Q. がばさんからの疑問
「付箋」を「付せん」と表記したり、「山麓」を「山ろく」と表記されているのをよく見かけます。何だか間が抜けていて、あまり好きではありません。というか、嫌いです。
なぜ、そのような風潮になっているのでしょう? 「軽蔑」を「軽べつ」と書かないと、なにかまずいことがあるのでしょうか?
私も「箋」や「麓」はすらすら書けません。でも、読むことは可能です。むしろ、それを漢字で表記されていることで、意味が取りやすくなります。漢字は表意文字なのですから。
百歩譲って、「漢字だと難しいから」、「常用漢字表に載っていないから」という理由ならば、漢字で表記した上で、振り仮名をつければ済むことです。どうしてそうしないのかな? 知的レベルを下げる必要はないと思うのです。「常用漢字表に載っていない漢字は使ってはいけない」なんてルールは聞いたことがありません。
テレビのテロップや映画の字幕などでは、見ている人は短い時間で読み取る必要があるので、難しい漢字を使うと困るというのは想像できます。しかし、新聞や雑誌までがどうしてそのようにするのが、理解できません。
★厳しいご意見ですね。
この疑問に関しては、賛成・反対を論じるのではなく、どうして現状のようになっているのかという疑問にお答えください。
A. 少伯さんから
常用漢字を調べると、
「日本文部科学省文化審議会国語分科会の答申に基づき、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として内閣告示「常用漢字表」で示された現代日本における日本語の漢字である」
とあります。
つまり、内閣が新聞や雑誌、放送などに使用する漢字は常用漢字を使用することが望ましいといっているわけで、素直にそれに従っているマスコミについては、常用漢字以外はひらがな表記にしているのでしょう。
決して強制ではないですが、いらぬところで逆風を受けたくないマスコミはほとんどが素直に従っているだけでしょう。
漢字仮名交じりについては人によって感じ方が異なると思いますのでこのようになったのだと思います(お上に従っていれば非難を受けることがないですからね)。
A. 宇美浜りんさんから
かな交じり文が使用される理由は4つあると思われます。
1.強制する法律ではないが「こうするのが望ましい」というものが定められている。
2010年のものなど時代ごとにさまざまなルールが定められています。強制ではありませんが奨励はされています。
2.読む学年が想定できる場合、その学年までに習う漢字のみを使用する。
学習雑誌や学年誌が充実していた頃の話ですが、たとえば小学4年生が読むことを前提にした雑誌なら、4年生までに習う漢字のみで文章が構成されていました。
無理に習ってない漢字を読ませてよけいな失敗を経験させ、子どもに劣等感や屈辱を抱かせる必要はありません。
3.常用漢字以外の文字は不快な言葉を表す文字が多い
常用漢字や当用漢字は何度か変わりましたが、新しく加わることが検討された文字(候補になったが採用されなかった文字を含む)は、マイナスイメージが強い文字、相手を蔑視するときや危害をくわえることを表す文字が多いように思えます。
例「鬱」「怨」「嫌う」「覇(人を支配する)」
「僕(下僕など。一人称なら「ぼく」でいい)」
「俺(目上に使うべきではない)」
「苛だつ」「潰す」「嫉・妬」「呪う」「嘲(嘲笑)」「貪(貪欲)」
「罵(罵倒)」「蔑(軽蔑、蔑視)」「尻」「淫ら」
「勃(戦争が勃発する)」
「挿す(医療行為の場 合は苦痛を伴うこともある)」など。
老若男女さまざまな人が読む新聞や雑誌などにこのような文字が使われていたら不快な人もいます。それなら使わないほうが無難です。どうしてもこれらの言葉を使うなら、柔らかい印象のあるひらがなで書けば不快さは半減します。
漢字は読者に与える印象が強くストレートに意味が伝わるので、印象の悪い文字の使用は控えたほうがいいでしょう。福祉団体が「障害者」を「しょうがい者」と書く場合があるのはその理由です。
4.見栄っ張りに思われる
普段手書きで書くときは大多数の人が使わない漢字を機械の性能に任せて書くのは、機械の力を借りて自分を必要以上に強く見せているように思われます。見栄を張っているようです。
写真を修正しても実際に会えばばれます。同じように普段手書きで書かないものはひらがなで書くほうがよいと思います。
新聞や雑誌でも、編集者が読者より高いレベルだと思わせる(ために難しい漢字を使う)のは好感をもたれないでしょう。
最後になりますが、私はある時期から日本独自の文字であるひらがなやカタカナを使いこなせる人は素晴らしいと思うようになりました。そして漢字とひらがなが混じった文章を読みこなせる人は、難しい漢字を使いこなす人と同じくらい頭のいい人だと思うのです。
A. ミオパパさんから
質問者の方は漢字がお好きだと拝察いたします。しかし、太平洋戦争の敗戦後の日本では、古い因習を廃絶していく戦後改革のなかの一時期、漢字使用を制限し、日本語表記を単純化しようとする動きが強まりました。
たとえば、1946年3月には、連合国軍総司令部が招いた第一次アメリカ教育使節団が報告書を提出し、学校教育における漢字の弊害とローマ字の利便性を指摘しています。また同年11月には、読売報知(現:読売新聞)が「漢字を廃止せよ」と題した社説を掲載し、漢字廃絶を主張しています。
さらには、漢字どころか同じ年の4月、作家の志賀直哉は雑誌「改造」に「国語問題」を発表し、「日本語を廃止して、世界中で一番美しい言語であるフランス語を採用することにしたらどうか」という主旨のとんでもない提案までしています。
これらの動きとは別に民族主義的な主張として、漢民族を主な住民としない国で漢字を使っているのは日本だけとし、自国の独自文化を重んじ、漢字を含めた外来文化の排斥を訴える声もありました。
また実用的な側面として、漢字が活版印刷において決定的な障害となっていました。漢字は文字数が膨大であることから文章を活版印刷するには非常に手間がかかり、活字の保管にも大きなスペースを必要としました。
こうしたことからいずれ使う漢字を減らし、表音文字へ移行する流れが決定的になりました。その経過措置として、限定的に「当面は使用してもいい漢字」として、1946年11月に内閣が決定したのが1850字の漢字、「当用漢字」です。
ご指摘の漢字と平仮名の「交ぜ書き」は言葉を当用漢字で書けない部分を平仮名で書いたものです。こうした「交ぜ書き」は美しくないので文学作品では、ほとんど見られませんが、今でも新聞社や通信社、放送局などの報道機関は日本新聞協会の取り決めに従って、「交ぜ書き」表現を多用しています。
その後、実際問題として漢字の全廃が無理なことや漢字のメリットが見直されてきたこと、パソコンやワープロの発展により「漢字制限・字体簡略化論」がその説得性を失ったことから近年は「積極的に漢字を使おう」という傾向が見られます。
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