A. マコさんから
あと2つは、ブルガリアとイタリアでした。下記URLをご参照ください。
Olympiaka_com - Share the Spirit
http://www.olympiaka.com/history/summer/1896Athens/know.asp
A. もっちゃんさんから
残り2ヶ国のうちのひとつはチリだと思います。
こちら(愛知県)の地元のスポーツ新聞で読んだんですが、第1回オリンピックに出場した国の中で、未だ金メダルを獲得していない唯一の国だそうです。
「シドニーでサッカーが遂にチリ初の金メダル獲得なるか!」という記事の中で触れられていました。
結局獲得はなりませんでしたね。
残りのもう1カ国はわかりません。
因みにアテネオリンピック出場者の大多数がギリシャ人だったことも書かれていました。
チリからは参加1名だったそうです。
A. magi.さんから
検索エンジンで調べてみたところ、判明しました!
その国は、ブルガリアとチリの2国です。
参考URL: http://www.kiat.net/olympics/history/01athens.html
あと,調べているとき、下記URLで気になる記事を見つけました;
http://www.nifty.ne.jp/forum/fsoccer/olympic/HISTORY/olympic_history_1.htm
これによると、正式種目ではありませんが、第1回大会でデンマークとイズミル(トルコ)がサッカーの試合をしたとあります。
参加国って13? それとも14? 新たな謎を持ち込んでしまいました(笑)
★どうやら、あとの2ヶ国は、
ブルガリア、チリ、イタリア
の中にありそうです。面白そうですね。さらなる回答を!(星田)
A. saiさんから
以下のサイトを見つけました。
どうやら、14ヶ国のようです。でも、その14ヶ国はわかりません。
http://www.joc.or.jp/olympic/history/002.html
★JOCが14ヶ国と言っていますが、まだまだ分かりませんよ!
情報をお待ちしています。(星田)
A. Jujuさんから
完全な答えではありませんが、ご参考になれば……。
第1回アテネオリンピック参加は、14ヶ国で間違いないようです。IOC(国際オリンピック委14員会)のオフィシャルページに書かれています。
http://www.olympic.org/uk/games/past/index_uk.asp?OLGT=1&OLGY=1896
(抜粋)
14 NOCs (Nations)
241 athletes (0 women, 241 men)
43 events
USA、ギリシャ、ドイツ、フランス、イギリス、ハンガリー、オーストリア、オーストラリア、デンマーク、スイスの10カ国については、国別メダルのリストから確認できます。
あと混成チームというのがありますが、これはどこの国の混成なのかは不明です。
★あと4ヶ国だ! どこなんだ一体?(星田)
A. うにうにさんから
2004年の朝日新聞元日号第4部(アテネ五輪特集)を読んでいたら、「第1回大会を観戦しよう」という架空観戦記があり、次のような記述がありました。
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選手団が入場してくる。何人が参加したのか数えなきゃ。国際オリンピック委員会(IOC)の公式資料には14カ国241人とあるけど、ギリシャの資料では13カ国311人とも。ギリシャの230人が圧倒的に多く、あとは欧州勢がほとんど。欧州以外は米、オーストラリア、チリだけ。開催決定から2年間の準備しかなかったし、各国に招待状が発送されたのは前年暮れだから無理もないか。
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これに触発されて、あちこちと軽く調べてみました。まだ決定的な情報を得るに至っていませんが、中間報告としてお知らせしておきます(といっても、インターネットで検索しただけですので、すでにご覧になった情報も多いかもしれません)。
まず、2004アテネ五輪の公式サイトには、
「13ヶ国から約300人が参加」(Approximately
300 athletes from 13 countries participated in this
first modern Olympics)
となっています。具体的な国名は書かれていません。
一方、こちらのサイトでは
「14ヶ国から311人が参加。最大の選手団はギリシャの、次いで独・仏。311人の内訳は、ギリシャが230人、残り12ヶ国が81人」
となっており、国の数の計算が合いません。
12ヶ国の内訳を見ると、
「オーストラリア、デンマーク、ハンガリー、オーストリア、フランス、スイス、ブルガリア、英国、スウェーデン、チリ、ドイツ、米国」
(Australia, Denmark, Hungary, Austria, France,
Switzerland, Bulgaria,Great Britain, Sweden, Chile,
Germany and the United States)
となっています。
なお、311人という数字ですが、重複出場者をダブルカウントしているので(つまり延べ人数ということですね)、実人数は約175人であるとも書かれています。
このうち、米国、ギリシャ、ドイツ、フランス、英国、ハンガリー、オーストリア、オーストラリア、デンマーク、スイスの10ヶ国はメダルをとっています(Jujuさんからの回答にあったものと一致します)。合計は、金44個、銀42個、銅36個、合計112個です。
次に、フローニンヘン大学図書館(オランダ)のサイトに掲載されていた、Kuper,
G. & Sterken, E.; Olympic participation and
performance since 1896 という論文を見つけました。
これは、オリンピックへの参加や、そこで獲得するメダルの数などを、地政的要因から分析したもので、最近は開催国だからといって昔ほど有利とはいえない、などの結論が興味深いものがあります。
この中では、1896年ゲームは参加人数245人、参加国14ヶ国としており、D.
