--- 素朴な疑問集 ---
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疑問No.713 (2008.10.31)

Q. カムさんからの疑問

 英語に関する疑問です。
「have to 〜」で、「〜しなければならない」という意味になると中学校で教わりました。
 しかし、もともと、have は、「〜を持つ」というのがいちばん大きな意味だと思うのです。それが、どうして、「have to 〜」で、「〜しなければならない」と意味になるかがわからない。「遠すぎる」と思うのです。
 これと比べて、「be going to 〜」なら、なんとなく納得できるのです。「〜することに向かう」が転じて「〜するつもりです」という意味にになったのでしょうね。
「have to 〜」は、どのように意味が転じて、「〜しなければならない」になったのでしょうか? すっきりと教えてください。

そのような疑問を持たなかった自分がすこし恥ずかしいです!!(星田)


A. kztさんから

 ぜんぜん答えではありませんが、なんでこのときだけ、読み方が「ハヴ」ではなく「ハフ」になるのかも不思議ですね。子音がvのくせに、このときだけは読み方がfになっている。
 ところが過去形になると、I had to .... の had は、ふつうに「ハド」と読む。「ハト」とは読まないのです。dの子音はdのままです。読みがtになるわけではない。ホントに一貫性がない言語です。
 こういうのは、理由は一切教えられず、丸暗記させられた事項のひとつですが、これも誰か、いっしょに答えてくれないかなあ。

A. 江戸川三連豚さんから

 例文 I have to do the homework today. とする場合、「(一般的にしなければならない)宿題をすること」を「持っている、ある」のだから「しなければならない」と訳すのだと思うのですが……。

A. ktnsさんから

 英語で、"something to do"といえば、「やるべきこと」という意味になります。このように、「to 動詞」は、「〜するべき」といった意味があり、そのようなことを「持っている」、ということは「しなければならない」という意味になると思います。

A. Picorinoさんから

 私は、そのまんまだと思うのですが……。
 たとえば、「I have to do - - - .」は、
    「私は 持っている するべき - - -を」 ですから、
    「私は - - -をしなければならない。」
 全く違和感を感じません。

A. 自由人さんから

 haveは「〜を持つ、所有する」、 to +動詞の原型で「〜すること」……なので、繋げると、「〜することを所有している」となります。
 つまり、「(主語の人)が、〜をする権利を持っている」ということになります。
 それを客観的(第三者的)に見れば、「(その人が)すべきこと、しなければならないこと」という認識になります。
 おそらく、このような意味の変遷なのではないか、と考えています。
 何を調べたわけでもない私見ですけど^^; 

A. うにうにさんから

 質問者さんご指摘の通り、haveの本来の意味は「持つ」です。実をいうと、これは「have to」の場合でも変わりません。
 では、いったいどこから「〜しなければならない」の意味がでてくるかというと、「to 不定詞」の形容詞用法の一つから来ています。
 具体的に、次の例文で考えてみましょう。

   I have a lot of work to do.
   私には、しなくてはならない仕事がたくさんある。

 このdoの目的語である a lot of work が、文中から飛び出して後置されたのが、次の形です。

   I have to do a lot of work.

 目的語はしばしば長くなったりします。長い目的語は後ろに置いた方が英語としてはおさまりがよいので、このような倒置的な語法が生まれ、16世紀頃から徐々に、have to do を先に言ってしまう形の方が多くなりました。
 以上の流れをまとめると、
 最初の言い方: have 目的語A to 動詞X 「XすべきAを持っている」
 倒置した言い方: have to X A(意味は同じ)

 その後、意味の面で考えると、「XすべきAを持っている」というのは、状況的に「AをXしなくてはならない」場合が多いので、そちらの意味合いに微妙に変化してきました。
 その結果、have to 全体が一つの定着した言い方となり、mustなどと同様の働きをする一種の助動詞と感じられるようになったので、目的語がない場合にも使われるようになり(I have to go now.など)、今日に至っています。

A. 船橋さんから

 UC Berkeleyの「ESL教師になるための講座」では、「Have to」は次のように教えなさいと指導しています。

1. 「have」という単語の基本的な意味は、「ものを抱えている様子」で、そこから転じて、「ある状況を抱え込んでいる様子」という意味も持っていることをまず説明します。

2. 不定詞(to)は動名詞(〜ing)と違い、「to以下のことに対して心が向かっている」っていう感じが残っていることを説明します。
 I go to the station. と言えば、「体が駅に向かっている」わけですが、toの後に動詞を持ってきた場合もそれと同様に、「(ある動作に)心が向かっている」と考えるわけです。
 たとえば、スポーツを経験したことのない子どもに対して、「どんなスポーツをしたい?」と質問したとします。この子どもが「テニスをしてみたい!」と思っていれば、

 I like [to play] tennis.

という回答をします。「to」を使うことで、未だ経験したことの無い「テニス」に「心が向かっている」ことを表しているわけです。この文章は、意味的には、「テニスが好き」というより、「テニスがしたい」になります(丁寧に言えば、would like to で、これは日本では=wantと教えます)。
 これに対して、様々なスポーツを既に経験してる大人に、「いろんなスポーツをしたでしょうけど、どれが好きですか?」と聞いた場合には、

 I like [playing] tennis.

