Q. ぼんたかさんからの疑問
今日は、「推敲」についての素朴な疑問を持ちました。
賈島さんは結局、「僧ハ推ス月下ノ門」と「僧ハ敲ク月下ノ門」のどちらを選んだのでしょうか!?
また、それだけ悩んだ結果出来た詩はどうなったのでしょう?
A. はんざきさんから
初めまして。いつもメルマガを読んでいます。
早速ですが、今回は「推敲」についてお知らせしたいと思います。
昔、賈島(かとう、唐の詩人。初めは僧侶だったが、役人になろうと思い立ち、試験を受けるために都に出た)が都に出て、都大路をロバに乗って詩の句を考えていたところ、詩を考えるのに夢中になって韓愈(かんゆ、都の長官で有名な詩人でもあった)の行列に突っ込んでしまい、取り押さえられた。
韓愈の前に突き出された賈島が、韓愈にことの一部始終を話すと、賈島を咎めないばかりか、暫く考え、
「それは敲く(たたく)の方が良いだろう」
と言った。(聴覚的広がりが出て良い、ということらしいです。)
――という、話です。随分、長たらしい文章になってしまいましたが、結局、「敲く」を選んだのです。
鳥宿池中樹 鳥は宿る池中の樹
僧敲月下門 僧は敲く月下の門
―――ということですね。
A. 詩人さんから
受験のときに読んだ参考書に書いてあったと記憶しています。
最初は「推す」だったのです。でも、月明かりの人気のない寺の門をイメージしてください。音もなく開くのよりも、ひんやりとした空気の中に「コンコン」という音が響くほうがずっと趣がありますよね。
ということを先生に指摘されて、結局「敲く」に変えたのです。
つまり「推」「敲」候補が初めから二つあって、さあどちらを選ぶ、というのではなくて、最初「推」だったのをもう一度よく吟味して「敲」に変えたわけです。これこそが「推敲」のプロセスですよね?
A. まなぶ@名古屋さんから
これは「敲」の方です。
「三体詩」に収録されている唐の詩人賈島(かとう)の「題李疑幽居」が原典ですね。
閑居少鄰竝 草径入荒園
鳥宿池中樹 僧敲月下門
過橋分野色 移石動雲根
暫去還来比
賈島はこの詩を考えているとき、「推」がいいか「敲」がいいかと悩んでいるうちに、韓愈(唐の偉い人)の行列にぶつかってしまいます。しかし、韓愈は非礼を怒る訳でもなく、事の次第を賈島から聞いて一緒になって考えたのち、
「それはやはり『敲』がいい」
と結論を出す、っていうのが「推敲」の由来です。
ただ、この「推敲」という熟語の持つ意味ほどには、この詩そのものはそんなにいい出来映えじゃないみたいです。
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