Wallechinsky (2000), The Complete Book of the Summer
Olympics,Sydney 2000 Editionが出典となっています。ただし、こちらにも国名は書かれていません。
また、the Virtuell Olympic Museumというドイツのサイトでは、15ヶ国177人となっています。その内訳は、
1. Australia
2. Austria
3. Cyprus
4. Denmark
5. Egypt
6. France
7. Germany
8. Great Britain & Ireland
9. Greece
10. Hungary
11. Italy
12. Smyrna
13. Switzerland
14. Sweden
15. United States
また、メダルの個数は、国名・金・銀・銅・合計の順に、
Greece 10 16
19 45
United States 11 7 2 20
Germany 6 5 2 13
France 5 4 2 11
Great Britain and Ireland 2 3 2 7
Hungary 2 1 3 6
Denmark 1 2 3 6
Austria 2 1 2 5
Switzerland 1 2 0 3
Australia 2 0 0 2
Great Britain and Ireland / Germany 1 0 0 1
Egypt 0 1 0 1
Greece / Egypt 0 1 0 1
Great Britain and Ireland / Australia 0 0 1 1
Totals 43 43 36 122
となっており、混成チームの内訳も分かります(ちなみに英独混成チームで金をとっているのは、テニスのダブルスです)。
ただ、不思議なのは、先ほどのサイトと比べると、合計で金が一つ減り、銀が一つ増えている点です。どうやら、金は数え方の問題で、このサイトでは「英独混成チームに1個」と数え、さっきのサイトでは「英1個、独1個」と数えているようです。銀は、先程の資料にはなかったエジプトが2個とっていたり、なかなか複雑怪奇です。
ここのサイトによると、1896年のゲームの公式報告書が出ているようですので、それを見れば何か分かるかも知れません。ただ、どこに行けば見られるのか……。
全然まとまらなくてすみません。また何か分かりましたらお送りします。
A. ぶっとこさんから
第一回アテネオリンピックの参加国の件、自分での探索はとうの昔にあきらめていたので、今回の、うにうにさんの調査は非常に興味深く読みました。
その中で、あるところでは15カ国参加したことになっている、ということで国名が列挙されていましたが、それを見て困惑。「Smyrna」なんて国は聞いたことがない! 一体どこだ?と思って調べたら、下記にゆきあたりました。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/middleeast/ismil.html
この記述を見ると、Smyrnaは現在トルコのイズミール地方のことで、第一次大戦後、一時ギリシャが領有したことがあったものの、アテネオリンピックの頃はトルコ(オスマントルコ)の一地方、と思われます。するとこれは国なのか? Magiさんのコメントに、イズミール(トルコ)がサッカーで参加、とありますが、そう単純にすませてはいけない気がしてきました。
ちなみに、最初のトルコ人がサッカーをしたのは、1898年!
で、在留のイギリス人なんかが楽しむほかは、基本的には禁じられていたとか。
http://www.angelfire.com/nj/sivritepe/5758/tl.html
現在も、台湾が参加するとき名称をどうする、とか国際政治に左右されていますが、スミルナを独立国家として認めさせようというギリシャの策謀か? 近代オリンピックは、初回から政治問題含みだったのか? 国じゃなく地域で参加できたのか?
想像と疑問が膨らむばかりです。
本家の問題もまだ未解決ですが、ついでに、分家の問題も調べてくれる人がいればありがたいな、と思います。
とここまで書いてきて、試しに、もう一度検索をかけてみたら、1906年に唯一の中間オリンピックというのがアテネで開かれ、サッカーで、金デンマークに続いて、銀スミルナ、銅テサロニケだったそうです。
わずか100年前でも不思議なことだらけで、トリビアが流行るのも、ごもっとも、と感じました。
A. うにうにさんから
前回、「1896年のゲームの公式報告書が出ているようですので……」と書きました。その後、いろいろ調べていて、ついに、第1回オリンピック大会のあらゆる競技の記録が載っている図書を入手しました。
Bill Mallon & Ture Widlund著、『The 1896
Olympic Games』という、1998年に出た本です。英文です。
本書は、公式報告書を始めとして、1896年当時に出されたオリンピック関連の文献だけでも35タイトルを比較し、不明な点・矛盾している点は徹底的に調べ、図書だけでなく各国の資料や雑誌・新聞の記事にまであたって、極力正確を期してまとめられた本です。
はしがきには、
「当時のオリンピックは、今日の大会のようにコンピュータやメディアが精密に記録を残している時代とは異なり、完璧な記録といえるものは存在しない」
と断言されており、情報が錯綜している中、できるだけ完璧に近づけるように努力したあとが伺えます。
巻末には、判明している出場申込者全員のフルネーム、生没年、所属クラブ、記録などの一覧表も載っています。
