● 第百四十八段 ● 3月の弥生土器
「ねぇねぇ、縄文土器っていうのは、土器の表面に縄の模様があるからそう呼ばれているのよね?」
由希子に突然尋ねられた。
「ま、一応そういうことになっているけど……、それがどうかした?」
「じゃあ、弥生土器っていうのはどういうこと? 何がどう『弥生』なの?」
「なるほど、いわれてみればそうだ。中学校でもそこまでは習ったことがないぞ」
「単に覚えてないだけかもよ」
「あとで調べてみよう」
調べるのは簡単なので、予想を立ててみた。
(1) 弥生、つまり最初に発見されたのが3月だった。
(2) 発見者の名前が弥生さんだった。多分、女性だな。
(3) 実は、表面の模様が「弥生」と呼ばれている。
ま、こんなところだろう。では、調べてみよう。――が、予想は外れていた。弥生は地名だった。土器が発見された場所の名前だったのだ。
弥生土器の名前の由来となったのは、東京本郷の弥生町向ヶ丘貝塚(弥生町遺跡)。ここで1884年に採集された土器がもとになって「弥生式土器」と名前が付けられた。
確か中学校のときには、「縄文式土器」「弥生式土器」というふうに、「式」を付けて教えてもらったが、最近では「弥生土器」と呼ばれている。土器を細かく類別するときに、加曾利B式、遠賀(おんが)川式などに「式」を付け、総称としては
「式」を抜いて表現するということらしい。知らなかった。
もうすこし詳しく説明しよう。
弥生土器が初めて発見されたのは、1884年3月2日(やっぱり、弥生に見つかってるんだ!)のこと。発見したのは、東京大学の学生、有坂銀蔵、坪井正五郎、白井光太郎の3人。彼らが向ヶ丘貝塚を調査しているとき、有坂が貝塚の表面に壺の口縁が出ているのを発見する。さっそく壺を発掘してみると、どうも今までの縄文土器とは形式が違う。これがあとでに「弥生式土器」と呼ばれる土器だったということだ。しかし、実際にこの「弥生式土器」という名前が学会に登場するのは、かなりあとでになって、1896年のこと。
当然、これだけの発見だから、この地には何らかの碑が建てられていると予想できるのだが、その通りだった。現在、文京区弥生の東京大学のキャンパスの裏手に発掘の碑が建っている。しかし、碑文がなんだかおかしい。
「弥生式土器発掘ゆかりの地」
ね、おかしいでしょ。「ゆかりの地」って、なんだか回りくどい表現でしょ。ずばり、「弥生式土器発掘の地」
とやればいいのに……。
やればいいのにやってないということは、何かわけがあるということだ。三択です。その理由は、次の内のどれでしょう。
(1) 発掘の地に東京大学の建物ができてしまったので、近くに碑を作った。
(2) 発見者である有坂が弥生式土器「第1号」をこの場所に埋めてしまった。
(3) 土器を発見した場所が分からなくなって、「このあたりだろう」という場所
に碑を建てた。
答は、後ほど。
【メモ】
◆やはり、中学のころ、「弥生土器はろくろを使用して作られた」と習った記憶があるのだが、現在ではろくろの使用については否定されている。
◆弥生土器は、土器の様式から前期、中期、後期の3期に大別されている。しかしこの区分法は、地方や研究者によって一致していないので注意が必要だ。一般的に、前期の弥生土器は中部地方以西に広がり、中期以降東日本にも広まっていったとされている。
◆縄文土器、弥生土器、土師器は、ともに硬質の赤焼き土器だ。教科書などを読んでいると、縄文土器と弥生土器が明確に区別されているようだが、実際には簡単に区別できるものではないそうだ。
◆本文中に登場した千葉市桜木町の加曾利には、縄文時代中期から晩期にかけての貝塚を伴う集落遺跡がある。「加曾利B式」のBとは、B地点のこと。1924年の調査で、南の貝塚のB地点と北の貝塚のE地点の土器に形式上の違いが発見され、これを標識とする分類がされるようになったのだ。
また、遠賀川とは、福岡県の遠賀川のこと。遠賀川の川床の遺跡から弥生前期の土器が発掘され、この土器に基づいて「遠賀川式土器」と総称されている。
◆では、問題の答。
発見者の有坂は、発掘した場所が分からなくなってしまったのだ。というのは、その後、地形改変が行われてしまったのだ。きちんと印を付けておけばよかったのに……。あとでから思い出しても、どうも思い出せなかったらしい。1975年になって、東京大学構内浅野地区東端の崖際で弥生時代後期の貝塚が発掘されて、
「ここが昔、『向ヶ丘貝塚』と呼ばれていたところの一部だろう。すくなくとも、そこに近い場所だろう」
ということで碑が建てられたのだ。1976年には、「弥生二丁目遺跡」として国史あとに指定されている。
したがって、答は(3)。
しかし、必ずこの場所だというわけにもいかず、現在、文京区弥生1丁目から3丁目にかけて、候補地が5ヶ所ほどある。
◆弥生土器について説明するときりがないので、この程度の扱いにして、詳しくは別の書物に任せることにしたい。
◆「土器を見ているとドキドキしますね」
と、毎年の歴史の授業の中で話す教師を知っている。このギャグは、生徒には爆笑はとれないまでも、静かに受けているようだ。