--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1033 (2013.04.07)

Q. 清人さんからの疑問

 この疑問は、昔からもっているものなので、よろしくおねがいします。
 音楽に関する疑問です(楽器は何もできません)。
 小学校の頃から楽譜を見ていますが、たいてい、4拍子か3拍子です。
 J−POPは、ほとんどが4拍子です。
5拍子や7拍子の曲なんてあるのかな?
 そもそも、人間には、拍子がある音楽の方が心地よいのでしょうか? 拍子のない音楽でヒットした例があるのでしょうか?

たくさんの事例が寄せられることを期待しています。


A. ごんたさんから

 人間は心臓の鼓動によって一定のリズムを刻む動物です、したがって、そのリズムに一致したり、倍数となる拍数での音楽に心地よさを感じるのは当然のことなのです。
 4拍子の曲が多いのはやはり親しみやすさ、安定感を感じることが最大の理由でしょう。多くの人に歌ってもらうこと、ヒット(要するに売れたい)を狙った曲は4拍子を採用するのは必然なのです。
 ただ、音楽も芸術ですからそういった意図を持たない曲には5拍子や7拍子、もっと変わった拍子の曲も存在はしますし、そういった曲を売りとするバンドも存在はします。
 映画の中で使われる音楽などには、わざと特殊な拍子の曲で不安感や緊張感を煽る、といった使われ方もします。
 拍子のない音楽で最大のヒット曲は何か? これはかなり難しい疑問です。拍子が変動する曲は多数ありますが、全くない曲というのは私には思いつきませんでした。ごめんなさい。

A. 子沢山さんから

 ここでいう拍子というのは、「三三七拍子」などの拍子ではなく、楽曲において一定の拍の連なりを繰り返すことという意味でしょうし、その拍の連なりを一つの単位と考えれば、結果、「リズム」ということになります。
 リズムは、まず単純拍子といわれる、2拍子、3拍子、4拍子が基本です。
 5拍子も可能で、映画「ミッション・インポッシブル」のテーマが5拍子の曲として知られていますが、これは、(2拍子+3拍子)の繰り返しと考えてもいいわけです。このように単純拍子を組み合わせて行けば、6拍子でも、7拍子でも作れることになります。

 このようなリズムというものがあると心地良いのかという問いには、逆説的ですが、心地良いようにしたものがリズムというものだと思います。
 まず一定のリズムを持たない楽曲というと、個人的には中世のキリスト教の教会で歌われたグレゴリオ聖歌を思い浮かべるのですが、旋律(メロディー)のみあるという感じで、たとえは難しいのですが、抑揚のあるお経というような感じです。また、日本の雅楽などにもリズムがはっきりしないものがありますが、やはり聞いていてぱっとしない印象です。
 一方、リズムがなぜ生まれたかというと、これは舞曲、ダンスミュージックが由来です。
 人が聞いて気分が高揚し身体が動きだすように、また動きやすいように、楽曲に加えられたのがリズムという要素です。ですから当然リズムがある方が、人は気分が乗るのだと思います。

A. まいねさんから

 はい、5拍子や7拍子の曲はあります。
 2拍子はもともとイチニイチニと歩く拍子、3拍子は馬の走る拍子が元になっているそうです。4拍子は2拍子の倍だそうで。からだに染みついているんですね。
 わたしは趣味で音楽をやっていましたが、日本人は武士以外はあまり馬に乗る習慣がなかったので3拍子がヘタなんだと言われた覚えがあります。
 それらを組み合わせて、5拍子は「2+3」または「3+2」、7拍子は「2+2+3」、または、「4+3」で作るみたいです。実際、楽譜に3と4の切れ目で点線が入っている親切な楽譜もあるのだとか。
 5拍子はスラヴの音楽が由来とか書いてあるところもありました。
 それでじっさいの5拍子、7拍子の曲というと、有名なところでは以下の通りです。

・5拍子
・ミッション・インポッシブルのテーマ
 ♪チャン・チャン・チャッチャッというおなじみのアレは、「2+3」でできているそうです。数えてみますか? わたしはダメでした。

・ジャズのスタンダード、「テイク・ファイヴ」
 その名の通り(?)3+2でできています。
 「5(拍子)で行くよ」と「5分(休憩を)取ろう」とのダブル・ミーニングなのだとか。

・混声合唱組曲「方舟」の「方舟」、木下牧子作曲。
 「2+3」でできています。実際やったことがありますが、指揮者の先生はまず2拍子を振り下ろしてから、3拍子の三角を描いてました。
 「1とイチニッサン、1とイチニッサン」と心で数えて歌ってました。

・7拍子
 ストラヴィンスキーの「火の鳥」の終結部
 この曲では終わりの部分が3+4と4+3の混合構成になっているそうです。

 舞曲、ダンスの曲ではステップを踏むために強いところと弱いところを周期的にする必要から拍子という物が固定化されていったみたいです。ダンスの曲はそういえば、メヌエットやワルツなど、3拍子が多いです。
 ところが近代になってメロディー重視になってくると、歌詞との兼ね合いやノリで拍子が「乱れ」て、同じ曲の中で拍子が変わる「可変拍子」というものが現われました。
 そういえば、そういう近現代の曲では、4拍子の途中で「ここだけ3拍子です」って箇所があったりしてびっくりした覚えがあります。
 近現代の曲ですと、まるきり同じ1拍子で通す曲や、各パートで違う拍子を演奏している曲(ポリリズム)もあるようですが、一般化まではしていないようなので、いろいろアレンジされるにせよ結局はなにか拍子のある音楽が作られていくと思います。
 ちなみに、「裏拍を効かせる」というのは新大陸の文化なんだそうです。ですから、バッハでもベートーヴェンでも炭坑節でも、4拍子は拍子の頭でイチニィサンシイと手(やカスタネット)を叩くのが本来正しいのですが、ジャズやロックンロールを経た今時の音楽は、「ウンターウンターウンターウンター」と裏(半分遅れる)で叩いた方がイケています。カラオケでオジサンと若い連中では手を打つタイミングがずれていくのはそういうことみたいです。

