Q. CYさんからの疑問
寄席で最後に出演することを、「とり(取)」といいますが、この「とり」の語源・由来は何でしょうか。教えてください。
★引き続き情報を集めております。 [メール]
A. あやかさんから
寄席の最後も、紅白歌合戦の最後も、同じく「とり」や「鳥をとる」だと思います。
さすれば、紅白歌合戦の場合、最初は「はな」や「花を持たせる」ではないでしょうか。
我が国の古典文学には、『万葉集』以来、共通する寓喩(ぐうゆ)(もしくは、諷喩(ふうゆ)とも言う)が、言葉の(裏)に存在していると考えています。
たとえば、「花」と「鳥」の入った四字熟語に「花鳥風月」がありますが、この言葉には次のような隠された真の意味があるのではと考えております。
「花」
=【君臨者(太上天皇=女性)】
「鳥」
=【統治者(大臣=三公・男性)】
「風」 =【君臨者(花に同じ)】
「月」 =【統治者(鳥に同じ)】
つまり、「とり(鳥をとる)」というのは、「大臣になる」、転じて「いちばんの権力を手にする」ということになるのです。
★「とり」は「鳥」で、「鳥」に秘められた意味があるということですね。初めて聞く説でびっくりしました。(星田)
A. nWo検校さんから
多分「舵を取る」の「取り」です。
船頭は一番後ろにいますからね。
A. こんどうさんから
寄席の「とり」ですが、これはギャラに関することに語源があるようです。
その日の出演者のギャラの分配を、「割り」と呼ばれる歩合によって分配していた人が最後の出演者である「とり」です。
これは、寄席を経営しているオーナーである「席亭」、の取り分が引かれた残りの売上を「取る」というところから来ているようです。
A. まなぶ@名古屋さんから
現在、落語界で主に年功によって前座、二つ目、真打と序列が付けられていますが、以前はこの「真打」は「主任」と呼ばれていました。つまり二つ目の中から一座の主任を務め、客を呼ぶだけの資格のある優秀な噺家が、常連客や席亭や大幹部に認められて真打に昇進し、そうなってはじめて師匠と呼ばれ、各寄席の主任にとして最後に出演することができる、このことを「真を取る」といい、「とり」とはそこから出た言葉ではないかという説があります。
(「真打」という言葉については、興行の最後に扇子で蝋燭の灯りを消したことから「芯を打つ」=「真打」という説があります。)
ちなみに、「鰍沢」「文七元結」などの大きな噺を「真打が演じる噺」という意味で「とりねた」(関西では「きりねた」)と言います。また、現在の上方落語界には東京のような「前座」「二つ目」「真打」の明確な区別はありません。
――ってなことだったと思います。
A. Mr.Qさんから
「トリ」はいちばん偉い「真打」がその日の上がりを取って、そこから他の噺家に分配する権利があったので「トリ」「大トリ」と呼ばれることになったそうです。
だから「紅白」の「トリ」はちょっとどうかと……。
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