★雑木話★
ぞうきばなし

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 ● 第百四十七段 ●  最後の1個

 3月3日は、桃の節句、ひなまつり、耳の日、平和の日。――と、ここまでは有名だが、「団子の日」でもあるそうな。たしかに「3」を2つ縦に並べると、団子が4つ並んでいるようには見える。しかし、それなら、8月8日の方が雰囲気があるんじゃないのと思うのだが、多分、ひなまつりで菱餅やら団子やらを食べる機会もあるだろうとのことだと想像している。
 先日も団子を食べた。三色団子だった。赤・白・緑の団子が上から順番に並んでいた。
「『だんご3兄弟』!」
 3歳の息子・脩(なお)は、叫んだ。
『だんご3兄弟』というのは、今、巷ではやっている童謡だ。タンゴのリズムで、一度聞くともう耳からは慣れなくなるような曲だ。その童謡の内容と同じ状況の「もの」を目の前にして、思わず出てしまったのだ。「食べたい」という主張ではなかったので、ゆっくりと食べた。
 昨日も団子を食べた。みたらし団子だった。屋台のみたらし団子は、あったかくていい。幼い頃、おばあちゃんが焼いているみたらし団子を買ってもらうのが好きだった。目の前で焼かれている団子を1本だけ買ってもらい、最後に蜜というかタレというかのか知らないが、それが入った容器にドポンとつけて、渡してもらうのが無性にうれしかった。が、昨日食べたのは、スーパーで売られている5本入りのもの。だから、あったかくないし、タレも半ば固まっている。でも、ま、団子は好きだから文句を言わずに食べた。
 さて、今回食べたみたらし団子は、1本の串に4個の団子が刺されてあった。三色団子もみたらし団子もそうだが、どうも、最後の1個が食べづらい。
 誤解があっては困るので言っておくが、この場合の「最後の1個」とは、串のとがった方から食べいっての「最後の1個」だ。一つ目、二つ目は、とがった方から食べてもなんとか大丈夫。しかし、最後の1個を同じような食べ方をしようものなら、串の先端が喉に突き刺さるのではないかと、かなりの恐怖だ。団子ごときを食べるために、そこまでの恐怖心を持たなくてもと思うので、
「何かいい食べ方はないものだろうか……?」
 と、つぶやきが出てしまった。
「下から食べたらいいじゃない」
 由希子が言った。なるほど、そうか! 先から食べるより、下から食べた方が、団子までの距離が短そうだ。しかし、そんな風にして食べている人をあまり見かけたことがない。
やってみて不都合に気がついた。下から食べるためには、串の先の方を持つ必要がある。しかし、この部分はさっきまで団子が刺さっていたところだから、まだねちゃねちゃしている。
「だめだ。持っていて気持ちよくない」
「じゃあ、横から食べれば……」
 ああ、ついにその言葉が吐かれてしまった。それだけは、できない。そんな邪道は、許されないのだ。邪道に奔(はし)るくらいなら、潔く串の先端から食べてやろう。
 結局、由希子が最後の1個を横から食べるのを横目に見ながら、こちらは大きな口を開けて食べた。これまでもそうしてきたのだ。何を今さら変える必要があるか。これでも何とか喉に刺さらないで今まで生きている。これからもそうしよう。


【メモ】

◆昭和33年3月3日、東京タワーが開業している。東京タワーの高さは333mだから、開業の日ま「3」にこだわったものと考えられる。

◆『だんご3兄弟』は、タンゴのリズム。『すずめがサンバ』は、サンバのリズム。『さるさるさ』は、サルサのリズム。

◆タンゴを大きく2つにわけると、アルゼンチン・タンゴとコンチネンタル・タンゴ。
 アルゼンチン・タンゴは、ブエノスアイレスの南東部に起こり、当時は下層社会の音楽として、上中流社会から蔑視されていた。しかし、音楽的に向上し、1920〜20年代にパリで大いに認められたことから、全市民的音楽としてその地位を確立した。

◆アルゼンチン・タンゴの演奏に欠かせない、ボタンで操作するアコーディオンに似た楽器は「バンドネオン」。

◆パリで紹介されたアルゼンチン・タンゴは、同地の音楽家たちによりそのリズムと形式をまねられることになる。こうして生み出されたタンゴが、日本で「コンチネンタル・タンゴ」と呼ばれている。リズム自体には気迫や微妙な味わいが欠けるものの、甘美で感傷的な旋律の親しみやすさにより、ダンス音楽、サロン音楽として世界各地に流行した。

◆アルゼンチン出身で初の十両昇進を果たした、力士は星誕期(ほしたんご)。

◆ミツバチが花粉を運ぶとき、花粉団子を後ろ足に作る。

◆女房言葉で、「いしいし」といえば団子のこと。

◆「ダンゴウオ」という魚がいる。もちろん、体がまるいことに由来した名前だ。串は刺さっていない。

◆1999年3月3日の前後の数日間、夕方の西空に土星、金星、木星、水星が並んでいるのを見ることができる。しかし、これらの惑星を串で刺すのは不可能。まっすぐに並んでいるように見えても、それは見かけだけのこと。実際に軌道上で直線に並んでいるわけではない。
「団子の日」にこのような現象を見ることが出きるのは、まったくの偶然。

◆「最後の1個」で思い出した。『最後の一葉』って話があったなぁ。
■ O.ヘンリー ■
1862‐1910、アメリカの短編作家。ノースカロライナ州生まれ。銀行員時代に公金横領の嫌疑で告発され、中央アメリカに逃亡していたが、妻の危篤を知り帰国。逮捕されて3年の刑務所生活を送る。そのときに短編を書き始め、服役後はニューヨークで作家として活躍する。むだのない軽妙な語り口と意外性のある結末によって広く親しまれた。『賢者の贈物』『最後の一葉』等は有名。

◆太田裕美も『最後の一葉』という歌を歌っていた。これは、O.ヘンリーの作品をモチーフにしたもの。

◆カセットテープにA,B,Cの曲がこの順番に入っているとする。Cの曲を聴くためには、AもBも聴いて順番を待たねばならない。この状況は、緑の団子を食べるために、上の赤・白を先に食べねばならないという団子の食べ方に似ている。このようなアクセスの仕方を、「シーケンシャルアクセス」という。

◆これに対し、A,Bの曲を飛び越して(早送りして)Cの頭出しをすることができる。これは、串刺しの団子を横から食べることに相当する。これを「ランダムアクセス」という。
 CDやMDは、ランダムアクセスがカセットテープに比べて非常に早いので便利だ。

◆しかし、カセットテープと串刺しの団子は似ているようで似ていない。
 団子を上から、赤・白・緑の状態にするためには、緑・白・赤の順番に刺していかなければならない。一方、カセットテープにA,B,Cの順に曲を並べるには、曲の長さを把握してさえおけば、基本的にはどんな順番でも録音は可能だ。

◆本当は、団子を並べるという作業も、「刺す」という条件さえ取っ払えば、どんな順番でも可能だ。「串の先から団子を刺す」という発想を捨てて、「串に団子を巻く」という方法にすれば、真ん中の白からでも並べることができる。


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