A. にゃこさんから

 いつも楽しく読ませていただいています。
 さて、拍子のない音楽というのは存在しないと思います。
 音楽の三大要素はリズム(拍子)、メロディ、ハーモニーと言われています。そのどれが欠けても音楽とは言いがたいと思います。
 味噌汁の三大要素は味噌・出汁・具と思います。そのどれもが欠けても味噌汁とは呼べないように、音楽も三大要素の何れかがかけると音楽と言えないのではないでしょうか。嫌がらせで、具なしの味噌汁を作られることもあるかもしれませんが……。
 また、5拍子や7拍子の曲も少なからずあります。5拍子の曲としては映画『マルサの女』のテーマ曲等があります。

A. もりたつさんから

 5拍子の有名なところでは、他の方も回答していると思いますが、ジャズのデイヴ・ブルーベックのカルテットが演奏した、その名もまさに『Take Five 』(5拍子?) という曲があります。日本のCMでも何度となく使われているので質問者の方もきっと耳にしているはずです。
 この曲を初披露した『 Time Out 』(拍子外れ?)というアルバムは、まさに変拍子のオンパレードで、特に私の好きな『 Blue Rondo a la Turk 』という曲は9拍子で、2-2-2-3 2-2-2-3 というリズムがとても心地よいです。
 私が学生時代に合唱団で歌った『ブルガリア民謡を素材とした現代作品』という組曲の3曲のうちの2曲も5拍子と9拍子でした。
 5拍子は、3-2-2-3 3-2-2-3 … のリズム
 9拍子は上と同様、2-2-2-3 2-2-2-3 … のリズム
でいずれも舞踊の描写が元になっていると聞きました。歌うのは難しかったですが、聞くほうは違和感はなかったですよ。
 あと7拍子の超有名な曲は、ビートルズの『愛こそはすべて』で、バックコーラスが "Love Love Love" を繰り返す部分が、2-2-3 2-2-3 … のリズムです。


 作曲者のジョン・レノンは自分の歌詞に合わせてけっこう気ままに曲を付けていたようで、そんな風に4拍や3拍の規則を気にしないで歌うと自然といろんな拍子になってしまうものかも知れません。
 また、クラシックの曲には、3-3-3 3-3-3 の9/8 (8分の9拍子)がけっこう多く出てきますよ。

A. Hyaruさんから

 拍子のない音楽について、シャンソンや歌の入ったジャズにその一つの例が見られます。
 シャンソンはメロディーと歌詞は原曲を踏まえるものの、リズムを崩してまるで語りかけるように唄うことがよくあります。
 また、歌の入ったジャズでは、メインの歌とは別の歌詞・メロディーを自由な拍子・リズムで唄う「バース」と呼ばれる前奏が付くものが多くあります。
 実際の例として「枯葉」をご紹介します。
 この曲はもともとシャンソンで、メインの部分は4拍子ですが、ジャズの「バース」のようなパートが最初に演奏されます。

 ●北谷和子 枯葉 ライブ(Youtube)
  ※0:20〜1:26の部分です



 拍子のある音楽は「beat=鼓動」に同調しますが、上記のものは呼吸に同調するような心地よさがあると思います。
 ただし、伴奏者にとっては歌手の方と呼吸を合わせるのは大変だそうです!

A. Issieさんから

「拍子がない」かというと、正確にはどうなのかよくわからないのですが、少なくとも「拍子が数えられない」音楽というのはあると思います。
 それは、我が日本の民謡のうちの「追分節」とか「馬子唄」と呼ばれるジャンルの唄。このジャンルの唄は、よく「拍子がない」と形容されます。
 いちばん有名なのは北海道の「江差追分」ですが、ほかにも長野県の「小諸馬子唄」や神奈川県(静岡県?)の「箱根馬子唄(箱根八里)」、宮崎県の「刈干切唄」など、このジャンルに属する日本民謡は少なくありません。
 もう古い話ですが、長野オリンピックの開会式で唄われた諏訪大社の御柱祭りの木遣り唄も、拍子が極めて曖昧でしたね。
 日本の民謡は、こういう「手拍子が打てない」タイプの唄と、たとえば群馬県の「八木節」のような、はっきりした拍子(多くが2拍子または4拍子ですが)を伴うタイプの唄の2つのグループがあるのが特徴だと聞いたことがあります。
 そういえば、能や歌舞伎で唄われる唄(謡)も拍子が数えられませんね(少なくとも数えにくい)。あれを「音楽」と捉えるかどうかは微妙ですが……。
 もう30年程前でしたか、こうした日本の追分系の民謡によく似ているものとしてモンゴルの民謡が紹介されたことがありました。たしかに聴いてみると日本の追分にそっくりで、拍子が数えられません。
 世界の中には、このような「拍子のない」音楽が少なからずあるように思われます。
 なお「追分」を称していても、美空ひばりの「リンゴ追分」には、ちゃんと拍子がありますね。
 変則拍子の曲として私が真っ先に思い浮かべるのは、ムソルグスキーの『展覧会の絵』で繰り返し登場する「プロムナード」です。あのリズムは元々変則的な5拍子と7拍子が交互に現れるさらに変則的なものですね。
 この変則的なリズムがスラブ系民族に特有なものかといわれると、そのようには思えないのですが、ロシアの作曲家がこのような変則拍子を好んで使っているような印象は、確かにあります。