--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1014 (2012.12.09)

Q. あつしさんからの疑問

 江戸時代の送金方法について教えてください。
 今なら、銀行に口座を持っていれば、そこに送金することができます。口座を持たない場合なら、現金を直接、現金書留という方法があります。
 いずれにしても、自分のお金を誰かに託さなければなりません。それが成り立つためには信用できる相手でなければなりませんし、何かあったときには責任をとれる体制が必要です。
 江戸時代はどうやってお金を送っていたのでしょうか?
 江戸時代でなくてもかまいません。「お金を送る」というのは、いつころからできるようになったのでしょうか?

歴史に詳しい人なら、ご存じなのでしょうか?


A. やまおさんから

 江戸時代は通信回線が無いので、飛脚に頼むことになります。
 しかし、信用できる相手ではありませんし、何かあっても責任も取ってくれないでしょう。
 物を仕入れたり、購入した場合は、代金引換(着払い)で支払っていました。

A. ゆめきちさんから

 これは、私の推測です。
 江戸時代、口座振替、送金という考え方はなかったのかもしれませんが、現在の銀行と同様に為替という概念は、確立していたのだと思います。為替手形や小切手ですね。
 江戸時代には、すでに両替商が存在していましたから、たとえば、江戸から大坂(当時の地名だと、こちらですね)へお金を送りたいときは、江戸の両替商に現金を託し、代わりに手形(預かり証)を発行してもらい、それを大坂に送付する。その手形を大坂の両替商に持参して、現金を受け取る。各両替商は、預かった金額と支払った金額を相殺して、無駄なお金の動きを発生させない。
――ということをしていたのではないでしょうか。

A. Hoshiyanさんから

 江戸時代の送金方法は、私が知るかぎり2通りあります。
 一つは飛脚を利用する方法で、寛文年間の頃には、公私の金銭輸送を専門に引き受ける金飛脚と呼ばれる飛脚が登場しています。手板組と呼ばれる証文に送り手と受取り手の双方から印鑑をもらって送金を確認、証明しました。
 もう一つは、為替手形を使うものです。たとえば江戸のAが上方のBに送金したいときは、江戸の両替商に送金したい金額を預けます。すると、この両替商が為替手形作成してAに渡す。Aは為替手形を飛脚でBに送る。為替手形を受け取ったBは指定された上方の両替商にこの為替手形を持ち込んで金を受け取ります。最後は江戸の両替商と上方の両替商で相殺処理しました。

A. SZLおさんから

 江戸の某氏が大坂の某氏に金百両を送金する場合。
 江戸某氏は、江戸の両替商に百両を預け、「為替手形」と「置手形」を受け取ります。江戸某氏は手許に「置手形」を残し、「為替手形」だけを大坂某氏に届けます。
 大坂某氏は「為替手形」に、無事に現金(百両)を受領した旨を裏書き・署名して、あらかじめ指定された大坂の両替商(江戸の両替商とは本支店の関係である場合が多い)に渡し、金百両と引き換えます。
 大坂の両替商は帳簿に取引内容を記帳の上、「為替手形」を江戸の両替商に返送します。
 江戸某は裏書きの入った「為替手形」を江戸の両替商に提示され、無事に送金が完了したことを確認した上で、「置手形」を江戸の両替商に渡して、めでたく取引は完了。
 両替商同士は、出入りする手形の額面を相殺する等の手続きで、金銭と帳簿上の出納を管理・調整します。
 要するに、現代の東京の郵便局で郵便定額小為替を購入して大阪の知人に送付し、受取人が大阪の郵便局窓口に署名捺印した小為替を持ち込んで現金に引替える――というのと基本的に同じことが、江戸時代には既に可能だったというわけです。すごいですね。

A. きくちゃんから

 江戸時代に造詣の深い石川英輔さんの著書に、それらしいことが書いてあったなと、ようやく『江戸空間 100万都市の原景』の両替商の解説の中に見つけました。

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 商品の取引額が大きくなると、実際の取引に現銀(大坂は銀本位制だった)を受け渡しするのは大変厄介だった。
 百貫の商品を売って、荷車一台の銀を運び、本物かどうか確認しながら目方を量っていたのでは手間ばかりかかって商売にならない。
 そこで、銀の実物は倉庫にしまっておいて普段の取引には両替商の振り出した「銀手形」で決済するようになった。
 手形なら江戸と大坂の間で金銀を運ぶ手間も危険もなく、金額を書いた紙を両替商の間でやりとりするだけで済む。
 専門の飛脚便を使えば大坂と江戸の間が三日半ぐらいだったというから莫大な金額を簡単に送ることができた。
 手形の手数料は江戸と大坂の間で0.3%程度、この場合の両替商は銀行と同じような仕事をしていたことになる。
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 江戸時代にこのような制度が確立されていたことに驚かされます。個人的には「大坂と江戸の間が三日半」の方がずっとびっくりです。