--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.1313(2020.01.17)

Q. あきらさんからの疑問

 私は、ハイヒールを履いている男性を見たことがありません。ハイヒールといえば、女性といえるのではないでしょうか?

・なぜ、女性はハイヒールを履くのか?
・なぜ、男性はハイヒールを履かないのか?

 このあたり、どなたか教えてください。

私も履いたことがありません。履きたいと思ったこともありません。


A. ぱぱさんから

 ハイヒールの起源の説は諸説あります。
 たとえば、紀元前400年代、ギリシャのアテネで演劇では、観客が鑑賞しやすいよう、また上演の際に身長を高く見せるため、役者たちは「コトルノス」という舞台用の厚底靴を履いていました。
 コトルノスは背を高く見せたいアテネの遊女たちの間で流行し、男性を含む市民も履いていたとされます。このコトルノスをハイヒールの起源とする説がります。
 また。15世紀からイタリア及びスペインで、身長を高く見せる目的で「チョピン」というファッション用シューズが貴族の女性や高級娼婦で流行しました。
 この当時のヨーロッパには下水がなく、チョピンには町中に溢れる汚物を避ける実用性もあったため雑学本では、これが強調されて紹介されることがあります。
 しかし、私は上記の2説には否定的で、現在のハイヒールにつながっていないと思っています。

 欧州で現代に続くハイヒールが生まれるのは、16世紀になってからです。現代のハイヒールの起源は、中世のペルシャ(現在のイラン辺り)の乗馬用の靴でした。
 ペルシャの騎馬軍隊の兵士は馬上から弓矢を射る際、揺れる体を安定させるために、足をかける馬の鐙(あぶみ)を強く踏み込めるかかとの高い靴を履いていました。
 そして、16世紀の終わり頃、ペルシャのサファヴィー朝のアッバース1世は宿敵オスマン帝国に対抗するため、オスマン帝国の背後に位置する西ヨーロッパの諸国との友好を重視し、イギリス、オランダ、フランスと同盟関係を構築することに成功しました。
 アッバース1世は1599年、初めてヨーロッパへ外交使節を送ると、ヨーロッパではエキゾチックなペルシャ文化に触れ、一大ブームが到来しました。
 ペルシャの男性的で力強い文化はヨーロッパの人々に衝撃を与え、そのペルシャ風のスタイルが取り入れられました。
 こうしたブームを背景にして、現代のハイヒールの原型、かかとの高い靴がヨーロッパの男性貴族を中心に取り入れられるようになります。 このかかとの高い靴は、もともとが戦闘用ですから、当時の人々の目には、精悍で凛々しく映ったことでしょう。こうして、かかとの高い靴は、またたく間に一般大衆にも広がりました。ところが、貴族階級は一般大衆と同じものを身につけていては権威が失われてしまいます。そこで、一般大衆との違いを示すためによりかかとの高いヒールを履くようになり、ここにハイヒールが誕生します。

 しかし、乗馬靴を原型とするハイヒールは、歩行という実用面でいえば著しく劣ります。
 ハイヒールで歩くのは平坦な場所に限られますが、17世紀当時のヨーロッパの街路は石ころや窪みだらけで、雨が降れば泥に塗れます。そんな路を歩くのには、この新しいデザインの靴はまったく適していません。
 でも、王族や貴族にとっては、それが重要でした。彼らは非実用的なものをひけらかして、労働をするわけでもないし、遠くまで歩く必要もない特権階級であることを誇示するのにハイヒールは最適だったわけです。
 一方、17世紀のヨーロッパの女性は、男性的なファッションを好んで取り入れようになり、髪を短く切り、服に肩章をつけ、男っぽい帽子を被った女性が登場するようになっていました。
 こうした流行から、自然に女性もペルシャ風の男性的なかかとの高い靴を履くようになり、その結果、かかとの高い靴は男女に関わらず用いられるようになっていました。

 それらのこととは別に、この頃からヨーロッパでは科学革命や近代哲学の勃興とも連動した啓蒙思想が広がり始めていました。
 これは神学に代表される旧来の伝統や権威を理性のもとに批判し、民衆を啓蒙しようとするものでした。
 啓蒙思想の影響を受けた人々は、次第に合理性や実用性を重んじるようになり、教育を重要視するようになりました。
 そして、徐々に男性のファッションは実用的なものへと変化し、男性に靴は低くがっしりしたものになっていっていきました。

 その一方で、理由は定かではありませんが、女性の靴はよりかかとが細く、全体の印象が華奢なものへと変化していています。
 合理性や実用性を重んじるようになった男性は、宝石や明るい色の服を身に着けることを好まなくなり、これが「男性の虚飾放棄」と呼ばれる思想の始まりでした。
 そして、フランス革命後や、その後のナポレオン戦争でヨーロッパ諸国が激動の時代を迎えると、男性のみならず女性がハイヒールを履く習慣も消滅してしまいました。
 こうして、姿を消したハイヒールですが、19世紀に入ると、写真の普及とともに復活することになります。
(一部の特別な趣味を持つ人以外の)一般的な男がいちばん写したい被写体、それは女性の裸体でしょう。ヨーロッパのポルノ制作会社では、さっそくヌード写真を撮り、販売するようになりました。
 その際、制作側はヌードモデルに古典的なポーズをとらせながら、近代的なハイヒールを履かせました。このようにして、ハイヒールは扇情的でエロティックな女性のアイテムとして普及していきました。
 したがって、現在の女性がハイヒールを履くのは、本人が意識せずとも、それがエロティックな女性のアイテムとして普及したからであり、男性がハイヒールを履かないのは、17世紀に始まった啓蒙思想によって、男性の虚飾放棄が根
付いたからということになるのではないでしょうか。

ハイヒールの歴史が、よくわかりました。
 ハイヒールを履いていると、足がスーッときれいに見えます。やはり、そこでしたか!