牛肉と豚肉の別称についてです。こういう事に疑問を持つこと自体が貴重ですよね、うんうん。言われてみると私も知らない……。で、考えました。
その結果、牛肉や豚肉、羊肉に日本古来(ちょっと大袈裟?)からの別称は無いし、無いのが当然である――との結論に達しました。というのは、明治の文明開化まで日本には食肉の習慣が無いからです。
江戸期までの日本人の主たる蛋白源は魚介と大豆類です。その他に、イナゴや蜂の子などの虫、ヘビ・カエルの類もすこしはあるとしても少なくとも畜肉ではありません。食肉のために家畜を飼うこと自体しませんでした。牛や馬などを飼う目的は「牛馬の労」という言葉からも推察されるように「使役」にあったのです。
日本人は基本的に農耕民族である上に、仏教的な観点(特に輪廻思想が強く影響しているのではないかと推察しますが)から殺生戒を重んじる傾向があります。
従って、そんな世間の風潮の中で四つ足の獣を食する事は、世間の顰蹙を買う覚悟の要る後ろめたい事だったのです。だからこそ、「紅葉」「牡丹」などの隠語が生まれたのでしょう。
話が矛盾するように思われるかも知れませんが、当時食べられた肉は鹿肉や猪肉、そしてキジやウズラ、ウサギ――フランス料理で言うところのジビエ――要するに野性の獣の肉だけなのです。これらの肉は「ももんじ(獣)」と総称されて、山で暮らす人間が食べる他、一部の物好きな金持ちに「精のつく」食材として販売されていました。が、あまり堂々とした商売ではなかったはずです。
ちなみに、私の育った京都では鶏肉も「かしわ」と称します。辞書を引くと
「鶏の肉。もと、茶褐色をした和鶏およびその肉をさした」
と載っていることからしても、「桜」同様に肉色から「柏」と付けたに違いありません。
ここで疑問を生じませんか?
猪の牡丹、鹿の紅葉は花札から来るとして、何故すべて植物の名前なのか? これが最初に仏道の話を持ち出した理由です。つまり、動物を食する事は殺生戒に反するので、植物の名前を仮称することで世間の批判をかわし、良心の呵責を和らげようとしたのでしょう。
飽くまで考察であって調べた訳ではありませんが、ご参考になれば、と思って書いてみました。