ローマの気温はとても温暖で、冬でも0℃以下にはまずならないといわれています。そのうえローマの市民たちは体を鍛えていたので、少々の寒さは平気だったのでしょう。それに誇り高いローマ市民は、寒いと思っても人前で弱い部分を見せることはなかったのかも。すぐに愚痴や不平を言う人々には見習ってほしいです。
縄文時代については「現代よりはるかに暖かかった」ことが重要です。
関東にある縄文時代の遺跡は高台の住宅地にあることが多いのですが、それは温暖なため氷河が溶けて海水が多くなり、現在の平地は海の底になってたため。今は海岸線から離れている高台が当時の「ベイエリア」だったのです。
青森県に巨大な縄文遺跡があるのも、栗の木がたくさんあったからだと聞いています。栗の実はドングリなどとちがいアク抜きせずに美味しく食べられるし、幹は建築資材になる便利な植物。しかし温暖な土地でしか自生しないはずであり、かなり温暖だったのでは、とのことです。
なお時代劇の冬の服装ですが、『徒然草』には「家を建てるなら夏の暑さ対策を重視せよ。冬はなんとかなるものだ」という記述があります。冬は火をたいたり重ね着したりして切り抜けていたと思われます。製氷技術もなく扇風機もクーラーもない時代、夏の猛暑のほうが大変だったのでしょう。
それと江戸にかぎれば、裕福な商人たちは厚着して背中を丸めてすごしたでしょうけど、粋(いき)な雰囲気を大切にする庶民たちは、たとえ寒くても寒いとは口にせず「へっちゃらでぃ!」と言っていたでしょう。やせ我慢かもしれませんが、不平を口にするよりもずっとカッコイイと思います。
寒い時期は永遠には続かない、もうすぐ来る春までの少しのガマンです。背中を丸めて不平を言うよりも、背筋を伸ばしてカッコよく歩きたいと思います。
★昔々の冬の服装について、引き続き回答をお待ちしています!