まだ公式報告書は(私は)見る機会を得ませんていませんが、記録に関しては本書の内容のほうがむしろ詳しく正確と思われる部分もありますので、今回はこれを資料としてまとめてみたいと思います。
結論から先に書きますと、「出場した国」=15か国。
内訳は、前回のドイツのサイトにあったものと同じで、
オーストラリア、オーストリア、キプロス、デンマーク、エジプト、
フランス、ドイツ、英国・アイルランド、ギリシャ、ハンガリー、
イタリア、スミルナ、スイス、スウェーデン、米国
です。
したがって、当初の質問(11ヶ国判明したが、残りはどこ?)に対する答えは、
「イタリア、スミルナ、キプロス、エジプト」
となります。
出場選手数と種目は、
イタリア:ライフル(200m)1人。
スミルナ:陸上(800mと1500m)1人、自転車(12時間)1人。
キプロス:陸上(110mハードル)1人。
エジプト:テニス(男子ダブルス・シングルス)1人。
でした。
メダルは、エジプトが混成チームで1個獲得しています。
ちなみに、当時のメダルは「1位=銀」「2位=銅」「3位以下全員=参加賞のメダル」でした。
さらに、「出場を申し込んだが、最終的に誰も競技に出なかった国」が3つあります。ロシア、チリ、ベルギーです。申込者は各国とも1人でした。種目は、ロシアがレスリング、チリが陸上、ベルギーがフェンシングでした。
また、出場選手の数ですが、本書では「約245人」としてあります。「約」となっているのは、いくつかの競技の記録に、
「1次予選にあと○人ほど出ているはずだが、名前もスコアも分からない」
のような箇所があるためです。なかでもホスト国であるギリシャの記録がいちばんずさんで、他の国の選手に関してはすべて氏名が判明しているのに対し、最大選手団を送ったギリシャは、氏名とも不明とか、ファーストネームはイニシャルだけといったケースがかなりあり、これが人数確定の上で大きな障害になっています。
たとえば、Dimitrios Khristopoulosという選手がマラソンに出場し、途中で棄権しています。そして、D.
Khristopoulosという選手は、水泳の500m自由形に申し込みましたが、出場していません。この二人が同一人物なのか、別人なのか、はっきりしないのです。外国選手団と違って、比較的気軽に申し込みができたと思われるのですが、それが結果的には安直な申し込みにつながったのかもしれません。
このため、「はっきりと分かっている出場者」は実数で177人、延べで202人ですが、「出場したと思われるギリシャ人選手」を加えると、実数で245人、延べで277人になるそうです。
さてここで、今までの回答で出てきた国について、この記録集でみてみたいと思います。
UFUFUさんの回答にあった、1894年の国際会議に相当すると思われるものは、同年6月16日から23日までソルボンヌで開かれた通称「ソルボンヌ会議」(11ヶ国から78人が出席)のようですが、出席国は食い違っています。
UFUFUさんの回答中、スイス、デンマーク、ドイツ、ハンガリーの4ヶ国が見当たらず、逆にここにはないベルギー、ニュージーランド、スペインが出席しています。
もしかしたら、別の国際会議も開かれていて、そちらがお示しの13ヶ国だったのかもしれません。
また、出席国のうちニュージーランド・スペインの2ヶ国は、第1回大会の選手出場を申し込んでいません。ベルギーはフェンシングに1名申し込みましたが、結局出ませんでした。
次に、Olympiacaのサイトにあったという「ブルガリアとイタリア」のうち、ブルガリアですが、同書によると、
「スイス人として馬術に出場した選手で、当時ブルガリアのソフィアに留学・居住していた人がいるので、誤ってブルガリアを参加国に加えている例が見られる」
とのことです。
次に、Niftyのサイトにあったという、
「正式種目ではありませんが、第1回大会でデンマークとイズミル(トルコ)がサッカーの試合をした」
という記事について。
サイト自体が移転した上に、移転先からもこの記事そのものはなくなってしまっているようでしたが、検索してみると、こんな記述を見つけました。
「1896年、アテネでの第1回オリンピックのときにギリシャ代表とデンマーク選抜が対戦、デンマークが勝った(スコアは不明、オリンピック大会でサッカーが公式競技となるのは1908年のロンドン大会から)。」
http://www.fcjapan.co.jp/KSL/manual/024topic.html
ただ、ごらんのように、ギリシャ対デンマークとなっています。
この点も本書では触れられています。要約すると、
「しばしば、第1回大会でサッカーがエキシビション・ゲームとして行なわれたといわれている。ギリシャのクラブとデンマークのクラブが戦ったことになっている。しかし、1896年当時の資料のどれをみても、そのような記述はない。おそらく誰かが間違えたのが、あちらこちらで引用されて広がっていったものであろう。そんな試合はなかった」
ということでした。
また、今までの回答にはありませんでしたが、資料によってはある1人の選手(テニスと重量挙げとレスリングに出場。←すごい組合せですね)を「セルビアの選手」としてあるものがあるそうです。しかし、当時はセルビアはオーストリア・ハンガリー帝国の一部だったので、本書ではハンガリー人として扱っています。
となると、ぶっとこさんのおっしゃる「分家の問題」が改めてクローズアップされてくるわけですが、本書では「記録の確定」を最優先にしたため、政治的な問題にはあまり立ち入っていません。
こちらはもうすこし時間をとって調べてみたいと思います。
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