--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1288(2019.01.25)

Q. 七味さんからの疑問

 昔、日本史の授業で古墳について習いました。
 ズバリ、前方後円墳はどうして鍵穴みたいな形をしているのですか? あの形に何かメリットがあるのでしょうか?
 また、古墳の大きさと形に関係はあるのでしょうか?

もっといろんなデザインがあってもよさそうなものですが……。


A. 喜久雄さんから

「前方後円墳」調べていましたところ、平成31年4月23月の読売新聞夕刊に載っていましたので、記事の内容を要約して紹介いたします。
 北は岩手から南は鹿児島まで、3〜7世紀の日本列島では前方後円墳が次々に築かれた。総数5000基とも言われる。墳丘の方形部を「前」、円い部分を「後」とする見方は、江戸時代の下野・儒学者、蒲生君平(1768-1813年)に始まる。
 蒲生は、墳丘の形は、天皇の亡骸を運ぶ宮車をかたどったものだと考えた。後円部は棺を載せる台座、前方部は牛が車を引く柄と横木、墳丘両側の張り出し部分は車輪だと述べている。
 前方後円墳が円墳より古いとみられることや、石室の造りなどを基に、どの古墳がどの天皇の陵墓かを考察したとあります。

A. ミオパパさんから

 前方後円墳がなぜあのような形をしているかは古代日本史の古くからの大きな、そして魅力的なミステリーです。
 何年か前にNHKの番組で、どこかの大学の先生が「古墳時代の日本において壺形土器は貴重であるとともに、調理に使ったため食糧を表すシンボルであるから前方後円墳は壺形土器の形を模したもの」と解説しておられ、それを聞いて「何だか、詰まらない理由だな」との感想を持った記憶があります。最近は壺形土器模倣説は主流ではなくなったようで、個人的には安堵しているところです。
 前方後円墳の形については諸説あるわけですから、断定的なことはいえないのですが、私がもっとも支持する説は古代中国の世界観である「天円地方」を日本人が独自に古墳造営のなかで表したというものです。
「天円地方」はもともと、古代道教の思想として初めて形を成し、風水にも反映され、陰陽道にいたって古代中国の宇宙観となったといわれます。その意味は「天は円形、地は方形(四角)」というものです。天が円で表されるわけは、地上から見た天体の運行が円運動で表されるためです。
 古墳時代の日本では、天皇などの権力者が亡くなると、円い天に葬られることによって神になり、その祭祀・儀式を司る権力者の後継者は次の支配者の地位を確立したと考えられています。前方後円墳の方形の部分を発掘すると、祭祀に使ったと推定される土器が発見されることがあり、ここで死者を送る儀式が行われた証左でしょう。
 もちろん、前方後円墳の形については「天円地方」説にたくさんもありますので、いろいろと想像をめぐらせたり、調べてみるのも楽しいですね。