と答えます。[ing]を使うことで、実際にテニスを「している状態」を思い浮かべている感じを伝えるわけです。

3. これをhave toに発展させます。
 たとえば、「I have to leave now.」と言う場合、「I have」のところまでで、「私はある状況を抱え込んでます」という意味合いを周りの人に伝えているわけです。
 続く、「to」「leave now」というところで、「いますぐここを立ち去る(leave now)」ことに「心が向かってしまっている」ことを伝えます。
 このふたつを続けると、
「私は、すぐにここを立ち去れなければいけないと心が急いてしまうような状況を抱えているんです」
という意味になり、「もう行かないといけないようです」という意味になる……、と教えるわけです。
 ちなみに、カリフォルニア周辺のESL(第二言語としての英語)では、

  「have to 〜」= 「It is neccessary to 〜」

と教えていることろが多いようで、「have to = must」と教えているところはあまり無いようです。
 なぜかというと、「have to 」と「It is neccessary to 」の書き換えは理解しやすいからです。

 I have to clean my room. = It is neccssary for me to clean my room.

はもちろんですが、これを否定文にした場合も、

 I do not have to clean my room
  = It is not neccessary for me to clean my room.

と、とてもストレートフォーワードです。
 これを、うっかり「have to = must」で教えてしまうと、

 I have to clean my room. = I must clean my room.

はよいとして、

 I do not have to clean my room. に対する、I must not clean my room.

は、意味がまったく違っているため、生徒が大混乱をしてしまうのが見えているから、と言われています。
 ESLは、「海外から来た英語の不得意な留学生に、大学での授業準備をさせるところ」ですので、そこで混乱させてもしょうがないってことでしょう。

今回の疑問から次の疑問が派生しました。

  「have to 〜」を「ハフトゥ」と読むのはなぜか?

A. ある浪人生さんから

 kztさんのおっしゃられている、「『〜しなければならない』の『have to』は、なぜ『ハフトゥ』と発音するのか」ですが、以前予備校で、大学でも講師をしていて英語の音声を専門にしておられる先生に次のような話を聞いたことがあります。
「have to」は慣用表現としてほぼ助動詞化しているため、2語で1語のような感覚で発音されるそうです。そこで、「have」の「ヴ」がすぐ後に続く「to」によって弱まって、「フ」という発音になるのだと。
 このような弱化は言語として何も特別なことではなくて、例えば、「Good bye」を「グッドバイ」と律儀に発音する人は、大昔の文豪を除いておそらくいないでしょう。
 実際に声に出してみれば日本人にも理解は難しくないはずです。前の語のお尻の子音が、後ろの語の頭の子音によって弱まってしまうのです。
 日本人にとって「v」は「b」と紛らわしいですが、「v」は、前歯を下唇に軽く乗せて発音します。これは「f」が濁ったものです。だから、「ヴ」が弱まると逆に「フ」という音になります。
 ちなみに、「had to」は「ハットゥ」と発音しろと高校で理由も分からず教わりました。これも、「d」の弱化として考えれば自然なはず。
 ただし、言語は生きてますから、絶対視してはいけません。「have to」を対比や何かで強調などするときは、発音するスピードが遅くなって「ハヴトゥ」となるでしょう。

A. うにうにさんから

 英語と日本語とでは発音の原理が違います。
 日本語では、1音1音がだいたい同じ長さで、タタタタと機関銃のように発音するのが基本になります(実際には、そのリズムを土台にしつつ、間をとったり、早口になったり、変化が生じるわけですが)。
 ところが、英語の場合は最初から、強く発音する箇所と弱く発音する箇所との違いがきちんとしています。強く発音する箇所は、単に強いだけでなく、少しゆっくりめに発音し、弱い箇所は、少し早口になり、また子音や母音そのものが曖昧な音に変化したり、省かれたりします。
 おたずねのhave toですが、例えば

   I have to leave now. (もう帰らないと)

という文の場合、いちばん強められるのは動詞のleaveです。これに対して、「have to」は2語ですが、意味的には助動詞と同様の働きをしていますので、動詞よりも弱く、軽く発音されます。そのため、有声音の[v]が無声化して[f]になります。3人称単数の場合のhas toも、[z]の音が無声化して[s]になります。
 同じhaveでも、Yes, I have. のような場合は、強く発音されますので、本来の[v]音になります。
 I am → I'm とか、you would → you'd なども、弱く発音された結果途中が省かれたものです。
 こういう場合は、文字表記の上でもアポストロフィを使って、軽い発音であることを示すことができますが、have to をhaf toと書くようなことは通常はしません。かえって意味がとりにくく、読みにくくなるからです。

 ところで、I had to 〜 の had は「ハド」と読み、「ハト」とは読まないとのご指摘がありましたが、実際は「ハド」とは読まれません。
 私が聞くかぎり、「had to」も「have to」や「has to」と同様に、[d]の音が無声化して[t]になり、さらに[hattu]のように同じ子音が連続するのは発音しにくいので、実際には[haっtu]のように、tを1回分発音するだけの時間的な間をとって、一つながりで発音されるのが普通です。つまり、「have to」の場合と同じ原理が働いているわけですから、一貫性があるのです。
「ハドトゥ」なんて発音、聞いたことがありません。発音しにくいし、第一不自然です。まあ、文章を1文字1文字書き取らせるような場合に、うんとゆっくり読めば、そのような発音もあるかも知れませんが、普通のスピードならまずあり得ないと思います。

そうか、そうか。「ハドトゥ」のつもりで発音しても、「ハットゥ」と「軽く」しますよね。思えば、私もそうでした。
  ラジオの英会話の先生も、「助動詞は弱く発音される」といっておられました。
  
No.715の「ペーシ」の疑問への回答でもありましたが、発音しやすいように変わってしまうのですね。