エドゥアール・マネ以前の絵画とは「理想の美の世界を表現するもの」であり、それが欧州に古代から伝わる様式美でした。
マネは1850年代、ルネサンスの17〜18世紀の巨匠の作品に触れて影響を受け、作品制作をしていましたが、1860年代になると、アカデミックな美術に対して意図的に挑戦的な作品制作を始めるようになります。
1863年、サロン(官展)においてマネが「草上の昼食」を発表すると、当時の画壇に衝撃が走りました。
サロンのようなアカデミズムの世界の常識では、描かれる「裸婦」は歴史や神話などに登場する女神や妖精でなくてはならなかったので、マネが現実の女性を描がいたことがセンセーショナルだったのです。
つまり「草上の昼食」に登場する裸婦は西洋美術史上、初めて描かれた現実の女性ということになります。
「草上の昼食」には郊外の森でピクニックを楽しむ男女が描かれており、女性が全裸でこちらに(カメラ目線で)視線を向けています。
この絵は見る者に理解し難い違和感を与えますから、マネが何か強烈な意図をもって、ピクニックという日常のシチュエーションに現実の裸の女性を描き込んだと思われます。
その意図とは、マネ自身が語っていないので、推測になるのですが、それを推し測ることのできる絵が「草上の昼食」と構図がそっくりなヴェネツィア派の巨匠ジョルジョーネが描いた「田園の奏楽」です。
この絵は貴族の青年とその従者であろう青年が音楽を使って、美を象徴する裸体の妖精らと、会話する様子が表現されています。
1860年代以降、マネがアカデミックな美術に挑戦的な態度を取るようになったことから、サロンの画家らが神話や歴史を言い訳に裸婦を描く偽善を痛烈に皮肉るために、ピクニックという日常と現実の裸の女性を組合せたのだと私は推察しています。
★なるほど! マネは単に「本歌取り」をするのではなく、オブラートにくるんでいたものを、見せるようにしたわけだ!