--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1290(2019.02.15)

Q. コメちゃんからの疑問

 「痛み分け」という言葉が使われることがあります。私は、双方のある程度の痛手を負ったものの、勝負がつくほどではないときに、勝敗を決めずに終了すること――だと認識していました。
 ところが、最近、この言葉が相撲用語だと言うことを知ったのです。そこで、改めて調べてみたところ、『広辞苑』には次にようにありました。

   (1) 相撲で取組中、一方が負傷したために引分けとすること。
   (2) 互いに損害を受けたまま引き分けること。

 (2)については、私が思っていた意味です。不思議なのは、(1) です。
 相撲なのですから、勝敗は付けるべきです。取組中に一方が負傷したなら、負傷しなかった方が価値とするのが普通なのではと思います。
 相撲の「痛み分け」について、私の疑問を解決してください。
 ちなみに、(1) の意味では負傷しているのは片方ですが、(2) では両方が損害を受けています。それも不思議だなぁと思います。

相撲用語だとは知りませんでした。
 私は、相撲の結果で「痛み分け」というのを、見たことがありません。


A. くらさんから

 相撲の取組中に一方あるいは両方の力士が負傷して、相撲を続けられない場合に、審判は「痛み分け」を宣告します。この場合、両方の力士に「半星」が付きます。
 ただし、質問者さんのおっしゃる通り、片方が試合ができるのに「痛み分け」は筋が通らないという論理が主流で、ここ50年、幕内では「痛み分け」は発生していません。

A. Hoshiyanさんから

 相撲は本来、祭りの際に奉納される神事あり、同時に武道でもあり、観覧する者に取っては娯楽でもありました。それが江戸時代になると祝儀を集めるための興行として、大相撲が行われるようになります。
 大相撲は興行として培われてきましたから純粋に勝負をつけるスポーツとは趣を異にすることは当然だと思います。
 江戸時代の藩では相撲の実力で家臣となった「相撲衆」と呼ぶ力士を抱えていました。次第に大相撲は藩対抗の様相を呈し、武道というよりも大名の娯楽としての要素が強くなりました。今でも取り組み前に力士の出身地を紹介するのは、その名残でしょう。
 しかし、そうなると、いろいろと大人の事情が生まれてきます。たとえば、小さな藩のお抱え力士が有力藩のお抱え力士に圧勝するのは、有力藩の面子を潰すことになり、都合が悪いわけです。勢い、勝負をつけないことがひとつの知恵を生かした方策になってきます。
 江戸時代には、「無勝負」という裁定があり、勝負の判定がつけられない微妙な取り組みの場合、行司が「只今の勝負、無勝負」と宣言して、勝敗の裁定をしないことができました。
 また、「預かり」という裁定は、物言いのついたきわどい相撲などで勝負結果を行司もしくは審判委員が勝負を預かることで、敢えて勝敗を決めないこともできました。さらに、両力士が疲労困憊して、これ以上勝負をつけられないときに「引き分け」という裁定を与えました。
 さて、ご質問の「痛み分け」も大人の知恵のひとつなのでしょうが、より日本的な精神を感じさせる裁定です。
 基本的に「痛み分け」は片方の力士が負傷した場合、行司も含めた審判団が協議をして取り組みの続行を不可能と判断したとします。行司が負傷していない力士に対して、引き分けにあたる「痛み分け」を打診します。これを拒否した場合は、その力士の不戦勝となり、受け入れると「痛み分け」が成立します。相手の痛みにつけこんで勝つようなことはしない。痛みを分かち合い、敢えて「勝ち」に執着しないというような精神性は日本人に好まれるところです。
「痛み分け」には双方の力士が負傷した場合も想定されています。たとえば、投げの打ち合いで双方の力士が土俵の下に転落。ふたりとも負傷したとします。同体取り直しとなっても、取り組みが続けられないような状況を想像すると分かりやすいですね。
 ちなみに江戸時代の気風が強く残っていた明治40年、第18代横綱・大砲(おおづつ)万右エ門は5月場所において、10戦0勝9分1休(当時は10日制)という記録を残しています。運動神経が悪く動けなかったという話もありますが、それにしても大人の知恵を発揮しまくりかな?\