--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1144 (2015.06.05)

Q. ゆうぞうさんからの疑問

 私は、江戸時代の「藩」のイメージが湧きません。
「廃藩置県」というものがあったくらいですから、「藩」と「県」とは違うと思っています。かといって、「国」でもないと思うのです。今の時代だとどんなシステムをイメージすればよいのでしょう?
 当時、自分の藩から出て、別の藩に行くことは自由にできたのでしょうか?
 たとえば、長州藩から江戸に行くとします。思い立ったら自由に旅立つことはできたのでしょうか? 自分の藩の許しはいるのでしょうか? 通り道の藩の許しは必要ないのでしょうか?

関所はどこが管轄しているのでしょう? 幕府? 藩?


A. Issieさんから

 江戸時代の「藩」は行政区画ではありません。大名が将軍から与えられた領地を支配するための組織です。
 今の言葉で言えば「企業」、つまり藩士にとっては「会社」のイメージが近いのではないでしょうか。そして領民にとっては「年貢の納め先」。
 藩の領域は不変ではなく、大名自身の領地替え(転封)がなくても、領地の追加(加増)・削減(減封)・没収(上知)は頻繁に行われましたから、領主(所属藩)がコロコロ変わる村も珍しくありませんでした。
 薩摩藩(島津家)や長州藩(毛利家)、加賀藩(前田家)や仙台藩(伊達家)のような遠隔地の規模の大きな外様大名は、現在の「県」に相当するような広大な領域をまとめて支配していましたから、そのような地域では藩士・領民ともに「藩」を自分の住む「くに(郷土)」とする意識が育ちやすかったかもしれません。
 しかし江戸に近い関東地方や、京都・大坂に近い近畿地方では、幕府領や旗本領、大名領(藩)の飛び地が複雑に入り組み、1つの「村」に複数(多い場合は十以上)の領主があてがわれることもあって、このような地域では藩を郷江戸城無血開城後の1868(慶応4=明治元)年閏4月、当面の明治政府の組織を定めた「政体書」で政府直轄地の府県と並んで「藩」が初めて地方行政区画として位置づけられました。そして1869(明治2)年の版籍奉還後、明治政府(天皇)から改めて旧藩主を「知藩事」に任命してそれぞれの領域を管轄することを命令しました。それもわずか2年ほど、1871(明治4)年7月14日の廃藩置県ですべて廃止され、「県」に置き換えられてしまったのです。
 最後に、実は「藩」という呼称は、少なくとも江戸時代の初期には存在しませんでした。江戸時代末期には広く行われていたようですが、それでも公式の呼び名ではありませんでした。
 版籍奉還の後、旧藩主が知藩事に任命されることで初めて「東京府」や「神奈川県」と同様の行政区画名として「鹿児島藩」や「山口藩」などという呼称が「公式」のものとなりました。

詳しいご説明、ありがとうございました。